大堀予測図
大堀・外曲輪の発掘調査報告
Ⅲ曲輪外周の空堀〈6〉の北側が,外曲輪にあたる。標高29~30mの平坦地で,古宿の台地部である。この外曲輪には,現状で確認される堀は、三条で、西側峰つづきに掘切が残る。
図3の空堀<8>は,南側に土塁をともない。空堀〈9〉は,現在堀底が道路で,やはり土塁が,高さ2mほどで,南側および東側にめぐる。空堀〈10〉は,堀底が道路で,土塁は認められない。おそらくは空堀〈10〉が古宿集落の境目であったとみられ、その北側の堀切 <11> が,大構えとしての北限であったとみられる。空堀〈8〉は,耕作地化により,南側半分が消滅しているが、空堀〈6〉と,西側斜面でかって合わさっていたという話を古宿の古老から聞けた。古宿公民館の前を通って,空堀〈6〉と並行する道路が空堀〈8〉の穿たれていた跡にあたる。
空堀〈9〉と土塁は湾曲しカギ形となり,空堀〈8〉に合わさり,100m×80mの方形の曲輪を形づくる。古宿で,中心的な施設がこの方形曲輪内に存在したとみられる。 古宿台地の西側は権現作と呼ばれる大きな谷が入りこみ、その先(西)が御山台と呼ばれ, 寺院がかって存在した跡で,かなり削平地が残る。この御山台の西側は、上幅15m現状で深さ 1.5~2mを測る堀切 <12> がある。この堀切 <12> が古宿台地の区切りとなり,御山台から 東側は、土塁状の障壁が形成される。
なお,御山台は出城的な役割が強かったとみられ,その先端(西へ400m)に島崎城西出城が、半分カットされた情況で残る。
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