サザンVネットの ブログ です

熟年者ばかりのボランティア グループ 『サザンVネット』が
ホームページとは別に お知らせ・活動状況を載せています

歌声サロン開催 2021.11.24

2021-11-27 | S A サ ロ ン
11月24日 イベントの開催については、定員の1/2という基準の中、今回は予約制で人数制限、先生と会員間は、シールドの設置、参加者はマスク又はフェースシールドの着用とコロナ対策をして歌声サロンを開催しました。ミニうたごえ広場に予約が出来なかったうたごえ広場の会員にも参加いただきました。


キーボード:多田景子先生、フルート:清原とも子先生、歌唱指導:谷 敬子先生
谷先生には、野上彰作詞、小林英雄作曲「落葉松(からまつ)」をソプラノで唄っていただきました。
 







211027 SAサロン<おもしろエルダーズ>

2021-11-18 | S A サ ロ ン


10月のSAサロンに、和泉シティプラザで活動する「おもしろエルダーズ」の皆さんにお越しいただき、楽しい演奏を聞きました。
先生の岡田奈緒子さんが、2004年に和泉シティプラザで音楽講座を開催し、終了後何か始めようとの要請があり、「どんな楽器でもよいから弾ける人」が集まって構成されたのが始まりとのこと。
ウクレレ、フルート、キーボード、大正琴、ヴィオリラ、ドラム、二胡などの楽器の混成グループで、ユニークな楽団です。

 

 

岡田先生の楽しいトークと素晴らしい演奏を楽しみました。
演奏曲は、きよしのズンドコ節、ドコモーション、きみは天然色、中島みゆき 慕情、あなたとトゥラッタッタ、パプリカ、YMCA、ふるさと

岡田奈緒子さんプロフィール:NAOMUSIC、ヤマハ音楽教室システム講師、大正琴・ヴィオリラ指導認定講師、音楽療法セッションアドバイザー、音楽イベント総合企画

各種の楽器の紹介もしていただきました。
 
        ヴィオリラ               フルート
 
        キーボード              キーボード
 
        二胡                 大正琴

第98回泉北近郊ウォーキング<岩湧山・ススキ鑑賞>

2021-11-12 | 泉北近郊ウォーキング


2021年10月20日 岩湧山ススキ鑑賞ウォーキングを実施した。
泉北近郊ウォーキングは、2010年9月29日に泉北ニュータウン内泉ヶ丘緑道から始まり、今回で98回を迎える。高齢化が進み、岩湧山は無理かと危ぶみながらも、歩く距離を出来るだけ短くするように、滝畑ダムから往復のコースで開催し、6名の参加を得た。

河内長野駅から滝畑ダム行き始発のバスに乗車。ススキが見ごろで乗車したバスの6割が岩湧山登山客であった。10月14日の下見の時は暑かったが、急に温度が下がり山登りには絶好の天気となった。

滝畑ダムで下車し、川沿いに歩くと「滝畑湖畔観光農林組合」が経営する喫茶・レストランがある。駐車場と滝畑トイレがある。岩湧山山頂までトイレが無いので必ずここで用を足すことが肝要。そのわきに登山道入口がある。急な坂道を上ると林道に出る。林道を横切って更に登山道を登るが、案内標識があり間違う事は無い。
 

 

しばらく急な坂道を上ると、カキザコに出る。(ここまでが急な上り坂 約1時間)
 
下見の時「カキザコ」とは何のことか?何かいわれがあるのか?と帰りに滝畑湖畔観光で聞いてみてもわからない。
インターネットで調べてみると、「柿迫」がヒットし、柿迫姓の人がかなり存在する。更に検索すると、地名で「柿迫」があり、柿林と山との境のこと。とあった。確かなことはわからないが、案外これが正しい様に思われる。

カキザコからは、緩やかな上り下りが続く。歩くこと2時間。杉・檜林をすぎるとススキの山が見えてくる。
 

ここから、山頂までススキの山を登る。階段はかなりきつい。
 

 

途中風が強くり杉林の高いところはしなっていたが、林の中はさわやかな風しか感じなかった。頂上はかなり風が強いのではと思っていたが、ススキ(茅)は背が高く風除け効果が抜群で、ベンチに座っての食事にはほとんど影響がなかった。
山頂から見下ろす景色も素晴らしい。富田林のPLの塔はくっきりと見える。

 

 

 

 

食事の後記念写真を撮り、こじんまりと歌も唄う。
 
「どんぐりころころ」「村祭り」「赤とんぼ」「バラが咲いた」



 

 

元来た道を下りにかかると、珍しいアザミのような花が目に付く。
「ハバヤマボクチ(葉場山火口)」と言う植物で、絶滅危惧種に指定されている。
菊科の多年草 葉はゴボウの葉に似ていて裏面に白綿毛を密生する。
火口は火をおこすときに使うものの名で、ボクチとあるのは葉裏の白綿毛を火口に利用したことに由来する。
葉と葉裏の白綿毛


ススキ山の中腹に、茅を運びおろすケーブルがある。
茅について、河内長野市のホームページに説明があったので、転記します。

  

岩湧山頂に広がる草原は、新河内長野八景「岩湧山頂の花すすき」として市民に親しまれています。一方で、地元では「キトラ」と呼ばれており、約300年前から滝畑の共有地として地区の人々によって代々管理されてきました。
 このカヤ場は、滝畑地区の茅葺民家の屋根葺き替えなどに利用するため、定期的にカヤ刈りや山焼きなどの手入れが行われてきました。近年は、地元の茅葺民家が減少するにつれて、文化財建造物の屋根葺材としても広く利用されるようになってきています。
 岩湧山のカヤは、背丈が長く、株の部分から穂先までまっすぐに伸びており、柔軟性に富んでいます。また、地理的に雪が少なく、十分に乾燥した状態のカヤを刈り取ることができるため、屋根葺材として適しています。現在、全国的に屋根修理用のカヤが不足しており、約7.5ヘクタールにわたって良質なカヤが生育するカヤ場は、資材の供給地として大きな期待が寄せられています。そのため、選定保存地域として選定し、積極的に育成を図ることで、文化財建造物修理用のカヤが安定的に供給できるようになるとともに、カヤ場が育む草原性の貴重な動植物を保護することが可能になると考えられます。

ハイキングや山登りは、年配者がほとんどと思い込んでいたが、今回岩湧山に登って、若い人たちが半数を占めることに驚いた。ひょっとしたらコロナの影響もあるのかもしれない。

第97回泉北近郊ウォーキング<岸和田街歩き> 211005

2021-11-10 | 泉北近郊ウォーキング

   クリックすると全画面表示  岸和田城 八陣の庭

 今回のウォーキングは、岸和田の街並みを歩く”岸和田街歩き”をしました。参加者は17名。
泉北高速鉄道和泉中央駅に集合。南海バスに乗車し、車窓から昨年久米田池ウォーキングで歩いた摩湯山古墳が見え「前に歩いたとこや!」とワイワイ言いながら南海岸和田駅に到着。
  

 岸和田駅前商店街の入り口の左側に”だんじりからくり時計”の一代目が立ち、右側に二代目が壁に欠けられている。動く二代目は見た目は何の変哲もない時計だが、毎時0分になるとだんじり囃子と共に扉が開きだんじりが動き出します。残念ながら見ることが出来なかったので、投稿されていたYouTubeを貼り付けました。


 アーケードが高く広々とした商店街。ここをだんじりが通るので、天井を高くしているとか。さすが”だんじりの街岸和田” 昨年はコロナで中止、今年は期間を短縮して開催された。
 

 商店街を更に海側に行くと湾岸線に出る。左に「波切ホール」右は「ベイサイドモール」
 

 湾岸線との交差点に”看貫場”がある。看貫場とは、漁港で水揚げされた魚の重さをはかる場所の事。(古い言葉やけど、昔大きな時計のような針が前に着いた台秤のことを、カンカンと呼んでいたことを思い出す)
 この広い湾岸線を通行止めにし、ずらりとだんじりが勢ぞろいして、順番に右側の商店街に繰り出して行く。
 看貫場を出るだんじりのYouTubeを張り付けました。


 紀州街道まで戻り右に曲がったところに、旧和泉銀行の建物がある。下見に行った時(だんじりが開催されたあくる日)に、半被姿の元気なおばちゃんに出会い「今度来た時に寄って行って!お茶でも御馳走するから」と誘われていたので厚かましくも総勢17名でお邪魔し歓待された。ゆっくり時間が取れないと連絡して置いたら、お茶のペットボトルを全員分用意していただいた。
 なんとこの建物が売りに出された時に、前の紀州街道をだんじりが通るのを二階から眺めることが出来る絶好の場所なので買い取ったという。市民が利用できるよう解放されている。
 今、80歳、まだまだこれからも元気で120歳まで頑張るよ!」と、意欲とパワーに元気をもらいました。ありがとうございました。


 

「岸和田だんじりの里親」と言われ親しまれている久場共見子さん。著書「情熱、成功への扉」食育・愛育・教育 久場ママからのメッセージ、「挑戦」つよく、やさしく など。
(株)LIP、(株)キューブインターナショナルなどの代表取締役。岸和田商工会議所女性会の監事もされている怪物おばちゃん(失礼!)

 少し南に歩くと岸和田港塔原線出る。出口に欄干橋がある。
 元禄・享保年間は「ギボシのある橋」、天保年間の地図では「欄干橋」とあり、この地域における「道路元標」とされ、他の地域からの距離を示す目印になったという。


  クリックで拡大表示 

 旧四十三銀行のレンガつくりの建物を過ぎると、クランク状のマス形門「堺口門跡」がある。城下町特有のマス形門は、敵の侵入を阻止するために設けられたもので、今やこのクランクをだんじりをいかにうまく通らせるかの技術が競われる名物の箇所で知られている。
 だんじりがぶっつかるたびに壊されるので、角を丸く改装されている。
 

S字をクランクのYouTube



 更に南下し、岸和田自然資料館を見学。ここで岸和田城天守閣、だんじり会館入場の3か所共通券を購入すると割引になるので、お勧めです。
 

 

 こなから坂の標識を左折し、堺阪南線を渡り岸和田市役所の前に出る。堺阪南線から岸和田市役所前は坂になっていて、だんじり祭りの宮入直前の見せ場として有名である。
 
YouTubeの動画を貼り付けます。
坂を駆け上がり、90度カーブを切って岸和田城に向かう。


岸和田城二の丸広場に、櫓を模した二の丸門トイレがある。お城への入り口付近に、イタリアンレストラン「Clibu Contrada」があり、食事が出来るだけでなく、お城側の廊下が一般開放されていて自由に使用できる。サービスでワインクーラーに入れた冷たい水が準備されている。屋外にもテーブル、椅子が置かれている。
無料でこんなサービスがあるのはうれしい。
 

 屋内の廊下と屋外のテーブルにそれぞれ好きなところで弁当を食べた後、恒例の歌の時間。今回は多田先生の指揮で大いに盛り上がる。
 虫の声、月の沙漠、故郷の空、あざみの歌、ちいさい秋見つけた
 

 

大手櫓門を入ると、酒造用に使われていたという甑用大釜(こしきようおおがま)が置かれていた。(米を蒸すために使う大釜で、容積1800ℓ=10石)
   

 天守閣に登り、八陣の庭を見下ろす。岸和田高校の校舎には、天文台が見える。天文台がある高校は珍しい。
 

 

岸和田城「猪伏山(いぶせやま)ちきり城」
建武元年(1334)楠木正成(楠正成)の一族和田氏が、当時「岸」と呼ばれていたこの地に城を築き、根拠地としたことから「岸の和田氏」と呼ばれ、「岸和田」の地名の起こりになったといわれています。1592年小出秀政によって天守のある城郭として整備され、1640年に岡部宣勝が泉州統治の拠点とした。岸和田藩は5万3千石であったが、城の規模は50万石級の大藩に匹敵する。
ちきりとは、機(はた)のたて糸をまく器具で、本丸と二の丸を重ねた形が「ちきり」に似ているところから由来する。
 

城を出て、五風荘に向かう。五風荘は岸和田市の指定文化財になっていて、旧岸和田城内の新お茶屋跡などに旧寺田財閥寺田家の二代目当主家の別荘として昭和の初めに造営された回遊式日本庭園。
 







岸和田城をバックに五風荘で記念写真




だんじり会館では、大画面で迫力あるだんじりの映像を見ることが出来る。
 

更に紀州街道を南下し蛸地蔵天性寺に向かう。
天正年間(1573~92)岸和田城が根来・雑賀衆に攻められ落城寸前に大蛸に乗った一人の法師と数千の蛸が現れ敵兵をなぎ倒し城の危機を救った、数日後、城の堀から矢傷・弾傷を負った地蔵が発見され、城内に収められ、その後天性寺に移されたと伝えられている。
 

 

南海蛸地蔵駅から、電車で帰路につく。
蛸地蔵駅は、大正14年に築かれた南欧風の駅舎、壁面には蛸地蔵縁起のステントグラスがはめ込まれている。