鳥島チャンネル

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鹿児島本線城山峠旧線(峠越えルート)調査報告

2014年11月02日 | 宗像史
前から気になっていた鹿児島本線城山峠旧ルート(トンネルではなく峠越え)初代九州鉄道が明治23年に開通させた区間です。現在のルートは城山トンネルが開通した明治42年から複線で建設使用され、旧線は廃止となりました。福岡県宗像市&遠賀郡岡垣町
「城山のタヌキの親子と蒸気機関車」の話を、昔城山中学校の文化祭で読んだ記憶が有りますが内容はあんまり覚えてない。
(^_^;)

むかしむかし、城山トンネルができる前、門司へ向かう機関車はえっちらおっちらと煙を吐きながら城山峠を登っていました。
それを見ていた子狸たちは列車の真似をして縦に並んで、汽車の横を登って競争したりして遊んでいましたが、汽車には敵いませんでした。
ある日のこと、いつもの時間に汽車が線路を登って来ました。いつも負けて悔しい子ダヌキ達は母狸に「今日こそは汽車に勝ちたいからお母さんも手伝って!」と言いました。

てな感じだったかな。で、良い勝負になり熱くなった狸たちは暴走して最期はみんな汽車に轢かれてしまうって話だったような。
本当に伝わってた話なのか、当時の中学生(1980~83)の創作なのかも判りませんw。でも心当たりある方が居られましたら情報が欲しいです。うろ覚えの内容自体他の話とごっちゃになって私の創作話になっちゃってる可能性が高いけど。ユリックスでこの話を収めた本を見つけました


トンネルできるまでの海老津側の線路は県道287号線(八所宮の前を通る道)に転用されたと聞いていたので、峠を越えた後に武丸のどこかで現鹿児島本線に合流するのかな?と思っていました。旧三号線の城山峠区間に比べこちらの県道の方は勾配は緩やかなので。ただ、煉瓦アーチ以外に遺構らしきものがないのでおかしいとは思いましたがw。県道に拘らず周囲をよく見ればすぐに解決できたのですが…。
(^_^;)
ゴトーチたまて箱様のブログ記事で初代鹿児島本線が旧3号線に転用されていたと知りました。記事内で紹介されている陸橋は昔は煉瓦むきだしだったような記憶があります。こちらのおかげで、一気に謎が解けました。
ここの一番低い部分の橋梁です。
赤間駅のwikipediaに元々の赤間駅の予定地は教育大前駅付近と記述がありますが線路が旧3号線であったなら、駅というよりも現在のバスセンターあたりが候補地だったんではないかと思います。その前後区間に比べ勾配は無いようなくらいに感じますが、歩いて現地をみるとバスセンター内は整地してあるでしょうから平坦のようですが、道路は緩やかな勾配になっており、昔の汽車だと確かに厳しかったかもしれません。
舞鶴橋の辺りも切通しの新線を作るまでは、唐津街道芦屋ルートが通っていたので繋がっていたと推測します。
   
赤間コミセンの「赤間地区のあゆみ」の城山トンネル工事の写真左上の築堤が旧線(現在の3号線)のように見えます。
岡垣側は判りやすかったのですが、宗像側は3号線(旧3号も)に転用されたとの情報を得たので古い地図を探してみました。
1900年の地図(一度同意するを選んでからタブを閉じて、もう一度クリックすると表示されます)なんですけど、確かに旧3号線だなこれは。三郎丸団地下あたりの道の形が鉄道っぽいカーブだなとは思ってたけど。


唐津街道(芦屋ルート)は交番横を通り一旦城山麓まで出て城山沿いに進みトマトピア(最近別の名前に変わりました)あたりで現3号線に沿う感じでやや北側を通り、トンネル手前(北西側)から現在の採石場を抜け、上畑の笠松を通り海老津のほうに抜けてたようです。
鉄道は頂上付近からやや右を通り現在のルートの右上の方の若干高くなった部分を走り海老津へ…。
3号線のこの辺り(Mr.max周辺)も鉄道跡っぽいゆるやかな弧を描くカーブです。ちょっと高いところに(お寺の前)にあるガードレールが旧唐津街道の芦屋ルートのようです。
城山峠のサミット付近。唐津街道はこの手前から左(採石場の中?)に行き、岡垣町上畑の笠松に下り、赤鳥居を通り旧三号線といった感じのルートのようです。なので、今同じ道筋を辿るのは無理っぽいですね。
  
この日はトマトピアの大改装が終わり、名前も変えていました。プレオープンなのか、業者さんや関係者?の立派な車が出入りしてました。土穴のビリヤード屋さんがポプラ跡に入り、海老津ラーメン跡に替玉10円のラーメン屋、ワールドコーヒー跡にエスニック雑貨屋さんとなんか知らない間に城山峠のお店が変わっていました。さらに山賊茶屋が無くなっていたのが衝撃でした。
あと、赤間-東郷方面のメインルートは構え口を出ると釣川沿いに行ってたみたいですね。まぁ旧3号線がこの頃は無いから土手道の方が整備しやすかったのでしょうけども。

ここまでの途中(教育大の正門前あたり)の崖下のお宅の庭に記念碑か何かでしょうか、途中で折れた石柱を見つけました。さすがによそ様のお庭に勝手に入るわけにはいかないので写真のみ撮影。築堤から出てくる細い川もこちらのお庭に沿って流れているのでそこにも何か遺構が隠れているかもしれません。
石柱は鉄道よりも国道三号線関連かまったく関係ない可能性の方が高いと思いますが一応。
 
赤間地区コミュニティ運営協議会様のページで紹介されている城山トンネル工事の画像に写っている築堤のような部分はやはり3号線ですね。
拡大画像の位置まで降りることはできないので少しわかりにくいですが…。
もう少し下ってから線路沿いにトンネルの方へと戻れる道があるようですが、実際に通れるかは謎です。
この太郎坊橋へと続く道が三号線と分かれてすぐのところに地図にも載っている細い道があるのですが、車だとまず行けません。歩いてでもかなり草木が茂っているので冬場に挑戦した方が良さそう。
工事の写真の左上の方の枕木のような物が並んでいる資材置き場につながる道のようですが、舗装もされているので保線用に使われていたのかもしれません。上りトンネルの工事の時(昭和36年に電化なのでそのちょっと前)にも使われたんでしょうね。旧トンネルは複線規格だったのですが、当時の電化技術では複線化するには断面積が不足していた為、横に新トンネルを掘ったそうです。なので下り線の旧トンネルの方が広くなっており、トンネルの耳ツンも下りだとあまり感じません。今も使用されているのに旧トンネルと言うのは変ですね。
岡垣側も同様に地図上には線路跡っぽい道はあるのですがトンネルの上にある入り口が封鎖されているので入れません。


頂上を過ぎた辺りの下り線歩道のガードレールの切れ目から山に入ってみましたが、跡のような物は無く果樹園跡になっています。収穫用モノレールはありましたが、まったく関係ないわな。
と言う訳で海老津方面に進み赤レンガアーチ辺りから辿ってみることにしました。
 
赤煉瓦アーチ前後の築堤はほとんど撤去されていますが、ここから赤間側に町道?を進んだ先(旧三号線からの道との合流点付近)に、築堤跡と「旧九州鉄道線路敷跡」の案内看板があります。
その築堤の延長上にはこの地区のゲートボール場といかにも築堤跡といった感じのこんもりとした場所が有ります。
「せっかくだから俺はこの路盤跡を進むぜ!」木が生えたりはしていますが廃止になってからせいぜい100年くらいなので巨木は無いので探索は楽勝と思ったのですが…
ちょっと進むと笹林になっていて築堤跡を進むのは不可能でした。蜘蛛の巣も多く「上だ!気をつけろ!」とか言ってるどころじゃない。
横に排水用の溝があるのでそれに沿って進めばなんとかはなりますが、自信のある方以外にはあまりお勧めはしません。
最終的には城山峠には出れますが、完全にトレースするには私有地に入らないと行けないようです。それ以前に笹薮に阻まれるので鉈持って柴刈りスタイルじゃないと行けない部分もありますがw。
完全に峠に入った辺りで後の工事の道?と合流した先の、旧三号線が見えた所から斜面を下ってガードバーを乗り越えて歩道に出ました。思っていたよりも頂上に近い所に出たのでルートの仮定も合ってたっぽいです。
現行線よりも10mくらい高いところでしょうか。下りトンネルの少し左を通っていたんじゃないかな?現役時代は木もそんなに茂っていなかったでしょうから、そんなにまで離れてはいないので、工事中のトンネル出入り口が当時の列車から見えたと思います。

トンネルの岡垣側上部には保線用の広めのスペースと線路に降りる階段がありますが、当然ながら入れないようになっています。奥にまだ繋がっているようですので、地図に載っていた旧線跡のような道も保線用の施設か何かでしょうね。線路の向こうの平坦になっている部分がそれで、旧線はもう少し高い位置になります。
この工場の向こう側の森に穴が空いている部分では旧線からこちらを見ることができます。もう少し進み右折して線路をくぐると「旧九州鉄道線路敷跡」の碑に着きます。ここから侵入すれば路盤跡をトレースして城山峠まで行けますが、藪歩きに慣れた方でないとかなり厳しいです…。あと、トンネルの上辺りで道路工事の影響か跡が判り辛くなっています。昔はしょっちゅう崖崩れで城山峠の通行規制されてたから仕方ないと思いますが、残念。
ここまで書いて思い出したけど下り車線の左半分くらいまで昔は法面だったから鉄道の旧線は岡垣に下る上り車線辺りになるのかな?
遺構としては路盤跡に沿って石造りの排水溝があります。そんなにまで古くは見えないのですが、線路から転用されてはいないようなので、やはりこれも旧線の遺構なんでしょうね。農業用水の整備で作り直してる部分とかはあるかもしれませんけど。
「旧九州鉄道線路敷跡」の碑から海老津駅までは県道に転用された部分もありますが、所々築堤が残っているので推測は比較的楽だと思います。分岐位置がどこなのかは私にははっきりとは判りませんが、海老津駅の一番山側に歩行者用踏切辺りで途切れた線路が有り、角度的にその延長じゃないのかなと思います。その先の民家の前の細い道なんかあやしい。
もう少し南側に県道と鹿児島本線がかなり近づく場所が有り、ここも候補地かなと思えますが、踏み切り付近の方がしっくりするな。

国土地理院のウォっちずを使ってまとめてみました。
赤間側
海老津側
灰色の線が旧線の予想図で、赤丸が何らかの遺構があった場所です。
PCの方はこちらを見て頂いた方がわかりやすいかなと思います。

1981年のカラー航空写真を見ると森の中を旧線の跡が走っているのが合流点まではっきり見えました。予想はほぼ合ってました。
わかりやすいように旧線跡に赤い線を引きました。

1948年の米軍撮影の航空写真を見ると、旧線は道路として使われていたようで、はっきりと見えます。やはり側溝は開通時のものではなく大正・昭和に入ってからのものである可能性が高いですね。
1922年の地図を見ると旧線は道路に転用されているように見えます。廃線から国道3号線の開通の昭和7年までの間は岡垣と赤間を結ぶ道の一つとして使われていたのでしょう。
明治42年(105年前)から放置と思っていましたが完全に使われなくなったのは戦後しばらくで実は60年くらい前まで農道や林道として機能していたのかもしれません。

まとめ

1948年の城山峠
国土地理院地図・空中写真閲覧サービスの航空写真に道の色を付けました。
http://mapps.gsi.go.jp/
緑が唐津街道芦屋ルート…教育大、採石場の中を通っているので今トレースするのは厳しいです。
赤は国道三号線…旧3号→現3号→旧3号ですが、これはトレースは問題なし。赤間駅~城山峠の旧線との分岐点までは九州鉄道の開通時の峠越えルートです。
水色が旧鹿児島本線(城山峠越えルート)分岐点までは国道三号線(現在は県道69号線)に転用されており、開通時の遺構は陵厳寺の陸橋と築堤くらいだと思います。岡垣側は分岐点付近と所々築堤が撤去されたり県道に転用されている所がありますが、かなりの区間が現存しています。新線開通後も昭和20年代まで道路に転用されていたようでトレースするのは時期を選べばそこまで困難ではありませんが、藪歩きに慣れた方でないと厳しいと思います。
新・鉄道廃線跡を歩く5 四国・九州編
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おまけ
 
この日は小川知事が来海老されており、私の海老津駅到着が丁度その取材と重なってしまいました。私は右の写真の狭い道を通って駅に向かっていたのですがちょうどその道の出口で撮影されていたので駅に近付けず…。海老津小学校に来られてたそうなのでその帰りに寄られたんでしょうね。

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3 コメント

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Unknown (satchin)
2014-11-20 15:44:42
城山峠旧線は、岡垣のアーチ橋跡の説明書きから山越えの事実を知り、興味を持ちました。ただどこを走っていたのか、どの辺りを登っていたのか、孤島のようにポツンと取り残されたアーチ橋跡からそれをたどるものは何もありませんでした。
私の中では謎だらけの旧線でしたが、御記事を拝見させて頂き、全てが解決しました。
バイパスの頂上辺りも法面の擁壁から察するにかなり山を削っているようですので、当時の路線が遥かその上を走っていたことを考えると、早い段階でトンネルの必要性が求められたことも理解できます。
廃線探索にはロマンを感じます。
貴重な体験記ありがとうございました。
返信する
satchin様 (鳥島)
2014-11-20 19:11:07
コメントありがとうございます。
前後の築堤は壊され、アーチ橋が目立つのであそこを基点にすると旧線がどう走っていたかはちょっと判りにくいですよね。歩いて回ると結構痕跡は見つけられるのですが、車だと気付かず素通りしてしまいそうなものばかりです。目の前の県道に転用されているといった知識があると尚更見落としやすいかと思います。
峠のサミット部分ですが、開通時から切り通しですのでレベルは現在の国道と変わらないと思われますが当時の鉄道ではちょっと厳しい勾配だったようで、乗客が後押しを手伝っていたといった話も伝わっています。
岡垣町の広報のバックナンバーに元国鉄職員の方の記事が有りましたのでご覧になると面白いかもしれません。
http://www.town.okagaki.fukuoka.jp/koho_s58.html
の5月と6月です。
信号場がどこにあったのかが謎です。勾配を考えると頂上やや宗像よりの築堤上(採石場やトンネル入り口付近?)かなと思いますがどうなんでしょ。
返信する
岡垣町公式サイトURL変更 (鳥島)
2015-06-26 20:21:03
http://www.town.okagaki.lg.jp/s024/060/020/220/201502050120.html
「広報おかがき」のバックナンバーは上記のアドレスに変わっています。
内容は前と同じですので、きちんと見れます。岡垣町のweb担当の方は素晴らしいですね。
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