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ガッチャマンクラウズ感想。より良い民主主義の実現のために非民主的な手段を用いている矛盾の一ノ瀬はじめ

 2013年夏アニメの感想の続きです。

◎「ガッチャマン クラウズ(GATCHAMAN Crowds)」(全12話)

 メインキャラ。


 ガッチャマンに変身したところ。なんてチャチなんだ・・・・・


○ これを「ガッチャマン」と題する意味も理由も分かりませんでしたが、8月に実写映画の「ガッチャマン」も公開されましたし、タツノコプロ(1962年設立)の51年目ですが50周年記念の流れとして代表作の1つにあやかったというだけのことでしょうか。

 「科学忍者隊ガッチャマン」のアニメ映画(1978年)を日本テレビで8月に放送していましたが(スカパー!ではTVシリーズ(1972年から74年)も今夏に放送。)、元のガッチャマンは悲しみが感じられる絵と話なのに、これはポップでカラフルでコミカルな絵ですし、主役の女子高生、一ノ瀬はじめ(cv内田真礼)がいつも脳天気で楽しい雰囲気ですし、よって全体の雰囲気も異なりますし、同じ固有名詞を使っているだけで、宇宙人が地球に攻めてきたから変身して戦うという基本的な設定以外の多くが異なるので、「ガッチャマン」と題する意味は分かりませんでしたが。

 いずれにせよ、面白くなかったのでどうでも良いですけれど。


◎ バトルや本筋の話はどうってことないので置いておいて、ガッチャマンである はじめ と橘清音(cv逢坂良太)の考えの違いが少し面白かったです。

 電車で老人に席を譲るように若者に注意する清音に はじめ は、若者も疲れているかも知れないと言って気にした風ではありませんし、裏道をスピード違反で走る車に怒る清音に対し はじめ は、急病人とかで急いでいるかも知れないと言って気にした風でもありません。

 万事がこんな感じ。はじめ はモノの見方には様々なものがあるから、相手の立場も考えようと言いたいのでしょうし、それ自体はそのとおりです。

 席を譲る話はその通りですが、そういうことにして席を譲らない人もいることから、一般的には席を譲るように言う清音は正しいでしょう。
 ただ、自分は正しいことをした、という満足顔はいただけません。自分が正義そのものであるかのように錯覚している感じがしますが、それはダメです。それは正義を見誤り、独善に陥る危険が高くなります。

 裏道をスピード違反で走る車の話は、これは はじめ が間違っています。急病人が乗っていて急いでいたとしても、人が飛び出してきたら、見通しも悪いですし危険です。

 だから救急車などの緊急車両は、サイレンを鳴らしているときでも、赤信号の交差点を渡るときは一時停止か最徐行をするのですし、細い道ではスピードを落とすわけです。救急車が事故を起こしたら、却って現場への到着や患者の搬送が遅れるので、そのようにするわけです。


○ そんな脳天気な新人ガッチャマンの はじめ ですが、ガッチャマンの存在を組織として隠して来たのに、自分がガッチャマンであると勝手に公表しました。
 自分で考えて決断して行動すること自体は良いことですが、周りも巻き込んで影響がある場合に自分の考えだけで事を進めて良いのかと言うと、それはダメでしょう(その組織のトップなどで、その権限が与えられているのなら別ですが。)。

 意見が分かれている場合は、どうすべきかを十分に議論し、最後は多数決で決め、決まったら意に沿わなくても全体として従うというのが民主主義です。

 はじめ は議論もせず、権限もないのに公表しました。ここは、最終12話での菅山首相の言葉の否定になっています。
 そもそも、11話で はじめ は菅山首相に、このとおりに国民に話せば良いとして発言メモを渡しましたが、これは菅山首相に言うとおりにすれば良いと はじめ が言っているということであり、これも誰かの言うとおりにすべきではないという はじめ の言動自体の否定です。

 つまり、このアニメが民主主義の理想的な姿を訴えたいのであるならば、はじめ の言動はその訴え自体の否定にもなっています。


 はじめ の言動は、民主主義の理想の実現のためには手段は選ばず、非民主的な手段でも可とするという考えのように思えます。
 ただ、民主主義の立場からは、それは一般には否定される手段です。圧制に苦しむ場合などの市民革命は肯定されますけれど。


 (ポーズを決める、はじめ。)


○ 最終12話で強大な力を持つ敵のベルク・カッツェ(cv宮野真守)と話すときも はじめ は能天気な話し方。

 このアニメでは全てが結果オーライになっているので問題は発生しないのですが、それはフィクションであり、結果オーライになるようにした話だからです。

 そこやら、ここやら、あそこやらが、何だかな~、という感じ。


 コメディならコメディとして見るので構いませんが、コメディにシリアスを入れるならそれとして見るので、そう見ると、何だかな~、という感じ。


◎ さて、このアニメが一番言いたいことは2つあり、その1つは12話の頼りない菅山首相(cv家中宏)の言葉でしょう。

 クラウズによる犯罪がまた増えたので、免許制にしてはどうかとのマスコミの質問に、
 「私は、免許制には反対です。クラウズは、誰でも使えるからいいんです。でも、まずはみんなの意見を聞きましょう。この国のリーダーは、私だけじゃないからね。」とニコリとしてウインク。

 それを聞いた記者は、ため息混じりの苦笑い。


○ 政策を決めるにもネットで国民の意見を聞くというのは、国の政策を決めるには世論も踏まえるという意味であれば正しいですし妥当です。

 (なお、現在はネットの活用度が人によって大きく異なることなどから、ネットで世論調査をすると全体的な意見の集りにならずに、一部の者の意見ばかりという偏った結果になるのが現状ですから、ネットでの世論調査はアテにはなりません。ただ、このアニメの世界では、病床の老人が使いこなしていることからして、全員が一定水準以上にネットを利用すると共に活用しているという前提の様子。)

 しかし、国民に決定の多くを任せるのは、衆愚政治に陥るのが歴史の常ですし、逆に、大統領や首相などの一部の政治家or政治家全体or王様に多くを任せるのは独裁になるのも歴史の常ですし。


 つまり、権力者と国民は常に相互に牽制しつつ、同時にある程度を任せつつということが必須であり、そのためには、常に相互に牽制しつつ、その牽制が出来るようなシステムとそのシステムが保障される制度が民主主義を守るためには必須なのです。


 クラウズを免許制にするかどうかは重要なことのようですから国民の意見を聞くのは良いのですが、重要ではないことまでその調子でやりそうな雰囲気なので、ちょっと待てよ、と思った次第。


 国民のほぼ全てが、自分には不利益でも国民全体のためにはなることを常に支持するのであれば、衆愚政治に陥る危険は減りますが、日本も外国も、国民はそこまで成熟していません。

 また、政策のほぼ全てが白黒付けられるものであれば、このアニメのように上手く行きますし、衆愚政治に陥る危険も減りますが、どれが正しいか妥当かは、結果が出てみなければ分からないことも多いです。それは、専門家も国民一般も意見が分かれている日本の現状(消費税、アベノミクス、TPP、中韓への対応等々)を見るだけでも、それは容易に想像できます。
 よって、白黒は簡単に付けられないものですから、このアニメの前提は成立しません。



○ もう1つは11話での、ガッチャマンのリーダーのパイマン(cv平野綾)(朝や夕方アニメには出ているようですが、深夜アニメで平野さんは久しぶりな気がするけれど、どうなのだろう?)の、「神のようなジェージェー(J.J.ロビンソン(cv森功至))様にすがっていたことに。」と自分で決めずに他人の決定に従っていたことを悔やんで思う台詞。

 11話で清音も同じ意味のことを思っています。

 はじめ はこれを事実上否定し、自分で考えて行動することを求めたわけです。



◎ このアニメは性善説にたった楽天的で理想郷のような、だけどその中にシリアスを混ぜていたものの、現実にはあり得ないアニメですが、理想郷への希望は示しつつも理想郷にはまだなっていないところは安直ではなくて良かったです。
 要は、これからの国民1人1人の自覚と努力が必要不可欠であると。

 しかし、全体として能天気に描いていることや はじめ の言動の矛盾もあって、今一つ、そのメッセージがすんなりとは入ってこないです。


【shin】
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