私の日記

フジファブリックとの美しき日々! 芸術とえんぴつと志村くん。あたりまえなことを言いたい!

何かを創造するということ

2021-06-13 00:08:00 | 日記


誰もが考えているようなことや、
思っていることを
言葉や音楽、図や絵などで
アウトプットして、
見える化する、形にする ということは
とても大切なことだと思う。
意味のある作業だと強く思う。

言わなくてもいいことを言いたい(志村正彦さん)ということすらもとても大事に思えてくる。
言わないということはなんと勿体無いことかとも思う。

後々のことを考えると、
現代を生きる私たちが、
思考を積み重ねること、
試行錯誤した過程を記し残すことは
後々の世界を生きる人にとって
大変貴重なものになりうるからだ。
そこにこそ、表現者や芸術家にとっての醍醐味があるのではないかと思う。
少なくとも私にとってはそうだ。
後世の人は私たちが創ったものを上書きして新しいものに変えていくだろう。
これは特に大それたことをしろということではないだろう。

文筆家•池田晶子さんは以前、アリストテレスやソクラテスのことを例に挙げて、上記のことについて話していた。
その時代、同じようなことを考えていた人はたくさんいたと思うが、
たまたま考えたことが書き記されて残っていたから、現代に歴史として残っている と。

池田さんは次のようなことも言っていた。

「考え詰めると人はみな、同じところに行き着く」

そこにこそ本当の価値がある。
みなが行き着くところにしっかりと作り手が行き着き、作り手のやり方で表現すること。
新しさに目を奪われていると本当に大切なことが見えなくなる。
広告音楽 なるものはこの世にたくさん存在する。
商業的な創作物はみな、意図をもって作られたもの。
売ることを前提に作られたもの。
だから、時にいたずらに、私たちの内面的な不安や、欲求に語りかけようとする。
その点米津玄師さんは、意図的な心理的な操作をしない音楽家と思う。
コロナ禍、誰もが不安な日々である。
彼はそんな中、むやみやたらに混乱や悲しみを助長しないような形を取るべきだと公言している。

米津玄師さんやフジファブリックの音楽が他と異なる理由は
商業的な、売れる音楽が一番の目的ではなく、彼らが目指すものが揺るがず、伝えたいことを音楽を通して貫き通したことにあると思う。商業よりも想いや善意が勝ったことにある。
そしてその強い想いや善意が、普遍的な音楽に人々が気がつくきっかけとなったと私は思う。
志村くんはきっと、そういう普遍的な思いにオーディエンスが気がついた上で、たくさんの人に聞いてもらえること、理解してもらえることに価値を見出していたのではないかなと想像する。

若者のすべて
のCDの価格設定にも驚いた記憶がある。

フジファブリックはオリジナリティ溢れる音色や歌詞、世界観に加えて、普遍的な価値観が重なり、唯一無二の存在感を獲得している。思いは普遍的、だが表出するものはオリジナル という凄みがある。それが逆の場合もある。

流行りのものや目を引くものはいつの時代もどこか奇抜で、型破りなものが多い。それは人々がこれまで体験したことのない新しいもの(全く新しいものや、もしかしたら、古い=新しい=となるかもしれない! 定義はたくさんありそうです)を探し求めているからかもしれない。
ただ、本当に意味のあることは、誰もが考えているようなことであると私は思う。
だからこそ、絶えずそういう純なものを見つけ出し、読み、聴き、何らかの形で残していくことを大切にしたいと思う。

芸術家として生計を立てるとなると、
オリジナリティを求められる。
おそらく、実際そこがないと生き残れない。
だから、フジファブリックのような鮮烈な印象を持った音楽、聴いたことある音色=普遍性=に加えて全く新しい音楽性を目の当たりにすると、過去のものを研究し、試行錯誤を重ねて、綿密に組み合わせた音楽だなと納得する。そしてそれがオリジナリティを持たせている。

創造物はいつも、
既存のものの組み合わせ と
よく聞く。
組み合わせたら新しい何かが生まれる。
ただ、組み合わせる前の個体はきっと、
誰もが考えているようなこと。
ありきたりであふれていることなんじゃないかと思う。

私たちが日常で触れる音楽や本、映画なども、既存のもの、思考、手法を借りて、その上書きをする=思考を重ね、音色を組み合わせ、手法を凝らす=ことでできた産物だろうと思う。
だから本当は新しいものなんて
何一つないのかもしれない。

芸術が直面するのは、
いつの時代もおそらく、
真新しいものと、ありきたりなもの
既存のものと、新規のもの
過去と未来
その間に立つことへの葛藤 ではないだろうか。
人は新しさに腐心する。
でも何のために? 売れるため? 何者かになるため? 認めてもらうため?
本当に心に響くものは、素朴という意味のありきたりなものが多い。
なんか聴いたことある、読んだことある といったものが多い。
(決して批判しているわけではありません。このブログにおいて「ありきたりなもの」は褒め言葉以上の意味を持ちます。)
それは人々の記憶に訴えるからだと思う。
同じ経験をした、ということへの喜びが生まれるからだと思う。
文筆家•池田晶子さんの言葉を借りるならば、
「『わかる』ということの再確認」ができるからではないだろうか。みんな同じということに気がついた。
だから、普遍的なものは大切。芸術家や表現者はそれを違う方法で表出させることにやりがいを感じるのではないかなと思う。

「そんなこと誰でも思いつくよ」
そんな言葉を一度はみな、
胸の内で思ったことがあるのではなかろうか。

私は実際、何度もある。
そう思う時の自らの心理を俯瞰してみると、
「誰でも思いつくこと」を形にした他者に対して批判する気持ち=クリティカル•シンキング=はむしろない。
批判して自分の考えを事実に基づきながら展開し議論を前に進めるのであれば、
まだ良い。いやむしろ良いと思う。
論文やたくさんの本はそうして成り立っている。
ただ、前述の心理状態になっている場合、
思考はむしろ、後退している。
アウトプットから遠ざかり逆走している。
何も産み出せない自分に対するもどかしさや悔しさ、
そして、産み出した他者へのジェラシーである。

私はずっと芸術家になりたかった。
なぜならば、自分がクリエイティブだと感じる瞬間、最も心満たされるからであった。おそらく人間はみなそうなのでは? と思う。
考えたことや、伝えたいこと、想いを文章や音楽、絵を通して見えるように形にすると、本当に心が満たされる。それが誰かに「わかる!」と言ってもらえることができたらさらに嬉しい。

↓共感をされることによって、救われること。オリジナリティよりも、誰かに「同じこと感じてた!」と言われることによる意味の大きさについてアメリカの詩人•サラ•ケイさんというから学びました!
Ted Talk : サラ ケイ「私に娘がいるとしたら•••」5:27〜6:53参照のこと


創作経験から気がついたことがある。
それは、作品を創る素材や扱うテーマは本当にありきたりなものであるということだ。既存のもの。普遍的なものである。
そしてその〝ありきたり〟を、出発点としていかに試行錯誤するか、が何かを創る上で大切なポイントではないかということだ。
そのためには基盤となるものも必要だと思う。
むしろ基礎となる情報や知識などがまず大切になってくると思う。
だから、既存のものの、過去の産物から学ぶことはとても大切だ。「原典」から学ぶことも大切だ。
ありきたりになりたくなくて、過去のことを振り返らなかった、歴史から学ぼうとしなかった昔の自分に言ってやりたい。
基本あってのオリジナリティだ と。
マティスだってピカソだって、
しっかりと、美術を学んだ上で、
型を崩したのである。自分の味を出せるようになったのである。

言いたいことはすべてここにあった!
池田晶子さんのインタビュー。
本当に貴重。ありがたい。

ということで、またとりとめのない話になってしまいました。
が、創ることは大切なこと! ということを伝えられたらと思って、心の中の想いを言葉で表出させました。

もう少しまとまりを持って書きたいですが、まずは思考のあとを、ここに残しておきます。

読んでくださりありがとうございました!




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