世田工野球部の戦績をみると、4期生が3年生になった昭和26年夏の選手権大会は善
戦・健闘していることがわかる。
新東宝野球部と世田工野球部
これは、1946年~48年にかけて、東宝砧撮影所で勃発した東宝争議と無縁ではな
東宝の経営者側・争議側の双方に組しない十大スターが10人の旗の会を設立し、19
49年新東宝映画製作所が発足した。新東宝には社会人野球チームがあり、業務の傍ら
活動していたが、独自のグラウンドを持たず、練習できる場所を探していた。
一方、世田工野球部の中に、実家が新東宝と道路を挟んだところで中華料理店を営ん
でいる部員が居て、その店をよく利用していたのが、新東宝野球部の村山氏だ。世田
工野球部の指導をお願いしたところ、2年間という約束で指導を承諾してくれた。
(注:当時を知る関係者の証言では、4期・杉浦正晴氏のご家族が中華料理店を営んで
おられたそうである。)
新東宝野球部との合同練習も実現し、双方に望ましい関係が構築された。
新東宝映画と世田工野球部。一見、無縁に思える両者は、こうして不思議な糸で結ばれ
ていくのである。
村山氏の指導は厳しかったそうだが、練習後は連日成城学園駅近くの店で腹を減らし
た部員たちにごちそうしてくれたり、よき兄貴分のような存在。その後、新東宝が
解散し、野球部の活動もなくなってしまうのだが、何か監督にご恩返しがしたい…
ということで、世田工野球部三羽ガラス(世田工卒業後、加藤氏・木澤氏・白江氏
は新東宝に入社)が発起人となり、軟式野球部「村山球団」の発足につながる。
当時一世を風靡していた鶴田浩二ひきいる野球チーム、ヤンガーズを、かなり意識して
いたとのこと。
一期先輩の今井、田中、両氏も加わり、新東宝のみなさんも参加して、たちまち
世田谷区の大会で優勝するノンプロ上がりの最強球団が誕生した。
彼らはとにかく強かった。世田谷区の軟式野球チームは当時たくさんあって、ど
んなに強くても最初はCクラスから入るという決まりだった。毎週日曜日出かけて
は、圧勝(20-0)などという点数差だったそうで、たちまちAクラスまで上りつめた。
当時野球帽の、m( Mではない、murayamano m? )を、かなり大きくしたものを作
って、目立つ軍団だった。
新東宝三羽烏の他に、同期の鈴木啓太郎氏も映画界に進まれて、こちらは、東映
撮影所のオーデションを受け、「あれが港の灯だ」「居酒屋兆治」などに出演、
活躍されてる。
日大三高戦秘話
昭和26年夏の4回戦で日大三高と対戦することになり、勝てば準々決勝と
意気が上がっていた。日大三高戦は激戦だったと、伝え聞いている。
強豪相手に敗退したものの、ベスト16は見事といっていいだろう。
昭和26年夏 | 1回戦 世田工6-5豊多摩 |
2回戦 世田工7-3独協学園 | |
3回戦 世田工6-0都立短大付 | |
4回戦 世田工2-7日大三高 |
4回戦・日大三高戦は4回まで2-0で世田工がリードしていた。
日大三高の攻撃。無死1・2塁で、そのアクシデントは起こった。
日大三高打者の打球は三塁ゴロ。捕球した三塁手は二塁へ送球。
ベースカバーの二塁手と日大三高走者が接触。判定は日大三高の
インターフェアーとなるのだが、二塁手はアキレス腱を切って、
負傷交代を余儀なくされる。交代した選手は守備に不慣れで、そこ
をついて打球を二塁手に集中されて逆転され、準々決勝進出はなら
なかった。
今回、当時を知る関係者から得た情報では、三塁ゴロは当たり損ない
で、ダブルプレーは無理と判断した二塁手は一死を確実に取りに行って、
そこへ走者の接触となったようだ。ダブルプレーが見込める打球で
あれば二塁手はベース端を踏んで一塁送球となり、一連の動きの中で
接触は免れることができたかもしれない。日大三高走者としても、併殺
は阻止したいところで、強豪を本気にさせた熱戦が目に浮かぶ。
世田工のエースピッチャーは鈴木利治氏であったが、指の負傷で投げられず
今井謙三氏がマウンドに立った。
日大三高の投手・若杉はのちに近鉄バッファローズに入団していることから
このときの日大三高の強さは想像できるであろう。
世田工野球部5期OBの白江隆夫氏は自動車科であったが、その御生涯を
映画編集に尽くされた。きっかけは、この新東宝にあったようだ。
世田工野球部OB・新東宝野球部で活躍
第6回映画人オールスター野球大会・新東宝チームに
世田工野球部OB・加藤、木澤、白江、戸塚各先輩のお名前があります
第8回映画人オールスター野球大会・新東宝チームにも
世田工野球部OB・加藤、木澤、白江、戸塚各先輩のお名前がありました
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灰田勝彦も世田工グランドでプレーしていた
灰田勝彦と言えば人気の野球俳優であった。
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