朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

憐れみと祈りの霊、真理の霊と呼ばれる方に導いていただけるのだそうですね。私たち

2014-02-13 23:35:22 | 聖書から
わたしは

ダビデの家とエルサレムの住民に、

憐れみと祈りの霊を

注ぐ。

ゼカリヤ書12:10
 





イエスの言葉:

その方、

すなわち、

真理の霊が来ると、



あなたがたを導いて

真理を

ことごとく

悟らせる。

ヨハネ16:13
 



 (ローズンゲン日々の聖句2/14;金)






エルサレムが包囲されるその時、

御子である方は、

エルサレムに攻めて来るすべての国々を

滅ぼし、



そして、

ダビデの家とエルサレムの住民に、

憐れみと祈り(恵みと哀願)の霊

と呼ばれる方を

派遣されるのだそうですね。



その霊である方によって

ユダヤの人たちは、

御座におられる方が、

自分たちが、かつて突き刺した者であると

悟り、

激しく泣くのだそうです。




真理、

それは、

あの十字架刑で処刑され、

ローマ兵の一人によってわき腹を槍で突き刺され

(おそらく心臓に達するまで)、

死んでいることが確認された

(ヨハネ19:34)

イエスという男が、



実は、

永遠の昔から

「父である神」と共におられ、

人間をはじめ、この自然界、宇宙の

創造主である

「御子である神」、「ことば」と呼ばれる神である

(ヨハネ1:1~3)、

ということ、なのでしょうか。...



私たちが御前に出る、

その御座に着いておられる方は、

「ほふられたとみられる小羊」

(黙示録5:6)

なのだそうですから。




そして、

このゼカリヤ書の預言は、

まだこれから先の事と思われますが、



イエスのこの言葉は、

イエスがこれを語られたその50日後に

実現し、

現在に続いているのだそうです。




イエスが、

「わたし自身からは何事もせず、

ただ

父がわたしに教えられたとおりに、

これらのことを話している」

(ヨハネ8:28)

のだと言っておられますが、



この「真理の霊」と呼ばれる方も、

「自分から語るのではなく、

御子が父から受けたものを、

そのまま、聞くままを話す」方

なのだそうですね。




それゆえに、

この方が、

私たちの心の中に起こされる

「思い」も、



御子である方が

父である方から受けた、

そのままのもの

なのでしょうね。




この「思い」に導かれて行くとき、

イエスが

「わたしと父とは一つです」

(ヨハネ10:30)

と言われた、

その一つの中に

私たちも

加えられていくということでしょうか。



今日も。




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