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ペーパースマハー

なぜか隣国、の違和。 トンイルキョフェ2

最初に見たビデオで語られた話は、アブラハムの話であった。
ビデオが始まるとホワイトボードを背に、右側に講義する人が立って講釈をたれる感じで、○○工業大学の講師○○さんと字幕が出た。

なぜ工業大学の講師が聖書の話をするんだろう、と思った。
しかしその講師はほとんどのビデオに登場した。
多分クリスチャンで聖書の話に明るい人なんでしょう位に、その時は考えた。

ビデオは何年も前に撮影されたモノと思われ、画面がチラついたり横線が入ったり、相当年季が入っているようだった。

アブラハムの次はイサクとエソウ、その次はアダムとイブの話と代表的な話が続いていき、その場に通うようになってしばらくして、初めに会った女性と、ちょっとした話しをするようになった。

そのセミナー?では月に一度位に、どこか別の場所で合宿をしていると言われた。
週末に一泊二日位の日程で行われる合宿に、一通りビデオを視聴した人が参加出来るという事だった。
毎度30名位の参加があって、歌を歌ったりゲームをしたり講習以外にいろいろやっているという説明だった。

本当にその場では滅多に人に会う事が無かったので、どっからそんなに人が湧いて来るんだろうかと思った。
合宿は楽しいですよと盛んに参加を勧められたが、そんな時間など無かったので、いつも返事はしなかった。

アダムとイブの話の中で、二人をそそのかした蛇に化けた悪魔が出て来るのだが、そのセミナーでは悪魔を敢えてサタンと呼んでいた。
人間の初めと言われるアダムとイブがサタンに身を売った事で、人間は生来悪に取り憑かれている。
その悪を取り祓うにはどうすべきなのか?
その後そんな問いかけが、ビデオの中で度々出て来るようになった。

その頃自分はバイトの身で、土日の休みを利用してビデオを見に行っていた。
場所的に住んでいたアパートから近かったので自転車でいつも通っていた。
まわりの民家からは若干離れた所にその建物はあって、ちょっとした雑木林を背に建っていたと記憶している。

しかし今からその場所に行こうとしても、辿り着けはしないと思う。
自分がその場所に関係していた夏の初め頃から秋の終わり頃まで、自分がそんな事をしていたと知っている者は誰もいない。
何か人とは違った特別な事をしている自負。
隠し事に身を置く事から来る、痺れるような感覚にうつつを抜かしていたのだ。

自分はその時、本を大量に扱う取次店で働いていた。毎日、日々煩雑に流れて来る様々な書名を目にしていて、ある瞬間ふと一冊の本に注目した。
「淫教のメシア」
というタイトルで、直感的に何か引っかかるものがあった。

ビデオ視聴も終了近くになると、講義の内容は現実社会にサタンが悪影響を及ぼしているとか、聖書の物語云々よりも違う話題が強調され出した。
そして、その悪に対抗するためにこの世界に救世主が現れるという事であった。
セミナーでは敢えて救世主をメシアと呼んでいた。

キリスト教社会においては、イエスがそのメシア的な役割を担っていたのでは?
自分はそんな認識をしていたので、今さらメシアなど変な話だと思った。
しかもメシアが現れると言っておきながら、実はすでにもう東の国に現れていると来た。
益々?マークの展開の様相を示してきたのだ。

「淫教のメシア」にはサブタイトルがあって、文鮮明伝とついている。
文鮮明は朝鮮系の名前だと考えられたので、すぐに韓国人を連想した。
本の表紙には西洋の宗教とはよほど思えない、胡散臭い恰好のいかにもな韓国のオッサンが写っていた。
その時思った正直な感想は、キモっ!

今では統一教会も文鮮明という名も有名であるが、その時は全く存在すら知る人ぞ知るだったので、自分も理解の範疇外ではあったが東の国=韓国、そしてメシアのキーワードで自分と関わりがあるのではと思いたち「淫教のメシア」を手にし、読んでみた。

東の国の事がある日の会話の中で出て来た。
東の国とはどの国なのか、という事だ。
東の国と言えば通常は日本になると思うのだが、日本でメシア降臨やらそんな事はあり得なさそうだし、たまたまその頃、韓国ではキリスト教信者が結構な数でいると知っていたので、そこら辺も絡めて「韓国では」と適当に言ってみた。

あちら側の人達にはその答えが的を突いたらしく、「どうしてわかったの?」とか、何かいけないスイッチを押してしまったかのような、考えるにヤバいテンションにさせてしまっていた。

「淫教のメシア」は統一教会という宗教団体の元信者達に取材した、統一教会の真の姿を告発した本である。
中身を一読して、自分がその時見聞きしていた事柄の大体の事が書かれていた。
セミナーで得た色々な話と、驚くほど一致していた。

ある時、悩み事や困り事があったらどうしているかと聞かれた。あなたには寄る辺となる信仰のような何かが必要では、とも言われた。

しかし自分はその時、中島みゆきの「寒水魚」や「予感」にどっぷりはまり、歌を聴きラジオから声を聞き、中島みゆきの歌世界に感銘し続け、それがあたかも半ば信仰のような状態だったので、「みゆきさんを信仰しているから大丈夫です」と外聞もなく告げた。

まさかの文鮮明vs中島みゆき。
その発言は心底予想外だったらしく、あちら側の人々は、目を丸くして口をあんぐりとしていた。
あちら側にこそ、ヤバい奴が目の前にいると思われたかもしれない。

それからは、ほどなくビデオを見にあの場に行く事を止めた。
確信では無かったが、自分が統一教会に出入りしていると思えたし、元々の発端の旧約聖書の世界の話にも全く関心が薄れていたからだ。
何より宗教団体に入信する気など端からさらさら無かったし、加えて統一教会という団体も気味の悪い集団に思えて、関わりたくないと思ったからだ。

ある夜、部屋をノックされた。
自分を仲間に入れようと、最初に話しをして来たあの女だった。
皆が待っているから又来ないか、という話であった。
ビデオも途中のままである、最後まで見た方が自身のためだ、とも言われた。

そして、そんな説得の訪問は何度も続いた。
多い時で一日おきに来た。
ある日は見た事も無い男までいっしょに来た。
何度来ても、何度も断わった。
仕舞には居留守も決めこんだ。

何かの偶然で「淫教のメシア」という本に出会い、それで自分は今こんな事を書けているのだろう。
統一教会を淫教と例えているのは、今さらでも実に言い得て妙だと思う。

それからの巷で騒動となる様々な出来事は、身内で起こった事件を傍観しているような気持ちで見ていた。
テレビなどで、歌手の桜田淳子が統一教会の信者であると爆弾発言をした。
他にも有名人が信者であると名乗り出て、韓国に渡って合同結婚式にまで出ると言い出した。

自分とは別の時間と場所で、彼女達と繋がりが生まれていた。
その事が何とも遣る瀬なかった。

そんな事を皮切りに、別の重大な統一教会問題が堰を切ったように次々と溢れ出てきて、今に至っている。
面倒な山は解消されたのかと一時は思っていたが、杞憂であった。
何も進みもせず、変化も無かったという事だ。

元首相の銃撃事件で、統一教会が意外なところで関わって来るとは夢にも思わなかった。

忘却の彼方にあった昔の事々を、一つ一つ訪ねるのは難しい。
自分は統一教会の門をたたいておきながら、途中で踵を返してしまった人間だ。

自分が教団の人達と接していて、どんな機会にも、彼らに真実を質した事は、実は一度もない。
あくまで自分の臆測のみで行動をして来たのだ。

なので本当の真実には近づけなかったかもしれないし、気づいてないだけで重大な何かを見ていたかもしれない。
渦中にありながら思い出したい事を、憶えていないのが一番の悔やみだ。
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