とても残念です・・・。
上の写真はホイットニーのデビュー作品です。
「ホイットニー そよ風の贈り物」
やはりデビュー時はどうしてもレコード会社から水着での撮影を要求されてしまうのでしょうかね?
この作品も後で聴いていますが、私が最初にホイットニーを聴いたのは1987年に発表した2作目の「Whitney」(ホイットニー、邦題:ホイットニーII〜すてきな Somebody)です。
(もちろん、発表してから数年後に聴いています)
中学生の頃だったと思いますが、クラスメートに両親の仕事の関係でシンガポールに長年暮らしていたH君という友人がいて、彼が色々な洋楽を聴いていたのですが、その中の一つとしてススメていたのを思い出します。
当時はCDが出始めた頃でしたが、我が家にはCDプレイヤーがなく・・・大きなステレオ内に設置してあるレコード・プレイヤーで聴いていました。
以前にもこのブログで記事にしましたが、レコードを購入するお金なんて無いので、田舎の駅前にあった「YOU&I(友&愛)」というレンタル・レコード屋さんでホイットニーのアルバムを借りて聴いていました。
(余談ですが、夏の日にアルバムをテープに録音しようとすると、熱でレコード盤自体が歪み最後の曲の方はノイズが入るんですよね)
この作品を聴いたときは<あ~これがアメリカか~>なんて感じて満喫していました。
あの当時の映画ではマイケル・J・フォックスの「摩天楼はバラ色に」が好きでしたので、"希望に満ちた懐の大きな世界観"という同じ雰囲気を感じていました。
そんな当時の楽曲はこちらです。
Whitney Houston - I Wanna Dance With Somebody
ホイットニーは、麻薬中毒の前にセックス依存症とも告白して話題になっていましたよね。
やはり、ボビー・ブラウンと結婚してからおかしくなってしまいましたね。
薬が傍にある生活だったのでしょうか?
撲殺されたジャコ・パストリアスもバーで演奏すると、ファンがジャコに接近するために薬を持ち寄ったり、楽屋に戻るとバーの店長さんから差し入れとしてテーブルに薬が盛ってあったそうです。
そうなると薬から抜け出すことは難しいかも知れませんね。
エアロスミスのメンバーもデビュー当時からメンバー全員が薬を服用していました。
「ドロウ・ザ・ライン」の頃には薬の中でも強力なヘロイン中毒により、顔が浮腫みアルバムのジャケット用の写真に使えるのがなくイラストに差し替えています。
その後低迷してメンバー全員で薬から抜ける努力をしますが、スティーヴン・タイラーの症状が一番重くメンバーから「更生施設に入らなければクビ」だと宣告されてしまいます。
なんとか復活しましたが、スティーヴンは「あの当時について質問されるが、毎日ぶっ飛んでいたので記憶がないんだ・・・」と言っていました。
そして昨日はK1ファイターのマイク・ベルナルドさんも薬により42歳で亡くなりましたね。
依存症は怖いです・・・。
ホイットニーの曲でもう一つ紹介します。
映画「ボディー・ガード」のサントラ盤に収録されているカヴァー曲です。
原曲はホイットニーがデビュー前にコーラスを担当したこともあるチャカ・カーンのソロ・デビュー曲です。
この曲でホイットニーは母親とコーラスを担当していました。
Whitney Houston - I'm Every Woman
この曲が持つ力強さと爽快感が好きです
そして映像を観て気づきましたか?
そう今度はチャカ本人も出演していますよね
さらにはホイットニーの母親もいます。
この曲の作曲者まで
さらにさらにダンサーもよく観るとTLC
懐かしい~
心憎いPVです。
そんな先輩のチャカとこの楽曲で競演している映像はこちらです。
Witney Houston - I'm Every Woman - Live
ルーファス時代のリミッターの外れたチャカのパワフルさが大好きでした。
勿論今でも好きです
チャカ・ヴァージョンは自分の結婚式でも使用しましたから
ちなみにホイットニーの名付け親が、あのアレサ・フランクリンって知っていました?
本当にソウルの世界には先輩後輩同僚と仲間が多かっただけに、このような事態になることを防げなかったことが本当に残念ですね。
ホイットニー・ヒューストンさんのご冥福を祈ります。