朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる御思いについて行って

2018-06-26 22:35:11 | 聖書から
 隣人に関して
偽証してはならない。出エジプト20:16

 万一だれかが
不注意にも何かの罪に陥ったなら、
そういう人を
柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。ガラテヤ書6:1

 ルカ3:10~18
 ホセア書4:1~14(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/27;水)

 私たち、
「神のひとりのようになり、善悪を知るようになっている」、
〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いは、
自分を守るため、
あるいは、自分を有利にするために偽証をすることもしてしまうもののようです。

 けれども、私たちは、
この〔生まれたときからの私〕という霊を、
私たちの身代わりとなり、
十字架刑での処刑を受けてくださったイエスに合わせていただいて、
処刑されたもの、死んだものとしていただけるのだそうです。

 そして、イエスは、墓に葬られ、
三日目に死人のうちから新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちの見守る中、
雲に迎えられ、
天の父である神の右の座に帰られたのだそうです。

 そのイエスを通して来てくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
〔父である神〕が私たち一人一人に思っておられる御思いを、
私たちの心に置いてくださるのだそうです。

 その、心に来た御思いによって導かれていく者は、
正しい証言をし、
あやまちに陥った人に対しても、
柔和な心で正してあげるようになるのだそうです(ガラテヤ6:1)。

 衣類や食べ物を余分に持っている者は、
持たない人と分け合いたいと思い、
決められた以上に取り立てたり、
力づくで金をゆすったり、
無実の者を責めたりすることを厭うようにも(ルカ3:11~14)。

 〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる御思いについて行ってみて。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

「あなたの御名こそ、栄えかがやきますように」と願う者に

2018-06-26 08:14:12 | 聖書から
 私たちにではなく、
主よ、私たちにではなく、
あなたの御名こそ、
栄え輝きますように。
あなたの慈しみとまことによって。詩115:1

 天におられる私たちに父よ、
御名が崇められますように。マタイ6:9

 ヨハネ1:19~28
 ホセア書3:1~5(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/26;火)

 〔御子である神〕も、
〔聖である霊〕と呼ばれる神も、
自らも、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
ご自分の栄光を求めることはせず、
自分の思いが成ることを求めず、
〔父である神〕への愛のゆえに、
ただ、ひたすら、〔父である神〕が崇められること、
〔父である神〕の御思いが成ることだけを求めておられるの方なのですね(ヨハネ5:19、6:38、8:28、12:50、16:13~14)。

 「神のひとりのようになり、善悪を知るように」なっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊は、
天の神、主に対抗して、自分の栄光を求め、
自分独りの善悪の判断のとおりに事を行って行こうとする者です。

 その、私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
私たちは、イエスが受けてくださった十字架刑での処刑で、
処刑されたもの、死んだものとしていただけるのだそうです。

 そして、そのイエスを通して来てくださる〔聖である霊〕とお迎えしたとき、
この方によって私たちの心に来る思いは、
〔御子である神〕、〔聖である霊〕と呼ばれる神の御思いと同じく、
〔父である神〕を愛する思い、
〔父である神〕の御名が崇められることをひたすら願う思い、なのだそうです。

 それで、私たちも、
イエスが弟子たちに教えられたように、
「天におられる私たちの父よ、
御名が崇められますように」と願うようになるのですね。

 バプテスマのヨハネが、活動を始めたとき、
人々は、この人こそキリストと期待したのだそうです。
あるいは、旧約時代の最大の預言者エリヤの再来、
あるいは、モーセが預言していた「あの預言者」か、と。

 しかし、バプテスマのヨハネは、
人々の期待に便乗して自分の栄光を求めることはせず、
自分を遣わされた方の御思いのとおりの分を守り、
自分は、キリスト出現の前に道を整えるために遣わされた者、
「私はその方のくつのひもを解く値打ちもありません」という場を守り、
イエスが栄光を受けられることを求めて行ったように(ヨハネ1:19~28)。

 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
「神のひとりのようになり、善悪を知るようになって」
自分の理性を神とし、
自分の理性による善し悪しの判断のままに、
自分の好む神を作って行く、
「的外れ」になった私たち、

 夫に愛されていながら、
姦通している女のような私たちを
なお、愛してくださって(ホセア3:1~5)、

 立ち返って、ご自分の「子」、家族に、
自分と心を一つにする者になって
自分と栄光を共にする者になってほしいと
願っていてくださるのだそうですから。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)