The Diary of Ka2104-2

連載小説「私の名前は舞」第10章 - 石川勝敏・著

 

第10章

 

 おじさんの年頃の割には、昔で云う「昔の人」に当て嵌まらない面がおじさんにはあります。たとえば読書の折りちゃぶ台みたいなローデスクにあぐらはおじさんの嗜好に合わないようで、彼は今座っているみたく洋机の高さを欲します。とはいえ、おじさんのごく親しい人への常套句である「何々じゃ」は逆に老成しているのではといぶかります。読書中の背姿を脚立の台座から拝謁するのは私の大のお気に入りです。おじさんの今日のお眼鏡に適った書籍はヘミングウェイ短編集の文庫本です。今はその内の「敗れざる者」を読んでいる筈です。

 おじさんの様子が怪しい。落ち着きなく体が微妙に動いている。時には頭をむしる。両手を額にやる。おそらく読み物を批判視しているのでしょう。でも大丈夫です。おじさんは賢明な紳士ですから、ネットを見るのと同じく黙ってそれを中断しそこをもって終了とおしまいにしてしまいます。

 ああ、びっくりしたあ。おじさんが椅子をうしろに蹴飛ばす勢いで立ち上がったのです。とても切れのいい調子でおじさんが言い放ちました。

「闘牛シーンが長すぎる」そしてこちらに向き机を背にして声を上げていくと同時に何かを訴える身振り手振りが入っていました。

「血のり、血の噴流――――それでも人類か、未開人じゃないか、何をそこに見出しておるのじゃーーーーそうだ、闘牛士やその観客たちは、全人類に共通する原始のままの欲望を、そういう趣味のない私たちに成り代わり、代表するかたちで流血事案を現実を以って体現しとるのじゃーーーー我々の血にもいまだに流れておる赤い血しぶきへの興奮、このままじゃ戦争や紛争はなくならん」このとき彼の目が私のと合いました。硬直する私です。ですがおじさんは私を気にも留めず両腕を未開部族のまつりごとの最中のようにゆっくり宙に浮かせ、その腕をばさっと落としたかと思うと、両手を爬虫類のそれのように広げてダッと顔を覆いました。どうやらおじさんときたひにはトランス状態に陥ったようです。

 まいー、まいー、とおじさんは哀れを求めるような妖気を漂わした顔相であらぬところを見つめたまま同じ地点で体をウェーヴさせながら両腕をばらばらに上下させています。

「怖いよー、怖いよ-」

なんて可哀想な老年期に入ろうとしているおじさん。憑依かとも思われますが、これは実は老年期精神疾患のひとつの表れなのです。おじさんの主張はけれど正しくありはします。

 私は、ここはひとつ、大きな声で、ギャーッと鳴いてみせました。するとおじさんの顔から凄みが消えていき、舞が歩く行路に従ってついてゆき、居室の窓際で舞が伸びをしてみても、彼はまだ少し放心状態から抜け出しきりできてません。しばらくお休みになるといいでしょう。

 神様がいいます。舞。不幸な家庭から温かいおじさんに引き取られた三毛猫。知性は人並みを超えている。だがネコにもやがて老いが訪れ衰弱していき免疫不全で病気にかかりやすくなり身体のどこかしらに障害を持つようになる。

 現在から近い将来に舞よ!十全な愛と幸福が注がれんことを今約束されり!


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