朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のだそうですから。

2015-09-10 22:57:12 | 聖書から
多くの国々は主に帰依して、わたしの民となる。ゼヤリヤ書2:15




 すべての人に同じ主がおられ、
ご自分を呼び求めるすべての人を
豊かにお恵みになります。ロマ書10:12 

      (ローズンゲン日々の聖句9/11;金)
...

 もはや、ユダヤ人とギリシャ人との区別はなくなり、多くの国々が主に信頼して、救いを受け取り、

この方と心を一つにして歩むようになるのだそうですね。

 あの方は言われます。
「あなたがたに触れる者は、わたしのひとみに触れる者だ。
シオンの娘よ。喜び歌え。楽しめ。
見よ。わたしは来てあなたのただ中に住む。
―― 主のみ告げ ――
その日、多くの国々が主につき、彼らはわたしの民となり、
わたしはあなたのただ中に住む。
すべての肉なる者よ。主の前で静まれ。
主が立ち上がって、その聖なる住まいから来られるからだ」(ゼカリヤ2:6~13新改訳)と。

 「彼(イエス)に信頼する者は、失望させられることがない」(イザヤ28:16)のだそうです。

ユダヤ人とギリシャ人との区別なく、なのだそうです。
同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるので、

「主の名を呼び求める者は、だれでも救われ」(ロマ10:11~13)、

聖である霊と呼ばれる方をお迎えして、主の御思いを心においていただき、主と一つ思いにしていただいて生きるのだそうですから。
今日も。


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今おられ、かつておられ、やがて来られる方なのだそうですね。あの方。

2015-09-10 09:34:10 | 聖書から
主であるわたしは変わることがない。マラキ書3:6

 神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、
全能者がこう言われる。
「わたしはアルファであり、オメガである。」黙示録1:8
...
      (ローズンゲン日々の聖句9/10;木)


 天の神、主は、マラキを預言者として立て、マラキをとおして語っておられます。
「見よ。わたしは、使者を遣わす。
彼は私の前に道を整える。
あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。
あなたがたが望んでいる契約の使者が、見よ、来ている」と
万軍の主は仰せられる。
だれが、この方の来られる日に耐えられよう。
だれが、この方の現れるとき立っていられよう。
まことに、この方は、製錬する者の火、
布をさらす者の悪のようだ。
この方は、銀を製錬し、これをきよめる者として座に着き、
レビの子らをきよめ彼らを金のように、銀のように純粋にする。
彼らは、主に、義のささげ物をささげる者となり、
ユダとエルサレムのささげ物は
昔の日のように、ずっと前の年のように、主を喜ばせる。
『わたしは、さばきのため、あなたがたの所に近づく。
わたしは、ためらうことなく証人となり、
呪術者、姦淫を行う者、偽って誓う者、
不正な賃金で雇い人をしいたげ、
やもめやみなしごを苦しめる者、
在留異国人を押しのけて、わたしを恐れない者たちに、向かう。
 ―― 万軍の主は仰せられる ――
主であるわたしは変わることがない。
ヤコブの子らよ。
あなたがたは、滅ぼしつくされない。
あなたがたの先祖の時代から、あなたがたは、わたしのおきてを離れ、
それを守らなかった。
わたしのところに帰れ。そうすれば、
わたしもあなたがたのところに帰ろう」(マラキ3:1~7新改訳)と。


 また、使徒ヨハネをとおしても言われます。
「みよ、彼が、雲に乗って来られる。
すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。
地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く、しかり、アーメン。
神である主、今いまし、昔いまし、後に来られる方、
万物の支配者がこう言われる。
『わたしはアルファであり、オメガである』」(黙示録1:7~8)と。


 私たちは、やがて、天の雲に乗って来られる方、さらには、王として、突然、エルサレム神殿に来られる方が、かつて、貧しい処女マリヤを母として人となられた方(マタイ1:18~25)、エルサレムで、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえった(マタイ16:21)方であることを、その手と足に残る十字架刑で処刑されたときの、引き裂かれた釘のあと、死亡を確認するために、ローマ兵が槍で突き刺したわき腹の傷跡を持つ方であることを見ることになるのだそうです。


 私たち、この方の、十字架刑で処刑に合わせていただいて、「生まれたときからの霊」と呼ばれる私自身を処刑されたものとして、すべての罪の処罰が終わっている者としていただき、天に帰られたこの方、イエスが遣わされる「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えして、この方が私たちの心に来させて下さる、「父である神」と呼ばれる方の、私たち一人一人に持っていて下さる御思いをわが思いとして生きる者となり、やがて、ご自分と心を一つにして生きた者として、この方の前に立つようにしていただけるのだそうです。
今日も。


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