新チームは守備につくとベンチに残るのは2人という弱小でも意気高軒。強豪を押しの
けて選手権大会を制すると妄信できたのには根拠がある。わが21期は適材人員に恵
まれていて、特に守備の要となる捕手に田春豊という才能が居たからに他ならない。
世田工野球部は20期と21期の2年間彼がマスクをかぶり、その伝統を守った。
それは野球漫画ドカベンの山田太郎を彷彿とさせ、チームを見て、誰もが彼が捕手だと
納得できるだろう風貌だった。クリーンアップを任せられる柔軟な膝使いは外角低めの
決め球にもジャストミートし、右中間に運ぶ軌道を塁上から頻繁に見て、私たちは容易
に生還できた。彼を模倣して私たちの技術も向上した。公式戦の勝利がすべてコール
ド勝ちという攻撃を支えた立役者だった。
二塁手だった私には、記憶がない。相手に盗塁を許したという記憶だ。イニングごとの
投球練習。最後は二塁送球だ。あの送球を見たら誰でも企てをためらうに違いなかっ
た。主戦投手の宮沢とはいつもひそひそと二人だけで会話していた。バッテリーの聖域
も彼が守っていた。節くれだった左手は突き指で腫れていてもケロッとしていて、あと
から、折れてたかもしれないと、驚いたこともあった。
食べ放題の約束で、増田新次郎君の家の食堂で合宿中の食事のお世話になった。朝か
らてんこ盛りの彼の丼をみて、増田君のお父上は苦笑していた。
成城山・耕運寺で宿泊する合宿で、貸し布団の組み合わせが、余った敷布団二枚で寝
ることになった私を気にする優しさも持ち合わせていた。
富士山の青年の家での合宿で、御殿場高校のJRCサークルの女子とフォークダンス交
流することがあって、戸惑いながら踊っていた。
コロナ騒動で明けた2021年。いつも届く彼からの賀状が無くて、気になっていたとこ
ろ、遅れて届く中に、奥様の名前で届いた訃報には本当に驚かされた。
記憶をたどって、絞り出すのだが、いやなことを思い出せないことが不思議だ。
すい臓がんを患って、70歳になって間もなく、12月22日にお亡くなりになられた、
世田谷工業高校野球部21期OB田春豊君を偲んで、謹んでご冥福をお祈り申し上げま
す。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます