朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

貧しい者を塵芥の中から引き上げてくださる方

2015-07-04 21:59:12 | 聖書から
あなたがたは恵みにより、信仰によって救われました。
このことは、神の賜物です。エフェソ書2:8(今週の聖句)




 主は貧しい者を
芥(あくた)の中から高く上げられた。サムエル記上2:8
...

 あなたがたの中に、100匹の羊を持っている人がいて、
その1匹を見失ったとすれば、99匹を野原に残して、
見失った1匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。
そして見つけたら、
喜んでその羊を担(かつ)ぐだろう。ルカ15:4~5

        (ローズンゲン日々の聖句7/5;日)




 人を高くし、また低くされるのは
天の神、主がなさることなのだそうですね。
社会の一番低い所にいる貧しい人を高い地位に上げられるのも
主がなさることなのだそうです。




 その当時、イスラエルには身分の高い人や有能な人、
学問を積んだ優秀な人など、たくさんいたのに、
イエスは、「ガリラヤから何の良い者が出ようか」と
言われているガリラヤの、
しかも、何の学問もしていない漁師を一番弟子に選び、
使徒として立てられたのだそうです(ルカ5:1~11)。




 羊飼いの声を聞こうとせず、
自分の思う通りに動いて、迷い出てしまった羊の1匹も、
羊飼いは忘れず、探し求めるものなのだそうですね。




そして、その1匹を見つけたら、大喜びで肩に乗せて家に帰り、
友達や近所の人を呼び集め、
「いなくなった羊を見つけましたから、
いっしょに喜んでください」と言うのだそうです。




 そのように、さまよい出た人が帰ってくると
天では大きな喜びが起こるのだそうです。




 天の神、主は、この世の取るに足りない者、
見下されている者、無きに等しい者をあえて選ばれ、
御業を表すために用いて下さる方なのだそうですね(Ⅰコリント1:28)。
この新しい週も。












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身に覚えのないことで悪口を浴びせられるとき

2015-07-04 07:05:55 | 聖書から

私の神、主よ、
あなたを避けどころとします。
私を助け、負い迫るものから救ってください。詩編7:2



 わたし(イエス)のためにののしられ、迫害され、
身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、
あなたがたは幸いである。マタイ5:11



              (ローズンゲン日々の聖句7/4 ;土)




 イエスは、私たちに代わって、ののしられ、迫害され、
あらゆる悪口を浴びせられて下さり、
それを黙って受け取って下さったのだそうです。
裁判をしているローマ総督ピラトが不思議に思うほどに。




 イエスが生まれる700年ほど前に預言されたイザヤ書、
その53章に記されているとおりに、
彼は、「痛めつけられた。彼は苦しんだが口を開かない。
ほふり場に引かれて行く羊のように、
毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。

しいたげと、裁きによって彼は取り去られた。
彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。
彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、
生ける者の地から絶たれたことを」、
と預言された方だったのですね。




 芦の棒を持たされたら持ったまま、
いばらの冠を頭に突き刺されたら突き刺されたまま、
つばきを吐きかけられたら吐きかけられたまま、
身に覚えのない悪しざまな告訴にも、ひと言の抗弁もしないで、
鞭打たれたら鞭打たれるまま、
十字架をかつがされたらそのままかつぎ、
釘で打ち付けられるときも何の抵抗もしないで。

 まさしく、彼は「私たちのそむきの罪のために刺し通され、
私たちの咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた」(イザヤ53:4~6)と預言されたその方だったのですね。




 天の神、主は、私たちに、

この方を避けどころ、避難所とし、救い主とするよう提供して下さっているのだそうです。




 また、私たち、この世の人生で、
身に覚えのない悪口を言われたり、ののしられたり、
いじめにあったりすることがありますが、
それらをぜんぶイエスに持って行って、
聞いていただき、知っていただくとき、
あえて反発し、対立するのではなく、
平和な中でいつしか通り過ぎさせていただくことも出来るのだそうです。

 白黒の決着は、「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする」(ヘブル10:といわれる方にお任せして。




「あなたが私の避けどころ。
私を助け、負い迫る者から救ってください」と
叫んで行けるのですね。
この方に。
今日も。












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