朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

神々の中の神、主の中の主、「わたしがそれだ」と仰る方が

2017-08-22 23:12:24 | 聖書から
あなたたちの神、主は神々の中の神、
主なる者の中の主、
偉大にして勇ましく畏(おそ)るべき神、
人を偏(かたよ)り見ず、賄賂(わいろ)を取ることをしない。申命記10:17

 イエス・キリストの言葉:
わたしは天と地の一切の権能を授かっている。マタイ28:18

 ヨハネ4:19~26
 使徒27:13~26(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/23;水)

天ともろもろの天の天、地とそこにあるすべてのものは、
天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方のものなのだそうですね。
この方は、私たち一人一人を恋い慕って、愛していてくださり、
私たちに、ご自分の子、家族になってほしいと言っておられるのだそうです。

だから、私たちも、心の包皮を切り捨て、
うなじのこわい、首筋の堅い、
自分の理性による善悪の判断を一番よいものとして、その判断のとおりを実現しようとし、
頑固に自分の判断を押し通そうとする私自身、〔生まれた時からの私〕という霊を
イエスの十字架刑での処刑に合わせてくださって、処刑済み、死んだものとしてくださり、
自分の善悪の判断は、イエスによって〔父である神〕の御前に投げ出しながら生きるようにしてくださるのだそうです。

そして、復活し、天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエスが派遣してくださる、〔聖である霊〕と呼ばれる方が来てくださり、
この方が、〔父である神〕の御思いを私たちの心に置いてくださるので、
私たちも、この、心に来た〔父である神〕の御思いによって行動する、心の包皮の取り除かれたものとしての生き方を生きるようにしてくださるのだそうです。

 〔御子である神〕、〔聖である霊〕と呼ばれる神が、〔父である神〕を愛し、
自分の思いが成ることではなく(ヨハネ6:38)、心を尽くし、精神を尽くして、〔父である神〕の御思いが成ることだけを願っておられる(申命記10:12)、
その愛の熱い御思いが私たちの心にも来るのだそうですから(エレミヤ31:33、エゼキエル36:26)。

人を偏り見ず、みなしごや、やもめのために正しい裁判を行い、
在留異国人を愛して、これに食物と着物を与えられる御思いも。

そして、イエスは、「このわたしがそれだ」と、〔御子である神〕だとおっしゃったのだそうです(ヨハネ4:26)。それで、イエスは、パウロが、ローマに護送される船の中で、ユーラクロンという暴風に遭い、
太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、
助かる最後の望みも絶たれようとしているとき、
パウロに現れ、パウロを通して、「皆さん。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。
昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。
『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザル(ローマ皇帝)の前に立ちます。
そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』 
ですから、皆さん。元気を出しなさい。
すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。
私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます」と言うことができるお方だったのですね(使徒27:13~26新改訳)。

このお方が、私たち一人一人を恋い慕って、愛していてくださり、
思いを同じくし、心を一つにしながら歩もうよと言っておられるのだそうですから。
今日も。
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約束による相続人にしてくださり

2017-08-22 07:50:05 | 聖書から
主はアブラハム、イサク、ヤコブと結んだ契約のゆえに、
彼らを恵み、憐れみ、御顔を向け、彼らを滅ぼそうとはなさらず、
今に至るまで、御前から捨てることはなさらなかった。列王記下13:23

 あなた方はもしキリストのものだとするなら、
即ち、アブラハムの子孫であり約束による相続人です。ガラテヤ書3:29

 哀歌1:1~11
 使徒27:1~12(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/22;火)

紀元前815年頃のこと、エフーの子エホアハズが北イスラエル王国の王となったのですが、
彼は主の目の前に悪を行い、
ネバテの子ヤロブアムの罪
(金の子牛を造って、ベテルとダンに置き、これを神として民に拝ませ、
民がエルサレム神殿に礼拝に行かなくてもいいようにした)
を犯し続けて、それを止めようとはしなかったのだそうです。

 それで、天の神、主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、
主は彼らをアラムの王ハザエルとハザエルの子ベン・ハダテの手にいつまでも渡しておられたのだそうです。
アラムの王ハザエルは、エホアハズの生きている間中、イスラエル人をしいたげたのですが、
主は、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約のゆえに、彼らを恵み、あわれみ、顧みて、
彼らを滅ぼし尽くすことは望まず、御顔をそむけてしまうことはなさらなかったのだそうです。

 私たちも、イエスの十字架刑での処刑を、自分の処刑としていただき、
復活され、天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエスを通して来てくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えして
、自分自身をキリストのものにしていただき、
この方が心に置いてくださる〔父である神〕の御思いを自分の思いとして生きる者は、
神の恵みによってアブラハムの子孫、約束による相続人として、〔父である神〕と親子の関係を持ちながら生きさせていただけるのだそうです。
今日も。
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