朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

トマスのように私たちも

2014-08-11 23:42:04 | 聖書から
人々は

隣人どうし、

兄弟どうし、

「主を知れ」と言って

教えることはない。



彼らはすべて、

小さい者も大きい者も

わたしを知るからである、



主は言われる。

エレミヤ書31:34

 





トマスは

イエスに言った。



「私の主、

私の神よ」

ヨハネ20:28
    



 (ローズンゲン日々の聖句8/12;火)

...

 



モーセを介して結ばれた旧い契約では、

「子どもたちによく教え込みなさい」

(申命記6:7)

と言われています。





けれども、

イスラエル1500年の歩みにおいて、

いくら教えても、

教わったことを自分の力で実行し、

あの方と思いを一つにすることはできないことが

はっきりしたのですね。





それどころか、

むしろ、

背きがいよいよ鮮明になって、

滅ぼし、罰するしかない、

極まった状況において、



あの方は、

新しい契約を約束して下さったのだそうです。

(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:26~28)


石に書かれた、あるいは紙に印刷された文字を教えることによっては

全うできなかった、

あの方と思いを一つにするという

人間創造の目的。





新しい契約では、

聖である霊と呼ばれる方を

私たちの内に派遣して下さって、



この方が、

私たちの心の思いに、

あの方の御思いを書き付けて下さるというのですね。



あの方の御思いが

私たちの心の思いに

来るというのです。




私たちの心が、100%切り替わったときには、

すべての人が、

あの方を体験するようになるのでしょうね。





十字架刑で処刑されたのち、

復活されたイエスから、

「あなたの指をここ

(イエスの手首の釘の穴)

につけて、

わたしの手を見なさい。



手を伸ばして、

わたしのわきに差し入れ

(ローマ兵がイエスの死亡を確認するために刺し通した槍の傷跡を確認し)

なさい。」

(ヨハネ20:27)

と言われ、



「私の主、私の神よ」と

イエスの前にひれ伏した

トマスのように。



今日も。














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