朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

この世界を造られ、今も、万物を保っておられる方が

2019-12-25 22:47:45 | 聖書から
もろもろの王よ、聞け。
君主らよ、耳を傾けよ。
私は主に向かって歌う。
イスラエルの神、主に向かって、
私は賛美の歌をうたう。士師記5:3



 その光景(天使の賛美、飼い葉おけに寝ておられるみどりご)を見て、
羊飼い達は、
この幼子について天使が話してくれた事を
人々に知らせた。
聞いた者は皆、
羊飼い達の話を不思議に思った。ルカ2:17~18



 マタイ1:18~25
 ヘブル書1:1~4(5~14)
 ルカ2:29~32(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句12/26;木)

 士師エフデやシャムガルがいなくなると
イスラエルの人々はまた、
【主】、「『わたしはある(I am』という者)と名乗られる方の前に
悪を行ったのだそうです。



 それで【主】は、
ハツォル(ガリラヤ湖の北にある町)で治めていた
カナンの王ヤビンの手に彼らを渡されたので、
ヤビンの将軍シセラは、20年の間、イスラエルの人々を圧迫したのだそうです。



 イスラエルの人々は【主】に叫び求めたので、
【主】は、ナフタリ部族のアビノアムの子バラクを立て、
シセラの軍が鉄の戦車900両と多くの民を引き連れて、
エスドラエロン(エズレル)平原のキション川に布陣した時、
大雨を降らせてぬかるませ、戦車が動けなくし、
イスラエルの人々がシセラの軍を全滅させるようにされたのだそうです。



 その時、女預言者デボラとアビノアムの子バラクは、
このようにイスラエルの神、【主】に向かって賛美の歌を歌ったのですね。(士師記4:1~5:31)



 そして、天使によって救い主の誕生を告げられた羊飼いたちは、
急いでベツレヘムに行き、
告げられたとおりに、
布にくるまって飼葉おけに寝ているみどりごを捜し当て、
天使が話してくれたことを人々に知らせたのだそうです。

 

 この赤ん坊について、
母マリヤのいいなづけのヨセフは、
マリヤのお腹が大きくなったのを知って、
自分には覚えのないことであり、
マリヤを他の男に通じた者としてさらし者にはしたくなかったので、
内密に婚約を解消しようと思いめぐらしていたのだそうです。



 そのとき、主の使いが夢に現れて言ったのですね。
「ダビデの子(子孫)、ヨセフ。
恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。
その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
マリヤは男の子を産みます。その名をイエス(【主】は救い)とつけなさい。
この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」、と。



 それで、ヨセフは、命じられたとおりに、マリヤを妻として迎え入れ、
そして、その子どもが生まれるまでは彼女を知ることがなく、
その子どもの名をイエスとつけたのだそうです。(マタイ1:18~25)



 この方、イエスは、
神の御子、天地、宇宙と地球、この世界を造られた方であり、
神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、
その力あるみことばによって万物を保っておられる方。



 また、自分から、私たちに代わって十字架刑での処刑を受け、
私たちの罪のきよめを成し遂げて、
すぐれて高い所の大能者の右の座に着いておられる方。(ヘブル1:2~3)



 この方による私たちの救いは、
【父である神】が万民の前に供えられたもので、
異邦人(イスラエルの国籍を持たない人々)を照らす啓示の光、
御民イスラエルの光栄」(ルカ2:29~32)なのだそうですから。



 私たちも、この方に賛美の歌をささげて。
今日も。



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義と認められ、永遠のいのちの希望によって、相続人に

2019-12-25 00:00:00 | 聖書から
わが民は二つの悪を行った。
生ける水の源であるわたしを捨てて、
無用の水溜を掘った。
水をためることのできない
こわれた水溜を。エレミヤ書2:13



 私たちが神を愛したのではなく、
神が私たちを愛して、
私たちの罪を償(つぐな)ういけにえとして
御子をおつかわしになりました。
ここに愛があります。Ⅰヨハネ4:10



 ヨハネ1:1~5、9~14(16~18)
 テトス書3:4~7
 ルカ1:46~55(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句12/25;水 降誕祭)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は
嘆いておられるのですね。
ご自身の民が二つの悪、
生ける水の源であるご自身を捨て、
水をためることもできない水溜を掘り、
これに拠り頼んでいる、と。



 そのような私たちを、なお、見捨てないで、
大切に思ってくださり、
私たちの罪、「的外れ」を償(つぐな)う代価として
御子である方を人間イエスとして人の世に派遣し、
この方を私たちの身代わりとして十字架刑で処刑し、
この方のいのちをもって
私たちを処罰が終わっている者とし、
ご自分の子として受け入れてくださるのだそうですから。


 初めに、ことばがあった。
ことばは神とともにあった。
ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。
すべてのものは、この方によって造られた。
造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。


 この方にいのちがあった。
このいのちは人の光であった。
光はやみの中に輝いている。
やみはこれに打ち勝たなかった。



 すべての人を照らすそのまことの光が
世に来ようとしていた。

この方はもとから世におられ、
世はこの方によって造られたのに、
世はこの方を知らなかった。
この方はご自分の国に来られたのに、
ご自分の民は受け入れなかった。
しかし、この方を受け入れた人々は、
血によってではなく、
肉の欲求や人の意欲によってでもなく、
神によって(新しく)生まれたのである。



 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。
私たちはこの方の栄光を見た。
父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。
この方は恵みとまことに満ちておられた。(ヨハネ1:1~5、9~14新改訳)


 私たちの救い主なる神のいつくしみと
人への愛が現れたとき、
神は、私たちが行った義のわざによってではなく、
ご自分のあわれみのゆえに、
聖霊による、新生と更新との洗いをもって
私たちを救ってくださいました。
神は、この聖霊を、
私たちの救い主なるイエス・キリストによって、
私たちに豊かに注いでくださったのです。
それは、私たちがキリストの恵みによって
義と認められ、
永遠のいのちの望みによって、
相続人となるためです。(テトス3:4~7)





それで、イエスをみごもったマリヤはうたうのですね。
「わがたましいは主をあがめ、
わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
主はこの卑(いや)しいはしために
目を留めてくださったからです。
ほんとうに、これからのち、どの時代の人々も、
私をしあわせ者と思うでしょう。
力ある方が、
私に大きなことをしてくださいました。
その御名は聖(きよ)く、
そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、
代々にわたって及びます。」(ルカ1:46~50)、と。


 私たちも、
私たち自身である、
「神のひとりのようになり、善悪を知るようになっている」
〔生まれたときからの私〕という霊から出た業は、
役に立たない、
水をためることのできないこわれた水溜のようであることを認めて、
イエスによって実現した
【父である神】の愛とあわれみの中へと。
今日も。



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