そのひぐらし

日々の暮らし
ときどきカメラ遊び
お付き合い下さい

池井戸潤

2015-01-06 17:01:59 | 
『下町ロケット』
面白うございました
人は皆厳しい世界で生きておるのでございます
胃に穴が開きそうな
頭のどこかから黒コールタールがジワリと沁みだしてくるような
ええ、ええ そんな思いをしながら生きておるのです
それでも どっこい めげずに生きている
もう駄目かと絶望に打ちひしがれそうになりながらも
這いずりまわりながら生きている
そして、まぁ、これが小説のいいところ
逆転満塁ホームラン
ホームランほどでなくとも
しつこくフォアボールを選んで出塁
盗塁に次ぐ盗塁でホームイン!
壊れそうだった人とのつながりも
気が付けば取り戻せて・・・
悪者、権力者 金持ち敵に回してあっぱれあっぱれ
童話の大人版みたい

作者の作品ほかにも何点か読んだ
(正月の疲れはきっとこれもあるんだわ)

半沢直樹のドラマは見なかったけれど
この本、気晴らし憂さ晴らしにちょびっと勇気づけに最適


神様のカルテ 1 2

2013-03-15 16:19:44 | 
泣けた
泣けた

なんということもない
まだ 言わせてもらうならば
軽い軽い文章で
なんとも言うことのないストーリーで
大上段に振りかぶったお話ではないのに

だのに
涙が出て
涙が出て

いきるということ
死ぬということ

は~~~~っ

映画になっているらしい

見るべきか
見ざるべきか





今日の新聞から

2012-10-19 13:59:36 | 
お天気キャスターをしておられた倉嶋厚さんの記事から

倉嶋さんは15年前、妻 康子さんを亡くされてから 重症のうつに陥った
大切な人を喪い 自らを責める日々
なにもできない なにもしたくない ものの味がしない
飛び降りるために 何度も屋上に通ったという
精神神経科に入院して治療の後、退院


『どんな人も、人生の冬に向かっている。それに備えてその日その日を一生懸命過ごせば心は安らかで居られる。じきに訪れる厳しい季節をいたずらに恐れるより、今を生き、今を味わう。』(札幌の俳人嶋田摩耶さんの句 「冬憶ふ(おもう)まじく今紅ナナカマド」との出会って)

『あの時ああすればよかった、と過去を後悔してもどうにもならない。人生には「そうとでも考えなければ生きていけない」と開き直ることが必要な場合があるのでしょう。』

60が近くなり、日が暮れると なんということなく(いや、なんということは”ある”のだが、見ないふりをしているのだろう) じわじわと こころのなかに 不安がはびこってくることが多くなった

そんなじぶんにひびいてくるものがある記事だった

草原の椅子 宮本 輝

2012-10-18 14:07:33 | 
十年くらい前に読んだ本
印象深い本
お出かけしていたのが帰ってきたので読んでいる

以下二箇所 心に残った部分

『人間は弱くて脆い。だが、不思議な強さと復元力もまた隠し持っている。
そうでなくてどうして、この矛盾に満ちた人生を生き抜いていくことができよう』

うんうん、ほんまや
もう、絶対あかん、と思うても 傷ついた犬が床下でじっとうずくまって傷を癒して
立ち上がるように、人間にもどっこいしょ、と立ち上がって前を向いて歩き出せる力があるような気がする。



『どうも最近の日本の親子関係というのは、本来の日本人のやりかたとは合わないのではないかと思った。子どもの個性とか自由とかを尊重するというのを大義名分として、わずらわしさから逃避しているのではないのか。親子に葛藤があるのは当然なのに、それを避けて、いかにも物分りのいい、干渉しない父や母を演じようとしている。
欧米の個人主義や合理主義は、それなりの必然性と価値観が、長い歴史や風土によって自然に培われてきたのであって、それをそのまま日本という国に持ち込むと、その場しのぎの友好は保たれても、あとになって誤った結果へとつながりかねない。親は、子どもに対して責任があるのだ。』

うんうんうんうん
私の子どもに対する態度を傍で見ていたかのようなおことば。
わずらわしさからの逃避
物分りの良い親を演じている
親としての責任を果たしていない

ほんま ほんま そのとおり