朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

私たちを必要を前もって用意し、私たちを見守りながら

2021-11-25 21:48:16 | 聖書から
耳を植え付けた方が聞かないだろうか。
目を造られた方が見ないだろうか。詩94:9

あなたがたの父は、
あなたがたが願う前から、
あなたがたに必要なものを
ご存じなのだ。マタイ6:8

 ヘブル書13:10~16
 Ⅱテサロニケ2:13~3:5(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』11/26;金)



     ―――― ☆ ――――


 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちの耳を、目を造られた方。

だから、この方が私たちを見てなかったり、
聞いていないということはないというのですね。



この方は、私たち一人一人を父親の腰の中で造り始められ、
母の胎の中で組み立てられた方。
私たちに何が必要かを知っておられる方なのですね。





 罪のきよめのための動物の血は
聖所の中に持って行かれますが、
そのからだは宿営の外で焼かれます。


それで、私たち、すべての人間の
罪のきよめのためのささげ物となったイエスは、
ご自分の血によって私たちを聖なる者とするために、
門の外(エルサレム城外)で苦しみを受けられました。

ですから私たちも、イエスの辱はずかしめを身に負い、
宿営の外に出て、御もとに行くのですね。
私たちは、いつまでも続く都を
この地上に持っているのではなく、
来るべき都を求めているのですから。

それで私たちは、イエスを通して、賛美のいけにえ、
御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげるのですね。
善を行う、分かち合うという、
神に喜ばれるささげものをささげながら。(ヘブル13:10~16)




 神は、御霊みたまによる聖別と、真理に対する信頼によって、
私たちを救いに選んでくださいました。
神は、福音(イエスに関する良い知らせに)によって
私たちを召し、
私たちの主イエス・キリストの栄光にあずかる者と
してくださいました。



それで、私たち、この伝えられた「良い知らせ」に
しっかりと留まるのですね。

イエスによって私たちの父となってくださった神は、
私たちを愛し、永遠の慰めとすばらしい望みを、
恵みによって私たちに与えて、
私たちの心を慰め、強めて、
あらゆる良いわざとことばに進ませてくださり、
私たちを強くし、悪いものから守り、
私たちの心を導いて神の愛とキリストの忍耐に
向けさせてくださるのだそうですから。(Ⅱテサロニケ2:13~3;5)


私たちのすべてを見ていてくださって。

今日も。





~~~~~~~~

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神の民、神の家族の生き方を

2021-11-24 19:44:19 | 聖書から
あなたがたのところで、
みなしごは憐れみを見いだす。ホセア書14:4

あなたがたは、今や
よそ者でも寄留者でもなく、
聖なる者たちと同じ民であり、
神の家族の成員です。エフェソ書2:19



 Ⅰテサロニケ5:9~15
 Ⅱテサロニケ2:1~12(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』11/25;木)



     ―――― ☆ ――――


 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)のみもとで、
その神の御思いが実行されているところでは、
みなしごもあわれみを見いだすのですね。



私たちも、キリストから遠く離れ、
イスラエルの国籍からは除外され、
約束の契約については他国人で、
この世にあって望みもなく、神もない者でしたが、
イエスに信頼し、イエスにある者としていただき、
他国人でも寄留者でもなく、
神の民、神の家族としていただけるのだそうです。



神である主は私たちが、御怒りを受けるのではなく、
イエスに信頼し、イエスによる救いを受け取るよう、
望んでおられるのだそうですから。



イエスは、私たちが神の家族として、
目を覚ましていても、眠っていても、イエスとともに生きる、
イエスと思いを一つにして生きるようになるために、
十字架刑での処刑を受け死んでくださったのだそうですから。

私たち自身である〔生まれたときからの私〕という霊を、
イエスの十字架刑での死に合わせていただき、
処刑され、死んだものと認めて、
この〔生まれたときからの私〕という霊から出てくる思いを
イエスの御前に差し出し、投げ捨てながら。

そして、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いで生きるようにしていただいて。

それで私たちも、この【父である神】の御思いのとおりに、
互いに励まし合い、互いを高め合うようになるのですね。

私たちの間で労苦し、私たちを指導し、
訓戒している人たちを重んじ、
その働きのゆえに、愛をもって、尊敬を払い、
また、お互いに平和を保って。



怠惰な者を諭し、小心な者、悲嘆に暮れている者を励まし、
弱い者の世話をし、すべての人に寛容な心になって。

悪に対して悪を帰さないようにし、
互いの間で、またすべての人に対して、
いつも善を行うように努めるようにしていただいて。(Ⅰテサロニケ5:9~15)



 
 パウロは言います。
「私たちの主イエスの(二度目の)来臨と、
そのとき私たちがイエスのみもとに集められることに関して、
その日がすでに来たかのように言われるのを聞いても、
落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください。

だれにもだまされてはいけません。
まず背教が起こり、不法の者、
すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないのです。

不法の者は、すべて神と呼ばれるもの、
礼拝されるものに対抗して自分を高く上げ、
ついには自分こそ神であると宣言して、
神の宮に座ることになります。

不法の秘密、ひそかな働きはすでになされていますが、
そのときになると公然と現れます。

主イエスは彼を御口の息をもって殺し、
来臨の輝きをもって滅ぼされます。

不法の者は、サタンの働きによって到来し、
あらゆる力、偽りのしるしと不思議、
また、あらゆる悪の欺あざむきをもって、滅びる者たちに臨みます。

彼らが滅びるのは、自分を救う真理を、
愛をもって受け入れなかったからです。
彼らは偽りを信じるようになり、真理を信じないで、
不義を喜んでいた者としてさばかれます。」(Ⅱテサロニケ2:1~12)




 私たちも、その、「主の日」、イエスが来られて
私たちがみもとに集められ、
いつも、イエスと一緒にいるようになるその日を望みながら、
【聖である霊】と呼ばれる方によって
【父である神】と思いを一つにしていただきながら
進み続けるのですね。
神の家族としての歩みを。

今日も。





~~~~~~~~

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どの土台の上に人生という家を建てているのか

2021-11-23 23:35:00 | 聖書から
あなたがたの中に毒草やにがよもぎの根が
あってはならない。申命記29:17

主が互いの愛と、
どんな人に対しても変わらない愛を
あなたがたがに育て、
ますます豊かにしてくださいますように。
私たちがあなたがたに
そうしているように。Ⅰテサロニケ3:12



 Ⅰコリント3:9~15
 Ⅱテサロニケ1:1~12(通読箇所)
1   (ローズンゲン『日々の聖句』11/24;水)



     ―――― ☆ ――――



 にがよもぎの根があるのですね。私たちには。
私たち、「神の一人のようになり、善悪を知る」ように
なっている者のなのですから。



私たち人間は、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)により、
「われわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう」
との願いによって造られた者。


【父である神】、【御子である神】、
【聖である霊】と呼ばれる方が、
それぞれ、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
愛において、自由意思で、自発的に
自分の思いが成ることよりも、相手の思いが成ることを
願っておられ、心を一つにしておられる(ヨハネ6:38、8:28、14:10、16:13~14)、
その一つに加わる者をとの願いによって造られて。

それなのに、最初の人、アダムとエバは、
その、神と思いを一つにしていく立ち場に満足せず、
もっと素晴らしいもの、神と対等なものになろうとして、
神に対立、対抗していく者になり、
神の創造の目的から「的外れ」になっているのですから。(創世記3:22)



そして、アダムの子孫として生まれて来ている私たちは、
この「的外れ」の性質を受け継いで
生まれてきているのですから。




 それで、天の神、【主】は、
その、「神の一人のようになり、善悪を知る」ようになっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を処刑するために、
身代わりの死による贖あがないを計画されたのだそうです。



【御子である神】を人間イエスとして人の世に送り、
この方を処刑することで
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を死んだもの、
処刑が終わっている者としてくださろうと。


そして【父である神】は、
この、私たち、すべての人間の身代わりとなり、
十字架刑での処刑を受けられ、墓に納められたイエスを、
三日目、日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活させ、
40日の間、何度も弟子たちに現れさせ、
イエスは確かに生きていることを見せたのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、ご自身の右の座に復帰させられました。

そして、この、イエスの十字架刑での死によって、
自分の〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わったもの、死んだものとしていただいていることを
受け取った者に、
【父である神】は、右の座に着いておられるイエスを通して、
もう一人の助け主、【聖である霊】と呼ばれる方を
お遣わしになり、
この方によって私たちの心にご自身の思いを置き、
書き記してくださって、私たちの心に
ご自身の御思いがあるようにしてくださり、
受け入れる者がご自身の思いによって生きるように
してくださるのだそうですから。

ご自身と思いを一つにし、
ご自身がしようと思われることをしていく者に(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)と。



 それで私たちも、自分の
〔生まれたときからの私〕という霊から出て来た思いは、
死んだものから出て来た思いであると認めて、
これをイエスの御前に差し出し、受け取っていただきながら、
この、【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来た
【父である神】の御思いで生きるようにしていただけるのですね。

互いに対する愛、また、すべての人に対する愛が
豊かにあるように、あふれるようにしていただいて。




 また、私たちの人生は、
建築家が家を建てるようなもの、のようですね。

この、十字架刑での処刑を受けられ、
新しい霊のからだに復活し、天の、
【父である神】の右の座に帰られたイエスを通して
来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来た
【父である神】の御思いで生きる生き方を土台とし、
その土台の上に人生という家を建てる。



どの土台の上に建てたかは、
「その日」には、明らかになるのだそうです。

その日は火とともに現れ、私たち、それぞれの働きが
どちらを土台にしているかを明らかにするのだそうです。

【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来た
【父である神】の御思いで生きた部分は残り、
〔生まれたときからの私〕から出て来た思いで生きた部分は
焼けてしまって残ることはないのだそうですから。(Ⅰコリント3:9~15)
 
その日、主イエスは、燃える炎の中に、
力ある御使いたちとともに天から下って来られるのだそうです。
そして、別の土台の上に建てられたものは、
主の御前から、その御力の栄光から
退けられるのだそうです。

その日、イエスは来て、ご自分の聖徒たちの間であがめられ、
信頼しているすべての者たちの間で感嘆の的となられます。


また神は、私たちを召しにふさわしい者にし、
御力によって、善を求めるあらゆる願いと、
信頼による働きを実現し、私たちの神であり主である
イエス・キリストの恵みによって、
私たちの主イエスの名が私たちの間であがめられ、
私たちも主イエスにあって(土台の上にいて)
栄光を与えていただけるのだそうですから。

にがよもぎは、イエスの十字架刑での死によって、
根ごと引き抜かれて。

今日も。





~~~~~~~~

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気落ちし、力をなくした者に

2021-11-22 21:33:54 | 聖書から
恐れるな、シオンよ、
あなたの手を下ろすな。
あなたの神である主が
あなたと共におられる、
強い主が。ゼファニア書3:16~17



弟子たちは舟に乗り込んだが、
その夜は何もとれなかった。
しかしすでに夜が明けたころ、
イエスが岸に立っておられた。ヨハネ21:3~4



 Ⅰペトロ1:13~21
 1テサロニケ5:12~28(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』11/23・祝)



     ―――― ☆ ――――


 恐れて、気力を失い、力なく手を下ろしてしまわないように、
と言われるのですね。
聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)が、

私たちのただ中にいてくださるのですから。
勇士である強い方が。





 師と仰ぎ、この方こそ救い主、キリストと
望みをかけていたイエスが
エルサエムで十字架刑で処刑され、
失望の中ガリラヤに帰った弟子たちが、
漁をとろうと船に乗り込み、一晩中、網をうったのですが、
その夜は何もとれなかったのだそうです。

夜が明け始め、彼らが力なく岸に引き返そうとするとき、
復活したイエスが岸に立っておられたのだそうです。
けれども、弟子たちには、それがイエスであるとは、
分からなかった。
イエスは彼らに言われた。
「子どもたちよ。食べる魚がありませんね。」
彼らは答えた。「ありません。」
イエスは彼らに言われた。
「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れます。」
そこで、彼らは網を打った。
すると、おびただしい数の魚のために、
もはや彼らには網を引き上げることができなかった。

それで、イエスが愛されたあの弟子が、ペテロに
「主だ」と言った。
ペテロは「主だ」と聞くと、裸に近かったので
上着をまとい、湖に飛び込んだ。
一方、ほかの弟子たちは、魚の入った網を引いて
小舟で戻って行ったのだそうです。(ヨハネ21:3~8)
気落ちしていた弟子たちのところに、イエスが来てくださって。




 ペテロは言います。
「ですから、あなたがたは心を引き締め、身を慎み、
イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、
ひたすら待ち望みなさい。
従順な子どもとなり、以前、無知であったときの欲望に従わず、
むしろ、あなたがたを召された聖なる方に倣ならい、
あなたがた自身、生活のすべてにおいて聖なる者となりなさい。「あなたがたは聖なる者でなければならない。
わたしが聖だからである」と書いてあるからです。


また、人をそれぞれのわざにしたがって公平にさばかれる方を
父と呼んでいるのなら、
この世に寄留している時を、恐れつつ過ごしなさい。

ご存じのように、あなたがたが先祖伝来の
むなしい生き方から贖あがない出されたのは、
銀や金のような朽ちる物によらず、
傷もなく汚けがれもない子羊のようなキリストの、
尊い血によったのです。

キリストは、世界の基が据えられる前から知られていましたが、
この終わりの時に、あなたがたのために現れてくださいました。
あなたがたは、キリストを死者の中からよみがえらせて
栄光を与えられた神を、キリストによって信じる者です。
ですから、あなたがたの信仰と希望は神にかかっています」と。(Ⅰペテロ:13~21)





 イエスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方が、
私たちの心に置いてくださる【父である神】の御思いは、
私たちの間で労苦し、主、イエスにあって私たちを指導し、
訓戒している人たちを重んじ、
その働きのゆえに、
愛をもって、この上ない尊敬を払う思いであり、

また、お互いに平和を保ち、怠惰な者を諭し、
小心な者を励まし、弱い者の世話をし、
すべての人に対して寛容な思いをもつものなのだそうですから。

だれにも、悪に対して悪を返さないように気をつけ、
互いの間で、またすべての人に対して、
いつも善を行いたいと。

いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことにおいて感謝し、
御霊を消さないように。
また、預言を軽んじることなく、吟味し、
良いものはしっかりと保ち、あらゆる形の悪から離れて。

平和の神ご自身が、私たちを完全に聖なる者としてくださり、
私たちの霊、たましい、からだのすべてが、
私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、
責められるところのない者として保ってくださって。

私たちを召された方は真実ですから、
そのようにしてくださるのだそうです。

私たちの主イエス・キリストの恵みが、
私たちとともにあるようにしてくださって。(1テサロニケ5:12~28)

今日も。





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善を行う力も、与えていてくださって

2021-11-19 21:53:38 | 聖書から
あなたの手に善を行う力がある時、
なすべき相手に
善をすることを拒むな。箴言3:27



善を行うことに労力を惜しむな。Ⅱテサロニケ3:13

 黙示録20:11~15
 Ⅰテサロニケ4:13~18(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』11/20;土)



     ―――― ☆ ――――


 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちに善を行ってほしいと
思っていらっしゃる方のようですね。

無理にということではなく。
私たちが善を行うことができるよう、
環境を整えておいてくださって。





 使徒ヨハネは、この世の終わりについて
神が見せてくださったことを次のように書き記しています。

「また私は、大きな白い御座と、
そこに着いておられる方を見た。
地と天はその御前から逃げ去り、跡形あとかたもなくなった。
また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も
(神の)御座の前に立っているのを見た。


数々の書物が開かれた。
書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。
死んだ者たちは、
これらの書物に書かれていることにしたがい、
自分の行いに応じてさばかれた。



海はその中にいる死者を出し、
死とよみも、その中にいる死者を出した。
彼らはそれぞれ自分の行いに応じてさばかれた。


それから、死とよみは火の池に投げ込まれた。
これが、すなわち火の池が、第二の死である。
いのちの書に名の記されていない者はみな、
火の池に投げ込まれた。」(黙示録20:11~15)





 また、使徒パウロは、
死んだ人のことについて書き記しています。
「眠っている人たちについては、兄弟たち、
あなたがたに知らずにいてほしくありません。
あなたがたが
望みのない他の人たちのように悲しまないためです。

イエスが死んで復活された、と私たちが信じているなら、
神は同じように、イエスにあって眠った人たちを、
(イエスが二度目に来られる時)、
イエスと一緒に連れて来られるはずです。



私たちは主のことばによって、あなたがたに伝えます。
生きている私たちは、
主イエスの(二度目の)来臨まで生き残っているなら、
眠った人たちより先になることは決してありません。



すなわち、号令と御使いのかしらの声と
神のラッパの響きとともに、
主イエスご自身が天から下って来られます。


そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、
それから、生き残っている私たちが
(からだを、一瞬にして霊のからだに変えられて)、
彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、
空中で主イエスと会うのです。
こうして私たちは、
いつまでも主イエスとともにいることになります。
ですから、これらのことばをもって
互いに励まし合いなさい。」(Ⅰテサロニケ4:13~18)




 このように、聖書に書かれているところによりますと、
私たち、死んで終わりなのではなく、その先があるようです。
そして、天の神、【主】の御前に出て、
自分のしたこと、その生きざまにしたがって
審判を受けることになるようですね。



善を行う力を与えられながら、なすべき相手に
善を行わなかったことも神の書物に書き記されていて。





 私たちも、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来た
【父である神】の御思いを実行する者としていただいて、
御前に出たとき、
「よくやった。よい忠実なしもべだ。
おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。
主人の喜びをともに喜んでくれ」(マタイ25:21)と
言っていただけるように。



御思いの中へと。

今日も。





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