6年2組、さしみ学級! 出席簿はヨレヨレです...

『下鎌田小学校6年2組卒業生のブログ』
6年2組の仲間、そして先生が、これからも元気よく過ごせることを祈って...

告白

2012年03月31日 10時23分10秒 | 日記
6年2組のみなさん、

 こんにちは。

 明日はもう4月1日です。

 「告白」って聞くと、ゾクゾクするよね。

 僕にはもう一人、お礼を申し上げたい恩師がいました。
僕は中学2年を終えて、瑞江二中から柏市の中学校に転校しました。
その3年時の担任N先生です。

 僕の記憶では今年あたりが退職だと思っていました。
数年前に教員異動が掲載された千葉日報を調達し、在任している学校を探し出していました。
今、最期のチャンスと思い、その学校に電話してみました。
案の定、今年度を持って退職でした。校長先生になっていました。

 N先生は、電話に驚き、僕のことを気にかけていてくれていたことが伝わってきました。
そして、当時のことを話すまでもなく、
N先生は「安生君、あの時はすまなかったな」とおっしゃるのです。

 あまりに意外な言葉でした・・・、そんなふうに、思っていたなんて・・・。

 一方、N先生は、私が今抱いている感情や想いに、驚いていたのです。


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 瑞江では、みんなと仲良く過ごしていた。
太い関係を感じていた。

 柏の中学校に転入すると、そこには番長グループが
クラスを支配し、クラスメートを命令して動かすのです。

 僕はそれには耐えられず、反発しました。
転入後、ものの1週間で「安生しかと令」が出たのです。
そこからいじめが、始まりました。

 僕は、1学期終了間際、骨の病気で、入院手術をしました。
その時出会ったのが、骨肉種で脚を切り落とした幼い男の子、
腫瘍が体中に転移した同い年の女の子でした。

 このめぐり合いによって、学校でしっかり勉強しなくちゃいけない、
身体が治ったら野球をやらなくちゃいけない、と固く誓いました。

 いじめがあっても、僕は無抵抗で、反発しました。入院手術の体験があったから。
N先生は、闘っている僕を尊重して、手を出さずに見守ってくれました。

 卒業間際、N先生はクラス一人一人のスピーチを機会を創り、
僕は心にあるすべての想いを、クラス中に伝えました。
番長グループを恨む思いは全くありませんでした。
スピーチの後、やり遂げた充実感が溢れてきました。

 もしN先生が、いじめを未然に防ぐかのように動いていたら、
僕はもっと弱い人間になっていたでしょう。

 「これは僕の闘いだから手を出さないで欲しい」という想いを
察してくれた、僕の人生の型を創ってくれたことが嬉しかった。
N先生の退職前に、お礼を申し上げないといけない気持ちだった。

 電話では、そのことを振り返る会話なく、共通の記憶が存在していた。
あれから30年も経つのに。

 ずっと気にかけてくれていたことが、言葉の端々から伝わってきた。

 勇気を出して、電話して、表現してみてよかった。
N先生への感謝は変わっていない。


アンポ