島崎城跡見学ガイド【東二の曲輪・Ⅲの曲輪・大堀】

島崎城跡東二の曲輪・Ⅲの曲輪・大堀の発掘調査報告を見ながら城跡見学を楽しみましょう。

島崎城跡見学ガイド【Ⅲの曲輪】

2022-05-19 10:08:18 | 城跡見学

Ⅲの曲輪予測図

Ⅲの曲輪発掘調査報告

以上、みてきた各曲輪が,いずれも南北臨を長軸として,自然地形を利用しているのに対し,Ⅲ曲輪は、東西幅を長軸とする。これは城が立地する行方台地末端の枝峰方向(稜線)が東から西へ形成していることにより,この枝峰上台地と城郭域である中城を区画するため、東西に長く堀切り、曲輪が東西に伸びた形となったといえる。大きさは東西185m・南北35m,曲輪占地で,面積は7083㎡,標高は29.50m前後である。

昭和43年,Ⅲ曲輪東寄りに送電鉄塔が建設される折,試掘調査が実施された。この調査で, 島崎古城ともいえる今日の島崎城遺構とは結びつかない古い時代の空堀が検出されている。

Ⅲ曲輪は、南斜面の坊主屋敷・越前曲輪と共に中城域を形成、長蛇にうねる土塁と空堀〈6〉に より,外曲輪との間を遮断している。城内域で最大の面積を有する空間であるのは、三の丸と しての物資集積の蔵建築群・兵勢訓練等の場として利用されたためであろう。

土塁は、空堀〈6〉に沿って全長207mに亘って残存する。屈曲・屈折して,堀切〈6〉と外曲輪の縁にとりつく敵に対し,横矢掛り施設となっている。内輪内からは比高1.5mほどで残り,東側塁壁上部にも土塁が続いてめぐっていた痕跡を見い出せる。

空堀<6>実効幅13~18m(上幅11~16m)で、現状の深さは6~10m。斜面壁面はいずれも岩盤が露呈し,刳り抜いた大工事過程をみることができ,凡そ45~60度の勾配である。堀の全長は凡そ240mに及び,横矢掛りのための屈折が8カ所にわたってある。とりわけ,東北部4カ所のほぼ直角に連続して屈折する様子は圧巻そのものといえる。おそらく、堀底が通路となって、東側の搦手方面からの進入をここで遮断するための周到な構築であったとみられる。



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