朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

神の、救いの力の偉大さを体験してほしい、と

2019-12-19 23:08:56 | 聖書から
主は言われる。
「わたしの手は短すぎて贖(あがな)うことができず、
わたしには
救い出す力がないというのか。」イザヤ書50:2



 神が
私たちの心の目を開いてくださるように。
そして神の招きにより、
いかに希望が与えられ、
聖なる者たちの受け継ぐものが
いかに豊かな栄光に輝いているか、
神の力がいかに大きなものか
悟らせてくださるように。エフェソ書1:18~19



 イザヤ書42:5~9
 イザヤ書51:1~8(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句12/20;金)


 私たちは、とかく、
神の手は短くて私を助けることができない、
神には私たちを救いだす力がないと思いがちです。



 けれども、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は言われるのですね。
「なぜ、わたしが来たとき、だれもおらず、
わたしが呼んだのに、だれも答えなかったのか。
見よ。わたしは、しかって海を干上がらせ、
多くの川を荒野とする。
わたしは天をやみでおおい、
荒布をそのおおいとする」(イザヤ)50:2~3)、と。



 そんな私たちですけれど、
もし、神が私たちの心の目を開いてくださって
はっきり見えるようにしてくださるなら、
私たちも、
神の召し、招きにより与えられる希望がどのようなものか、
私たちに受け継がせようとしていてくださるものが、
どのように栄光に輝いているものか、
私たちに働く神の全能の力が
どのように偉大なものであるのかを見ることができるのですね。


 神は、天を造り出し、これを引き延べ、
地とその産物を押し広め、
その上の民に息を与え、
この上を歩む者に霊を授けた方。


 その方が言われます。
「わたし、【主】は、
義をもってあなたを召し、
あなたの手を握り、
あなたを見守り、
あなたを民の契約とし、国々の光とする。
こうして、見えない目を開き、
囚人を牢獄から、
やみの中に住む者を獄屋から連れ出す。
わたしは【主】、「『わたしはある(I am)』という者」
これがわたしの名。
わたしの栄光を他の者に、
わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない。
先の事は、見よ、(預言したとおりに)すでに起こった。
新しい事を、私は告げよう。
それが起こる前に、あなたがたに聞かせよう。」(イザヤ)42:5~9新改訳)


 また、言われます。
「義を追い求める者、【主】を尋ね求める者よ。
わたしに聞け。
あなたがたの切り出された岩、
掘り出された穴を見よ。
あなたがたの父アブラハムと、
あなたがたを産んだサラのことを考えてみよ。
わたしが彼一人を呼び出し、
わたしが彼を祝福し、
彼の子孫を増やしたことを。
まことに【主】はシオン(エルサレム)を慰め、
そのすべての廃墟を慰めて、
その荒野をエデンのようにし、
その砂漠を【主】の園のようにする。
そこには楽しみと喜び、感謝と歌声とがある。
わたしの民よ。わたしに心を留めよ。
わたしの国民よ。わたしに耳を傾けよ。
おしえはわたしから出、
わたしはわたしの公義を定め、
国々の民の光とする。
わたしの義は近い。
わたしの救いはすでに出ている。
わたしの腕は国々の民をさばく。
島々はわたしを待ち望み、
わたしの腕に拠り頼む。
目を上げよ。また下の地を見よ。
天は煙のように消え失せ、
地は衣のように古びて、
その上に住む者は、ぶよのように死ぬ。
しかし、わたしの救いはとこしえに続き、
わたしの義はくじけないからだ。
義を知る者、心にわたしのおしえを持つ民よ。
わたしに聞け。
人のそしりを恐れるな。
彼らのののしりにくじけるな。
しみが彼らを衣のように食い尽くし、
虫が彼らを羊毛のように食い尽くす。
しかし、わたしの義はとこしえに続き、
わたしの救いは代々にわたるからだ。」(イザヤ51:1~8)


 私たちも、【聖である霊】と呼ばれる方によって
心の目を開いていただき、
この方の救い、御力の現れの中に。

今日も。



(近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、

教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、

等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)



〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉
〈(復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉



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私の助けは、天と地を造られた主から来る

2019-12-19 08:01:44 | 聖書から
目を上げて、私は山々を仰ぐ。
私の助けはどこから来るのか。
私の助けは来る、
天地を造られた主のもとから。詩121:1~2



 あなたがたも忍耐しなさい。
心を固く保ちなさい。
主が来られる時が迫っているからです。ヤコブ書5:8



 イザヤ書11:10~13
 イザヤ書50:4~11(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句12/19;木)


 目を上げて、
天の御座におられる方を仰ぐのですね。
私たちの助けはこの方から、
天と地を創造された方から来るのだそうですから。
心を強くし、固く保ち、期待をもって待ち望むのですね。
神から来る助けを。

そして、主イエスが二度目に来られる時が間近になっているのだそうですから。


 「その日、
エッサイ(ダビデ王の父)の根(子孫)は、
国々の旗として立ち、
国々は彼を求め、
彼のいこう所は栄光に輝く。
その日、主は再び御手を伸ばし、
御自分の民の残りを買い取られる。
主は、国々のために旗を揚げ、
イスラエルの散らされたものを取り集め、
ユダの散らされた者を
地の四隅から集められる。」(イザヤ11:10~12)
のだそうですから。



 「神である主は、私に弟子の舌を与え、
疲れた者をことばで励ますことを教え、

朝ごとに、私を呼びさまし、
私の耳を開かせて、
私が弟子のように聞くようにされる。
神である主は、私の耳を開かれた。
私は逆らわず、後に退きもせず、
打つ者に私の背中をまかせ、

ひげを抜く者に私の頬(ほお)を任せ、
侮辱されても、つばきをかけられても、
私の顔を隠さなかった。


 しかし、神である主は、私を助ける。

それゆえ、私は、侮辱されなかった。
それゆえ、私は顔を火打石のようにし、
恥を見てはならないと知った。
私を義とする方が近くにおられる。
だれが私と争うのか。
さあ、さばきの座に共に立とう。
どんな者が、私を訴えるのか。
私のところに出て来い。
見よ。神である主が、私を助ける。
だれが私を罪に定めるのか。
見よ。彼らはみな、衣のように古び、
しみが彼らを食い尽くす。」(イザヤ50:4~9)



 私たちも助け主である方に目を上げ、この方の救いを待ち望んで。

今日も。



(近くの教会を知りたい等、
また、教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、
また、婚活で広く出会いを求めたい、

等のお問い合わせは
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)



〈(復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉
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