6年2組のみなさん、
こんにちは。
明日はもう4月1日です。
「告白」って聞くと、ゾクゾクするよね。
僕にはもう一人、お礼を申し上げたい恩師がいました。
僕は中学2年を終えて、瑞江二中から柏市の中学校に転校しました。
その3年時の担任N先生です。
僕の記憶では今年あたりが退職だと思っていました。
数年前に教員異動が掲載された千葉日報を調達し、在任している学校を探し出していました。
今、最期のチャンスと思い、その学校に電話してみました。
案の定、今年度を持って退職でした。校長先生になっていました。
N先生は、電話に驚き、僕のことを気にかけていてくれていたことが伝わってきました。
そして、当時のことを話すまでもなく、
N先生は「安生君、あの時はすまなかったな」とおっしゃるのです。
あまりに意外な言葉でした・・・、そんなふうに、思っていたなんて・・・。
一方、N先生は、私が今抱いている感情や想いに、驚いていたのです。
--------------------------------------
瑞江では、みんなと仲良く過ごしていた。
太い関係を感じていた。
柏の中学校に転入すると、そこには番長グループが
クラスを支配し、クラスメートを命令して動かすのです。
僕はそれには耐えられず、反発しました。
転入後、ものの1週間で「安生しかと令」が出たのです。
そこからいじめが、始まりました。
僕は、1学期終了間際、骨の病気で、入院手術をしました。
その時出会ったのが、骨肉種で脚を切り落とした幼い男の子、
腫瘍が体中に転移した同い年の女の子でした。
このめぐり合いによって、学校でしっかり勉強しなくちゃいけない、
身体が治ったら野球をやらなくちゃいけない、と固く誓いました。
いじめがあっても、僕は無抵抗で、反発しました。入院手術の体験があったから。
N先生は、闘っている僕を尊重して、手を出さずに見守ってくれました。
卒業間際、N先生はクラス一人一人のスピーチを機会を創り、
僕は心にあるすべての想いを、クラス中に伝えました。
番長グループを恨む思いは全くありませんでした。
スピーチの後、やり遂げた充実感が溢れてきました。
もしN先生が、いじめを未然に防ぐかのように動いていたら、
僕はもっと弱い人間になっていたでしょう。
「これは僕の闘いだから手を出さないで欲しい」という想いを
察してくれた、僕の人生の型を創ってくれたことが嬉しかった。
N先生の退職前に、お礼を申し上げないといけない気持ちだった。
電話では、そのことを振り返る会話なく、共通の記憶が存在していた。
あれから30年も経つのに。
ずっと気にかけてくれていたことが、言葉の端々から伝わってきた。
勇気を出して、電話して、表現してみてよかった。
N先生への感謝は変わっていない。
アンポ
こんにちは。
明日はもう4月1日です。
「告白」って聞くと、ゾクゾクするよね。
僕にはもう一人、お礼を申し上げたい恩師がいました。
僕は中学2年を終えて、瑞江二中から柏市の中学校に転校しました。
その3年時の担任N先生です。
僕の記憶では今年あたりが退職だと思っていました。
数年前に教員異動が掲載された千葉日報を調達し、在任している学校を探し出していました。
今、最期のチャンスと思い、その学校に電話してみました。
案の定、今年度を持って退職でした。校長先生になっていました。
N先生は、電話に驚き、僕のことを気にかけていてくれていたことが伝わってきました。
そして、当時のことを話すまでもなく、
N先生は「安生君、あの時はすまなかったな」とおっしゃるのです。
あまりに意外な言葉でした・・・、そんなふうに、思っていたなんて・・・。
一方、N先生は、私が今抱いている感情や想いに、驚いていたのです。
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瑞江では、みんなと仲良く過ごしていた。
太い関係を感じていた。
柏の中学校に転入すると、そこには番長グループが
クラスを支配し、クラスメートを命令して動かすのです。
僕はそれには耐えられず、反発しました。
転入後、ものの1週間で「安生しかと令」が出たのです。
そこからいじめが、始まりました。
僕は、1学期終了間際、骨の病気で、入院手術をしました。
その時出会ったのが、骨肉種で脚を切り落とした幼い男の子、
腫瘍が体中に転移した同い年の女の子でした。
このめぐり合いによって、学校でしっかり勉強しなくちゃいけない、
身体が治ったら野球をやらなくちゃいけない、と固く誓いました。
いじめがあっても、僕は無抵抗で、反発しました。入院手術の体験があったから。
N先生は、闘っている僕を尊重して、手を出さずに見守ってくれました。
卒業間際、N先生はクラス一人一人のスピーチを機会を創り、
僕は心にあるすべての想いを、クラス中に伝えました。
番長グループを恨む思いは全くありませんでした。
スピーチの後、やり遂げた充実感が溢れてきました。
もしN先生が、いじめを未然に防ぐかのように動いていたら、
僕はもっと弱い人間になっていたでしょう。
「これは僕の闘いだから手を出さないで欲しい」という想いを
察してくれた、僕の人生の型を創ってくれたことが嬉しかった。
N先生の退職前に、お礼を申し上げないといけない気持ちだった。
電話では、そのことを振り返る会話なく、共通の記憶が存在していた。
あれから30年も経つのに。
ずっと気にかけてくれていたことが、言葉の端々から伝わってきた。
勇気を出して、電話して、表現してみてよかった。
N先生への感謝は変わっていない。
アンポ