爺じの ア、閑話

70歳の現役コンビニ爺
たわいのない日常の出来事を
つぶやきながら楽しんでるよ

コンビニ爺 母の日に想う❣️

2024-05-11 20:45:00 | 日記
おはようございます♪〜

5月12日は、母の日ですね❣️

爺の母親は、大正13年生まれ。
埼玉県羽生市、利根川の際の
農家の12人姉妹兄弟の上から
3番目で生まれました。
あの当時は、どの家庭も
子沢山でした。
国の繁栄には、子沢山。
貧しい農家で、おしんでは、
ないですが、女は、食いぶち減らす為、早く嫁に行け❗️
それが当たり前でした。
テレビもラジオもなく、
本など家にはないので
尋常小学校に置いてある本📕が
娯楽だったそうです。
ひたすら本📕を読み
高等中学に進んでも
ずっと主席で卒業しました。
💐💐💐
そこで得た知識から
あっこれけして農家の方が
ダメとは、言うわけでは、
ありません。
15、16歳で農家に嫁いで
人生終わるのは、嫌だ。
18歳で、東京に1人ででてしまいました。
当然ながら、仕送りなんてありませんし、頼る人もおりません。
働きながら、独学で看護師と
助産婦の免許をとりました。
戦後22年ごろかな?
相当苦労の連続でした。
女ひとり、東京にでて。
ただ看護婦、助産婦になりたい
一心で、ひたすら働き、勉強📖し
なんとか、日赤産院で働く事ができました。
父は、前に話しましたが、
中学生ですでに両親を亡くし、
親戚をてんてんとしてまして
(母とは、遠い親戚でした)
母のその姿、生き方をずっとみていました。大正8年生まれの4歳年上。
父も両親なく、母が田舎飛び出し
独学で看護婦になった人柄に 
惚れたんでしょうね〜❣️
母と結婚。
父の町工場を支えてながら、
爺の子育て。当然自宅出産
産湯は、タライでしたよ😊

以来中断は、ありましたが、
80歳まで現役で助産師の
手伝いしてました。
妊婦🤰さんの話相手でいいから
助産院にいてくださいよと、
院長からたのまれたそうです。

胃がんで、全摘。
浅岡ルリ子なみに細い身体でなんども、骨折。
90歳で人生の終わりを迎えましたが
取り上げた赤ちゃん達は、
宝物だと言っておりました❣️

そんな両親に育ててもらった事
両親に感謝しています。❣️

母の日ふと懐かしさがよみがえりました。
義理母90歳。
骨折で母の日は、入院しておりますが、
末長く大切にしてまいります❣️

今夜も
爺の ア 閑話を
ナイト スタジオ🎙️で
お送りいたしました。
お立ち寄り、お聴きいただき
感謝 ❣️
ありがとうございました♪〜😊