晴走雨読

戦国ロマン遠州城めぐり

今日は「歴史散歩シリーズ」の一環として中東遠のお城を回ってきました。

長距離を走るにはモチベーションを上げるために色々理由付けが必用なんです。







まずは家から5km地点にある横須賀城。

徳川と武田が高天神城をめぐって攻防戦を繰り広げていた時代に、徳川家康が大須賀康高に命じて築城したものです。

以前から疑問に思っているのですが、大須賀氏が築城したのになぜ横須賀城と言うのか。

この城のある地域は横須賀といいますが、昔は大須賀村だったらしい。

その後付近の村と合併して横須賀町に。

更にその後大渕村と合併して大須賀町になりました。

現在は掛川市に吸収合併されてしまい、大須賀という地名はなくなってしまいましたが、横須賀と大須賀という地名人命が入り乱れた歴史を持つ不思議な地名だと思います。







次は17kmの所にある高天神城。

中世の典型的な山城で、かなり堅固な城だったようです。

今川氏滅亡後、武田勝頼が攻め落とし支配。その後徳川家康が奪い返す。

武田勝頼はこの城を失った事をきっかけに部下の信頼を失い滅亡したともいわれてます。








家から30km、掛川城。

日本初の本格木造建築で再建されたお城として有名。

山内一豊のが天守や城下町の整備をして近世城郭としての体裁を整えた。

その後土佐に移封されたので、高知城を参考に再建されたそうだ。







国一を西へ袋井へ。40km付近で久野城到着。

中世の城としては結構な規模があると思いますが、戦国時代の大きな合戦の舞台になどにはならなかったので、いまいち地味な存在です。

掛川城が近いこともあって江戸中期には廃城となってます。








最後は48kmで地元の馬伏塚城。

小規模な平城ですが、高天神城の攻防では最前線基地となりました。

横須賀城を作った大須賀康高もその前はここの城主でした。きっと徳川家康も何度かは訪れたのではないかと思います。






本日の走行距離    53.2km
時間         5時間57分

キロ6分ペースで走って50kmを5時間でと思ってましたがなかなか難しい。

40キロを過ぎると6分ペースを維持するのはちょっと無理かな。




このあと同じルートをもう1周できるかって?





ぜったい無理!
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「マラソン」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事