朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

災いだ、と言われるはずの者が、幸いな者となっているのですね。あの方の導きで。

2013-11-20 23:52:50 | 聖書から
災いだ、

悪を善と言い、

善を悪と言う者は。



彼らは

闇を光とし、

光りを闇とし、



苦いものを甘いとし、

甘いものを苦いとする。

イザヤ書5:20






彼らは、

生きている者と死んだ者とを

裁こうとしている方に、

申し開きを

しなければなりません。

Ⅰペテロ4:5
 



 (ローズンゲン日々の聖句11/21;木)






それぞれが行った仕業に応じて

裁かれる時が

あるのだそうです。



正しく、公正に。




けれども、

あの方は

私たちを惜しんで下さり、

公正に裁けば

死刑判決を受けるしかない者を

救う道を

拓いて下さったのだそうです。



死刑執行を

過ぎ越す方法、



それは、

罪のない方が

処刑されて下さることによって、



その身代わりの死によって

死刑になるはずの者が、

処刑済みと

見なされるというものなのだそうです。...




そして、

それは

この歴史の中で

実現したのだそうです。


AD30年頃、

ユダヤのエルサレムで

一人の男が

ローマ兵の手によって

十字架刑で処刑されたのだそうです。



彼は、

何ひとつ、

死に値するような罪はないにもかかわらず、

「彼は痛めつけられた。

彼は苦しんだが、

口を開かない。



屠り場に引かれていく羊のように、

毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、

彼は口を開かない。」

(イザヤ53:7)

との預言のとおりに、



一言の無罪の抗弁もしないで、

黙って

十字架刑を受けられたのだそうです。




天と地の間に掲げられ、

呪われた者となって下さった

この方のお蔭で、



私たちは、

処刑済みの者と見なされ、



あの方の「子」の身分を下さる「霊」を

お迎えして、



あの方の御思いに沿って

歩むようになるのですね。



今日も。






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最初のものは過ぎ去って、新しいものが始まっているのだそうです。私たちに。

2013-11-20 00:21:58 | 聖書から
主よ、

私の祈りを聞き、

助けを求める叫びに

耳を傾け、



私の涙に

沈黙していないで下さい。

詩篇39:13

 





神は、

彼らの目の涙を

ことごとく

ぬぐい取って下さる。



もはや

死はなく、



もはや

悲しみも嘆きも労苦も

ない。



最初のものは

過ぎ去ったからである。

黙示録21:4





(ローズンゲン11/20水)







あの方が

共にいて下さって、

死も、悲しみ、嘆き、労苦も

取り去ってくださるのですね。



最初のものが

ぎ去り、



新しいものを

始めて下さるからなのだそうです。





私たちも、

最初のもの、

生まれたときからの私という「霊」を、

イエス様の十字架刑での処刑で

処刑されたものと

計算し、





イエス様の復活の命で

新しく生きるものとなったことを

受け取って、



イエス様が派遣して下さる

聖なる霊と呼ばれる方を

お迎えして、



心に書き付けられる

御思いに

導かれて動いて行くなら、



最初のものが

過ぎ去り、



新しいものが始まっている世界に

生きることになるのだそうですね。





お迎えしていきましょうか。



心が

あの方の御思いで

満ちるまでに。



今日も。












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