そのセンターだかホームだか(どう呼ばれていたか忘れた)は、一見ふつうの2階建てのアパートだった。
中は靴を脱いで下駄箱に入れ、スリッパに履きかえて入る系の建物で、手前にある部屋を受け付け風に改築して、小窓を切って訪問者の対応をしていた。
セミナーだか研修は(これも定かでない)その窓口で、都度いくらかお金を出してビデオテープを受け取るシステムであった。
確か一回500円だったような気がする。
受け取ったテープを手に奥に進むと、四畳半を三つ位に間仕切った部屋が続いていて、そこで
その一仕切りに入ってテープを視聴するシステムになっていた。
基本ヘッドホンをしてビデオを視聴していたので、まわりの出入りや物音を感知できず、視聴を終えて初めて隣りに誰かいたと気付く事が多々であった。
しかし、自分以外でその場に来ていた人間はほとんど稀で、一人で利用していた事が多かったような気がする。
小一時間ほどのビデオ研修を終え、最初の窓口にテープを返す時、次回の研修日と時間をその場で予約した。
研修のあとちょっとした面談か、あるいはレポートのようなものを書いた気もするが覚えていない。
その施設の建物内にはいつも人気がなく、受け付けにも学生のような兄ちゃんしかいなく、学童前の子供を一人か二人面倒を見ている風で、他の皆は営業に出ている。と説明をされていた。
ある時は戸別訪問をして花を売っている。とも言われた。
そうして何度かその研修だかに参加するうち、なんだか妙だな、と違和感めいた空気を段々と感じるようになったのである。
〈ことの発端〉
バイトが退けて駅前でバスを降り、駅の通路を歩いていた時だった。
30がらみのスーツ姿の女性に横から声をかけられた。
「今若者の普段の生活などについてアンケートしてます」
のような事を多分言われた気がする。
年齢、出身地、仕事、趣味、夢やらいろいろ質問された。
そして、「聖書って読んだ事ありますか?」
と最後に聞かれた。
子供の頃、何故だか家に一冊の旧約聖書があって、何度か読破してやろうとチャレンジしてみたが、一行目から理解不能な文言の羅列で、秒で挫折の繰り返し。
なので年取ったらきっと読める日も来るんだろうと思って本は放りっぱなしで、いつしか存在すら忘却の彼方。
聖書って自分にとっては、その時はそんな代物であった。
あの日どんな誘い文句で旧約聖書の内容について、勉強まがいの事をするハメになったのか何も憶えていない。
しかしどんな話が聖書には書いてあるのか、その時の心境は、ただ素直に聖書の話を聞いてみたかっただけなのだ。
これは今から40数年前、統一教会という団体が世に知れ渡るちょっと前に、自分がその世界に足を踏み入れそうになった水際の話である。
それからのあれやこれやは、次回へ。