朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

鳥でさえも、帰る時を知っているのに、

2015-12-26 06:32:08 | 聖書から
空を飛ぶこうのとりもその季節を知っている。

 山鳩もつばめも鶴も、渡るときを守る。

  しかし、わが民は主の定めを知ろうとしない。エレミヤ書8:7




だから、私たちは聞いたことに

 いっそう注意を払わねばなりません。

  そうでないと、押し流されてしまいます。ヘブル2:1




          (ローズンゲン日々の聖句12/26;土)




 主はこう仰って嘆いておられるのだそうです。

「倒れたら、起き上がらないだろうか。

背信者となったら、悔い改めないだろうか。

なぜ、この民エルサレムは、

背信者となり、背信を続けているのか。

彼らはあざむきにすがりつき、帰って来ようとしない。

『私はなんということをしたのか』と言って、

自分の悪行を悔いる者は、一人もいない。

彼らはみな、戦いに突入する馬のように、

自分の走路に走り去る」(エレミヤ8:4~6新改訳)と。




 帰って来るのを待っておられるのですね。あの方。

御自身のほうで、帰る道を用意し、

御子の命を買い戻しの代金として差し出し、

償いを全部済ませて、

帰って来さえすればいいようにしていてくださるのだそうです。

それで、そのことをよく聞いて、よく分かって欲しいのだそうですね。




 帰って来て、相続権を持つ子となって、

御自身と思いを一つにし、心を一つにしていって欲しいのだそうです。

今日も。


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賛美を献げるのですね。約束の言葉が、そのとおりに実現するのを見て。私たちも

2015-12-24 22:55:40 | 聖書から
ダビデとすべてのイスラエル人は、

 神の御前で力を込めて、歌をうたい、

   竪琴、太鼓、シンバル、ラッパを奏でた。歴代誌上13:8




羊飼いたちは、

 見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、

   神をあがめ、賛美しながら帰って行った。ルカ2:20




        (ローズンゲン日々の聖句12/25;金)




 旧約聖書に記されている約束の預言が、

イエスによって実現しているのを見て、

賛美をささげるのですね。私たちも。



 たしかに、神は、私たちの行った義の業によってではなく、

ご自分のあわれみのゆえに、

聖霊による更新と洗いをもって、

私たちを救ってくださいました。

神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、

私たちに豊かに注いてくださったのです。

それは、これを受け取る者たちがキリストの恵みによって義と認められ、

永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです(テトス3:5~7新改訳)。


 あの方は、

これから先のことも、

預言のとおりに、

必ず、実現なさることを期待して。
今日も。


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イエス(主は救い)と名づけられた方が、

2015-12-24 07:57:46 | 聖書から
お前たちの罪が神の御顔を隠させ、

 お前たちに耳を傾けられるのを妨げているのだ。イザヤ書59:2




 天使はマリアに言った:

マリアは男の子を産む。

 その子をイエスと名づけなさい。

   この子は自分の民を罪から救うからである。マタイ1:21




          (ローズンゲン日々の聖句12/24;木)




 天の神、主の御手が短くて救えないのではなく、

その耳が遠くて、聞こえないのでもないのだそうです。




天の神、主と私たちとのあいだのしきりとなり、壁となっている私たちの背きの罪、

それを取り除くために来て下さった方、

それがイエスなのだそうです。




 この方は、御子、あるいは独り子である神と呼ばれ、

神のことばの役目を担っておられる方なのだそうですが、

天地が造られる以前から父である神と呼ばれる方と共におられ、

父である神、聖である霊と呼ばれる神と共に天地、この宇宙の創造、

私たち人間の創造に直接かかわっておられた方なのだそうです。




 だから、「すべてのものは、この方によって造られた。

造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない」(ヨハネ1:3)と

言われているのですね。




「世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。

この方は、御自分の国に来られたのに、

御自分の民はこの方を受け入れなかったのだそうです。




しかし、この方を受け入れた人々、

すなわち、その名を信じた人々には、

神の子どもとされる特権を与えてくださるのだそうです(ヨハネ1:10~12)。




イエスは、私たちの罪を背負って十字架刑で処刑されるために

この世に生れてくださったのだそうですが、

約束のとおりに、十字架に架かられ、墓に葬られ、

三日目に死人のうちよりよみがえり、

天の父である神の右の座に着いておられ、

聖である霊、神の子の身分を授ける霊(ロマ8:15)と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。




 この方、イエスが遣わしてくださる聖である霊と呼ばれる方をお迎えするなら、

わたしたちも、神の子の身分を与えていただいて、

子として、天の父とお呼びしている方と心を一つにして歩めるようにしていただけるのだそうです。

天の父の御思いを地にもたらす者として。

今日も。


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手を差し伸べ続けていてくださるのだそうですね。絶えず、私たちに。

2015-12-22 23:02:51 | 聖書から
わたしは、反逆の民、思いのままに良くない道を歩く民に

  絶えることなく手を差し伸べて来た。イザヤ65:2




まだ遠く離れていたのに、

 父親は息子を見つけて、憐れに思い、

   走り寄って首を抱き、接吻した。ルカ15:20〜21




         (ローズンゲン日々の聖句12/23;水)




  家出をしたわが子に、帰って来て欲しいと、

その時を待ち続けている父親のようなのだそうです。

天の神、主は。




 御父と御子、聖である霊と呼ばれる方が心をひとつにしているように、

心を一つにする者をと願われて造られた私たち人間(創世記1:26)。




 それを嫌い、神のひとりのようになり、善悪を知るようになろうとしている私たち。

自分の理性を神とし、その判断を最良のものとして、

その思いのままに生きようとする者(創世記3:22)。




「私は天に上ろう。

神の星々のはるか上に私の王座を上げ、

北の果てにある会合の山に座ろう。

密雲の頂に上り、

いと高き方のようになろう」(イザヤ14:13~14)とする性質を持つ者なのですね。

私たち。




 自分が他よりもすぐれていなければ気がすまず、

良いものの全部を独り占めしようとする者。

その心に計ることはみな、悪いことに傾き(創世記6:5)、

そこに満ちるのは暴虐(創世記6:11)。




 天の神、主は、イスラエルを通した実験で、

私たち人間に期待できないことが明らかになった時点で、

新しい約束を予告してくださったのだそうです。




新しい霊、聖である霊と呼ばれる方をわたしたちのうちに派遣して、

この方の働きによって、御自身の御思いを心に書き付け、

御自身と思いを一つにする者にしてくださる(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。




 そして、その新しい霊、聖である霊と呼ばれる方が来てくださるために、

御子である方が、人となって人間の世に生れられ、

この方がおよそ33歳の頃、十字架刑に架けて処刑され、

私たちすべての人間の、すべての罪を処刑済みとしてくださり、

聖である霊と呼ばれる方が来られても、私たちが滅びないで済むようにしてくださったのだそうです。




 イエスが、私たちに代わって十字架に架かってくださり、

墓に葬られ、三日目に死人のうちからよみがえられた今、

私たちが承諾さえすれば、聖である霊と呼ばれる方が私たちのうちに来てくださり(使徒2:38)、

私たちが、御父とひとつ思いを持つようにして、

御父が私たち一人一人を通してしようと思われることをするようにし、

御父の御思いをこの地にもたらす者にしていただけるのだそうですね。

私たちが承諾さえすれば。

今日も。


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キリストが私たちを受け入れてくださったように

2015-12-21 23:36:39 | 聖書から
寄留者があなたの土地に共に住んでいるなら、

  彼を虐げてはならない。レビ記19:33




神の栄光のために

 キリストがあなたがたを受け入れてくださったように、

   あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。ロマ書15:7  




          (ローズンゲン日々の聖句12/22;火)

 

 他国人、異なった人種、文化の人達を受け入れておられるのだそうですね。あの方。

多様性をもった一つ、なのだそうですから、

キリストのからだを呼ばれる集まりは。

ちょうど、私たちの身体も、多くの異なった働きをする器官がありながら、

一つ身体であるのと同じように、なのだそうです。




 神のひとりのようになろうとし、善悪を知るようになった私たちは(創世記3:22)、

密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう(イザヤ14:14)とする者なのですね。

それで、自分が他よりも自分が上でないと気が済まなくて、

他をしいたげ、自分の支配下に置こうとするのだそうです。




 けれども、私たちに代わって十字架刑で処刑されてくださり、

墓に葬られ、三日目に復活され、

天の御父の右の座に帰られたイエスが派遣してくださる聖である霊と呼ばれる方は、

受け入れる者の心に、天の御父の思いを書き付けてくださるのだそうですね。




 それで、私たちの心にも、互いを受け入れる思いを書き付けてくださるので、

御父と思いを一つにしておられるイエスが、

御父の思いに従って私たちを受け入れてくださっているように、

この聖である霊の働きを受ける者も、互いに相手を受け入れるようにしていただけるのだそうです。

今日も。


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