朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

私たちの恥は、イエスが全部、受けてくださって

2018-06-28 22:33:55 | 聖書から
 お前が
自分の道を思い起こし、
恥を負うとき、
わたしは
全てのことについて
お前を赦す。エゼキエル書16:61、63

 パウロの手紙:
「キリスト・イエスは、
罪人を救う為に世に来られた」という言葉は
真実で
そのまま受け入れるに値します。
私は罪びとの中で最たる者です。Ⅰテモテ1:15

 ヨハネ6:37~40(41~46)
 ホセア書6:1~6(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/29;金)

 私たちの行い、
心に思うことのすべてが、
天の神、主の御前で明らかにされ、
白日の下にさらされる時が来るのだそうです。

 そのとき、私たちは
どのような大恥をかくことになるのか。

 けれども、〔父である神〕は、
私たちのそむきのすべてを赦そうとしていてくださるのだそうです。

 私たちが赦されるために、
〔神の御子〕であられる方が、
人間イエスとなって人の世に来られ、
私たちの身代わりになって、
私たちに代わって、ご自身の身に私たちの背きの責任を負い、
神に呪われたものとして木に架けられてくださり、
処刑を受けてくださったのだそうです。

 まさしく、イエスは、
罪人である私たちを救う為に
この人間の世に来てくださったのですね。

 イエスは言われます。
「わたしが天から下って来たのは、
自分の思いを行うためではなく、
わたしを遣わした方のみこころを行うためです。
わたしのところに来る者を、
わたしは決して捨てません。

 わたしを遣わしたみこころは、
わたしに与えてくださったすべての者を、
わたしがひとりも失うことなく、
ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。

 事実、わたしの父のみこころは、
子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。
わたしはその人たちをひとりひとり
終わりの日によみがえらせます」(ヨハネ6:37~40)、と。

 私たちの恥は、全部ご自身が受けてくださって、
私たちには、
ご自身の、神の子の栄光で包んでくださるのだそうですから。

 それで、私たちも言うのですね。
「さあ、主に立ち返ろう。
主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、
私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。

 主は二日の後、私たちを生き返らせ、
三日目に私たちを立ち上がらせる。
私たちは、御前に生きるのだ。
私たちは知ろう。
主を知ることを切に追い求めよう。
主は暁の光のように、確かに現れ、
大雨のように、私たちのところに来、
後の雨のように、地を潤される」(ホセア6:1~3)、と。

 イエスによる赦しの中で。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

神に聞いて行くなら。自分の思いはイエスに差し出して

2018-06-28 08:39:17 | 聖書から
 悪を行う者は
そのたくらみを捨てよ。
主に立ち帰るならば、
豊かに赦してくださる。イザヤ書55:7

 ザアカイは立ち上がって主に言った。
「主よ、私は
財産の半分を貧しい人々に施します。
また、誰かから何かをだまし取っていたら、
それを4倍にして返します。」
イエスは言われた。
「今日、救いがこの家を訪れた。」ルカ19:8~9

 使徒13:15~25
 ホセア書5:8~15(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/28;木)

 私たちは、
「神のひとりのようになり、
善悪を知るようになっている」(創世記3:5、22)
自分の理性の判断のままに
いろいろ計画を立てる者です。

 けれども、私たちの造り主である、天の神、主は、
ご自身の側で赦しの道を用意して、言っておられるのだそうです。
「わたしのもとに帰って来てほしい。
わたしと心を一つにして歩む者になってほしい」と。

 ザアカイは、自分の理性による善し悪しの判断のままに、
金を神とし、
人々から嫌われ、除け者にされる取税人になり、
金持ちになる道を突き進んだ人のようです。

 けれども、イエスが、
自分から進んでザアカイを名指しで呼び、
ザアカイの家の客となってくださり、
ザアカイのうちにあって、このような思いを与えられたのでしょうか。

 ザアカイは、喜びに満たされ、
誰からも、何も言われていないのに、
自分から進んでこのようにイエスに申し出たのだそうです。
財産の半分を貧しい人に施し、
だまし取った物は、4倍にして返します、と。

 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
このように、
「神のひとりのようになり、
善悪を知るようになった」(創世記3:5、22)私たち、
ご自身のもとからさまよい出て、
背き、対立、対抗して生きるようになった私たち人間を、
ご自身のもとに取り戻そうとされているのだそうです。

 「われわれのかたちとして、
われわれに似せた者」(創世記1:26)に。
〔父である神〕、
〔御子である神〕、
〔聖である霊〕と呼ばれる神が、
愛において、自由意思で、自発的に、一つになっていらっしゃる、
その一つに愛において、自由意思で自発的に加わる者に、と。

 それで、天の神、主は、この人間の歴史を導き、
ひとりの人、カルデヤのウルにいたアブラハムを選び、
その一族をエジプトに寄留させ、
そこで一つの民族に成長させ、
奴隷状態にされていたその民のもとにモーセを派遣し、
御腕を高く上げて、彼らをその地から導き出されたのだそうです。

 そして、アブラハムに約束しておられたとおりに、
カナンの地に民を道びき入れ、
その地を相続財産として分配されたのだそうです。

 そして、エッサイの子ダビデを、
羊を飼っている野から選び出してイスラエルの王とされました。

 そして、約束に従って、
〔御子である神〕が、
このダビデの子孫のマリヤから、
救い主イエスとして生まれるようにされたのだそうです。

 エルサレムに住む人々とその指導者たちは、
このイエスを認めず、
イエスを罪に定めて、
死罪に当たる何の理由も見いだせなかったのに、
当時、イスラエルを支配していたローマの総督ピラトに、
イエスを殺すよう強要し、
十字架刑で処刑させたのだそうです。

 しかし、〔父である神〕は、
墓に葬られたこのイエスを死者の中からよみがえらせたのですね。
イエスは幾日にもわたり、
ご自分といっしょにガリラヤからエルサレムに上った人たちに現れ、
その人たちがイエスの復活の証人となりました(使徒13:15~31)。

 〔父である神〕は、このイエスを、ご自分の右の座に返らせ、
このイエスを通してもう一人の方、
〔聖である霊〕と呼ばれる神を受け入れる者に派遣し、
この方によって、
ご自身が私たち一人一人に思っておられる御思いを、
私たちの心の置き、心に書きしるして、
受け入れる者がご自身と一つ思い、
一つ心になるようにしてくださるのだそうです(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 天の神、主は、
私たち一人一人を通してしようと思っておられる御思いがあるのだそうですから。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)