柴犬さんと、つれづれなるままに過ごしたら見えてきた世界

残業だらけの13年・・・朝から、晩までしっかり働いていたら、ある日、突然起きれなくなった!これからどうなる、どうする?

備忘録のような3

2021-11-29 | 思うこと
6年間、

いや、その前からの違和感。

子どもがいるから、いないからで見方が変わるのは変。

結婚している、していないで、見方が変わるのは変。

正社員か非正規かで見方が変わるのは変。


別に独身でも仕事に生き甲斐をもっている人たちは素晴らしいし、

非正規雇用でも、あえて、その雇用形態を望む人もいる。



自分が、望んだ形で生きられるならいいじゃない。


ただ、望んでも、社会の都合で、要求が通らずに苦しいなら、

自分の努力ではどうにもならないわけで。

生きていることすら、辛くなるなら、

それは、社会の有り様が悪すぎるわけで。


みんな、精一杯生きているんです。

昭和の古い価値観で、


努力が足りない


と一蹴することではないんです。






備忘録のような2

2021-11-28 | 思うこと
ここ、何度か

「親ガチャ」

という言葉を目にした。

最初は意味がわからなかったけれど、

「親は選べない」という意味らしい。


そうだよね。

親が高収入なら、行きたい進路を選ぶことができるし、
そうでなければ、子は、やりたいことを我慢しないと
いけない。

大学へ行きたくても、行けないとか。


私もそうでした。


父は好きに生きた人でした。

信州で、ちょっと名の知れた家に生まれて、

長男なのに家を継がずに北海道に渡り、

組織が嫌といって起業して失敗。

借金返済のため、家を処分。


当時、高校生だった私は進路の変更をせねばならなくて。


ま、

こう書くと、全て父が悪いからとなるけれど

音大へ行きたい私のピアノ実技が、受験できる

レベルまでいかなくて、諦めざるを得なかったのも大いにある。



そして、音大は、年間100万の学費がかかるし、払える訳もない。


そこで、救ってくれたのが、母方の祖父母。

さすがに、超お高い音大を諦め、福祉科のある大学へ。


教師になりたかったのです。

音楽から、社会と、教科は変わるけど、教師になりたかった。

でも、理数が弱くて、教育大受験は、無理すぎて。。。


奨学金と祖父母の援助でどうにか、大学4年間を過ごせたわけです。


一見、悲惨な感じですが、
進路変更して、
でも、大学へ行けて、恵まれていますよね。



なんか、親ガチャと関係なくなっているようですが、違います。


親が、どんなに自分勝手でも、助けてくれる大人たちはいる。


そう信じてほしい。


助けてくれる大人が、身内であれば尚良いけれど、

今の世の中、身内でなくとも、NPOとかで、力を貸してくれる大人もいる。


まだまだ、この世は捨てたモンじゃないと思う訳です。











備忘録のような

2021-11-24 | 思うこと
2015年2月から始まった、

それまでとは違う日常。

6年の介護の生活が終わりました。


いろいろな葛藤があり、


いや、葛藤ばかり。


父を、

祖父母や、父の兄弟のもとに送り出すこと

それが、私の第一命題でした。


たぶん、送れたと思います。




私たちの姿、形は

この世でのものであり、

肉体が無くなっても

魂は残る。



姿、形があることで、苦しみが生まれる。

でも、喜びを味合うこともできる。


この6年の介護と、

私自身の病気が教えてくれたことです。



また、明日から、

新しい日々が始まります。



今まで、関わってくださった皆さんへの感謝をこめて。




瀬戸内寂聴さんの旅立ちに寄せて

2021-11-11 | 思うこと
命の危機のときがありました。

14年前。  

自分が生きていることが苦しくて

悲しくて

情けなくて


どんな音楽も

どんな言葉も

全て虚ろに思えていたとき

出会ったのが、一冊の本でした。



ただ、天井を見て息をしているだけの私に

優しく、あたたかい言葉が寄り添ってくれました。



いつも会えるように付箋をつけて


今も常に一緒にいます。



この出会いのおかげで、

私は本が大好きになり、自分を肯定することを

学びました。


いつか、寂庵に行けるようにと。


ありがとうの言葉では追いつかないくらいの感謝をこめて。