新説ブランコで首を吊った男
岩上 智一郎
2024/09/09
色々手直ししなきゃ…、2006年に執筆したこの作品は、そう思いながらこれだけの年月が過ぎていた。
初めて書いたホラー作品なので、より完成度の高いものにしたい。
14年のブランク、こういった手直しから入るのも悪くないだろう。
~プロローグ~
時代は二千六年……。
小説を執筆して二年目。
これまで『新宿クレッシェンド』『でっぱり』『打突』など、多数の作品を執筆してきたが、同じジャンルしか書けていない現状に頭を抱えていた。
違うジャンルの作品を書いてみたい……。
いくら考えても、いいアイデアは出なかった。
今日は仕事も休みで、気分転換にホラー映画を見ている。
ようは現実逃避をしている訳である。
一体、何作ぐらいのDVDを借りたのだろうか。
最近のやつは、「ワー」とか「ギャー」ばかり目立って、心底怖いものが何もない。
霊的な映像を見ていると、ついこれは合成か何かでやらせなんじゃないかと勘繰ってしまう。
私ならここをこういじって、もっと怖くするんだけどな……。
「そうかっ!」
何かが頭の中で閃いた。
私は、パソコンに向かい、ワードを起動する。
キーワードはDVD……。
そして映像……。
作品名も、自然と頭に浮かんだ。
『ブランコで首を吊った男』
うん、これならインパクトある名前だ。
様々な構想が浮かび上がり、一つの物語に混ざっていく。
今なら、この閃きをうまい具合に、作品を書けるだろう。
自分にとって未知の新たなジャンル、ホラー小説……。
私なら、心底怖いホラーを書ける。
そう静かに心の中で呟いた。
私は、一心不乱に両手でキーボードを打ち出した。
~亀田の章~
二階の部屋の窓から見える小さな公園。
僕はたまにそこへ一人で行く事がしばしある。
何でかって?
恋人がいるわけじゃない。
友達もいるわけじゃない。
仕事にしたって在宅でできるから、まともな人付き合いさえない。
でも、それでいいんだ。
煩わしい人間関係など面倒なだけ。
ただでさえ家から出る機会が少ない僕は、たまに気分転換で公園へ行く。
自分でも臭いと感じるぐらい汚れた部屋。
勝手に転げ落ちるの山になった空き缶のゴミ箱。
すぐそばには燃える用のゴミ箱があるのだが、中身はほとんどティッシュばかりだった。
すえたかび臭い匂いが鼻をつく。
続いて山済みにされたたくさんのエロ本。
カラーボックスにはエロビデオとエロDVDだらけだ。
部屋の片隅には万年床があって、目の前にはパソコン関連のものばかり。
十畳の部屋がとても狭く圧迫感を覚える。
彼女の一人でもいれば、掃除してくれ少しはマシにしてくれるんだろうな。
でもそんな事は夢であり、現実でそんな奇特な事をしてくれる女性なんていやしない。
ふと机の上にある小さな鏡を手に取って、自分の顔を見てみる。
濁った鏡に、僕の醜い顔が映し出された。
天然パーマのせいで焼きそばのように縮れた髪の毛。
しかも天辺は薄くなってきている。
見事に垂れ下がった細い一重の目。
鼻もだんごっぱなだ。
肥満を感じさせる二重アゴ。
四十歳になっても消えない頬のニキビ。
これを吹き出物とか言う輩もいるが、僕はニキビなのだと思っている。
醜く突き出た三段腹。
運動をろくすっぽしていないので、どんどん太っていく毎日だ。
チビでデブでちょっとハゲ……。
そして四十歳の独身中年……。
部屋に引きこもるオタク……。
僕に対する世間の評価なんてこんなものだろう。
パソコンを使う以外は、マスターベーションぐらいしかやる事がない。
日課の中に必ずマスターベーションが入る四十男。
惨めなものだ。
学生時代は常にいじめの対象だった。
こんな僕だけど、怨みはキッチリと自分なりの流儀で仕返ししてきた。
パソコン以外、友達のいなかった僕はとことんスキルを追及した。
僕をいじめた同級生をこっそり隠し撮りし、合成写真を作成して学校の至る所に貼ってやった事もある。
どんな内容の合成写真を作ったかって?
それは人と人が醜く争うな物を作るように心掛けた。
例えばAとBがいつもつるんでいる仲のいい友人だったとする。
Bの彼女とAを暗い教室の片隅で抱き合ってキスしたりしている合成写真を作り、至る所に貼りまくる。
当然AとBは殴り合いの喧嘩になった。
身に覚えがないのに追求されるA。
自分の女に手を出され怒り狂うB。
男同士の信頼関係など崩すのは容易い。
この間僕もいじめに遭わず、仕返しも出来る最高の計画である。
人為的に相手へ不幸を巻き起こす。
それが自分の思い通りにいったら気分は最高である。
僕は人間同士を破滅に追い込む、破壊工作のプロフェッショナルだ。
生まれてから四十年経つが、誰一人、僕の正体を知らない。
エロビデオの男優にモザイクをかけるくだらない仕事を済ませ、布団に寝転がる。
日課であるマスターベーションを済ませると空腹感を覚えた。
「あ~あ…、面倒臭ぇ~……」
立ち上がるのも、近所のスーパーへ行くのも億劫だが、人間、空腹感には勝てないものである。
モソモソと着替えを済ませ、食料の買出しに行く事にした。
当たり前だが、外は夜中なので真っ暗だった。
アパートを出てすぐ近くにある公園の前に差し掛かる。
気分転換にブランコでも乗って行こうかな……。
どうせ二十四時間営業のスーパーなので、時間は気にしなくていい。
僕は暗い公園の中に入っていった。
ブランコ一台にシーソー、滑り台付きのジャングルジム、砂場ぐらいしかない小さな公園。
赤いベンチがポツンと一つだけあるのが、いつもの事ながら薄気味悪く感じる。
気味悪く人から疎まれる僕と薄気味悪い公園。
いい組み合わせだ。
深夜なので、人一人いない静寂に包まれた公園。
空を見上げると、今日は星がよく見えた。
この澄んだ空を汚してやりたい気分だった。
赤いベンチに腰掛け、煙草を吸う。
吐き出す煙がゆっくりと夜空へ溶け込んでいく。
僕はそれをゆっくりと眺めた。
今この時間だけは、僕一人の公園なのだ。
たまに僕はひと気ののいない夜中、孤独感を癒す為この公園のブランコに乗って、何も考えずただブラブラと漕ぐ。
ブランコに揺られている間は惨めな気分にならない。
乱暴に吸殻を投げ捨てると、ブランコのほうへ向かった。
途中で妙な違和感を覚える。
おかしい……。
何だかいつもと様子が違う。
ここは僕一人しかいないはずだ。
それなのに誰か他にいるような気配がする。
辺りを見回してみたが、誰もいる様子はない。
単なる気のせいだ……。
自分に言い聞かせ、ブランコの方へ向かう。
近づくにつれ、妙な嫌な臭いがしてきた。
「うっ……」
人間本当に驚いた時は声が出ないとよく言われるが、正にその通りだった。
視力の悪い僕は、ブランコの目の前まで来て、初めて自分以外に誰かいる事に気がつく。
僕は言葉を失ったまま、正面をジッと見た。
目の前にサラリーマン風の男がいる。
視線は地面のどこか一点を見据えているようで、僕などまるで視界に入っていないみたいだ。
その男は、全身の力が抜けたかのように両腕をダランと垂らしていた。
頭の上に見える紐。
その紐を上に追っていくと、ブランコの上の棒にくくりつけてある。
静寂に包まれた空間の中での異質な状況。
頭の中がどうにかなりそうだった。
僕はその場に汚物をぶちまけたかったが、懸命に堪えた。
しばらく地面に座り込んでから、もう一度ゆっくり男のほうへ振り返った。
グレーのスーツの男はブランコの場所で、こんな夜中に首を吊っていたのだ。
地面から三十センチほど宙に浮いた足。
その足元には糞尿など様々な老廃物でいっぱいだった。
異臭の元はこれだったのだ。
警察に通報しなくちゃ……。
電話ボックスに向かいながら頭の中で整理した。
通報したらどうなるか……。
まず警察に第一発見者として事情聴取されるのが面倒だ。
口下手な僕はどうせうまく説明できないだろうし、下手したらこっちが容疑者にされる恐れもある。
僕が最初から見なかった事にしたとしても、この公園には誰もいないし分かるはずがない。
面倒はごめんだ。
それにしてもこのような場面に出くわすなんて、人生でそう何度もないだろう。
記念に僕は携帯のカメラで、ぶら下がった男を何度も角度を変えて撮った。
部屋に戻り、パソコンへ撮った画像を送る。
あの場では冷静に男の顔とかを見られなかったが、モニターを通しての画像なら普通に見られた。
こんな事をしたら罰が当たるかもしれない。
だけど僕は神も仏も霊魂も信じていないから、別段問題ないだろう。
年齢は五十代だろうか。いや老けているように見えるだけで、僕と変わらない四十ぐらいかもしれない。
白髪が混じった黒髪。
あの公園で深夜、自殺するぐらいだから、相当嫌な思いをしてきたのであろう。
カッと見開いた両目。
歯の間からは舌がはみ出していた。
顔色は鬱血しているせいか、かなり醜い。
あんな糞や尿まで漏らして……。
これを見たら自殺したいと思っても、首吊りだけはやめておこうという気持ちになる。
十枚ほどの首吊り画像を丹念に見ていると、全身鳥肌が立ってきた。
『公園』というフォルダを作り画像を納める。
僕が見た時は、死後どのくらい経過していたのだろう。
窓を開ければ、あの公園はすぐ見えた。
まだあの男は、ブランコに吊られているままなのだろう。
さっきまでの空腹感など、どこかへいってしまったようだ。
こんな状況で食欲があるほど、僕はタフではない。
「キャーッ……」
外から悲鳴が聞こえた。
窓を少しだけ開けて覗いてみる。
多分、近所の主婦が首吊り男を発見したのであろう。
こっそり様子を見ていると、夜中にもかかわらず近所の野次馬が続々と集まってきている。
僕の部屋からだと、公園のブランコの場所は木が邪魔でハッキリ見えない。
ただ公園に集まる異様な数の野次馬を見て、首吊り男が発見されたのが分かった。
構わず大声で叫ぶ連中や悲鳴を上げる女性までいる。
そんな嫌なら見に行かなければいいのに。
それにしても首吊り男は何故、あんな薄暗い公園なんかで自殺したのだろう?
自殺者の真意など到底理解できそうもなかった。
よほど追い詰められていたのかな……。
まあ、僕には関係のない事だ。
あんなに大騒ぎするような件を実は一番初めに僕が目撃している。
しかも証拠写真まで撮ってパソコンに収めてあるのだ。
ゾクゾクとした妙な興奮が全身を包む。
遠くでパトカーのサイレンの音が聞こえる。
誰かが通報したのだろう。
野次馬を見物していると、パトカーがようやく到着する。
そこまで見て、僕は睡魔に襲われたので寝る事にした。
あの首吊り騒動から一週間が経った。
首吊り男は自殺だった事が警察の調べで判明したらしい。
今日は仕事をいつもくれるデザイン会社の担当編集者の早乙女と打ち合わせ。
新しい仕事の度に駅前の喫茶店で行う。
どうも生理的に僕はこの早乙女という男が嫌いである。
理由は特にない。
でも嫌いなタイプの男だった。
どうでもいい話だが、昨日隣に新しい住人が引っ越してきたようだ。
「すみませーん。隣に越してきました香田という者ですが……」
ご丁寧に挨拶周りのつもりか僕の部屋のチャイムを鳴らしてきたが、挨拶するのが億劫なので無視する事にする。
その事以外、僕の生活は何も変わりがなかった。
いつものように淡々と仕事を済ませ、マスターベーションをするだけの日々。
四十年間生きてきて、何も代わりばえのない生活。
女に相手にされないどころか、男からも相手にされない現実。
僕は人とのコミュニケーション能力がほとんどないのだろう。
週に一度は行くファッションヘルスも、僕が客だと風俗嬢は露骨に嫌な態度をする。
もらっている金は一緒じゃねーかと、何度心の中で叫んだ事か……。
キャバクラは一回行ってすぐに懲りた。
あれは金をドブに捨てるようなものだ。
女の身体を触れる分、風俗の方がマシである。
金で買う疑似体験は、その時間が終わるといつも虚しさだけが残った。
それでも僕は金を稼ぎ、食料と疑似体験にほとんど費やして生きている。
人間は平等であると誰かが言っていたが、あれは嘘っぱちだ。
ルックスのいい男に生まれた奴らはそれだけで勝ち組だ。
僕ら醜い男は金を稼ぐしかない。
金で恋愛とセックスを買うしかなのだ。
それでも僕は、自殺を考えた事はなかった。
性欲だってあるし、食欲だってある。
人間は生きていくのが最大の目的なのであると僕は言いたい。
例の首吊り事件があってから、深夜買い物へ行くのは避けるようにしていた。
夜にあそこの公園前を通るのは、正直気味のいいものではない。
あの男のせいで、公園に行く習慣がなくなったのも事実だ。
さすがに近所の人々も、あの公園には誰も寄り付かない。
たまにあの事件を知らない人たちが訪れるぐらいであった。
スーパーに食料の買出しへ行く。
例の公園も、昼間に通ればそんなに怖くなかった。
買い物カゴを持ちながら、適当に食料品を放り込む。
大抵はカップラーメンがメインだ。
それとお菓子。
栄養のバランスもクソもあったものじゃない。
でも誰に迷惑を掛けている訳じゃないのだから、それでいいのだ。
向こうのほうで、うなぎの特売セールか何かで人が集まっている。
うなぎか……。
しらばく食べていなかった。
たまにはいいかもしれない。
人だかりの合間から手を伸ばしパックをつかむ。
その時、パックを掴んだ僕の手に、誰かの手が触れる。
柔らかくしっとりとした小気味いい感触の手だった。
「あら、ごめんなさい……」
横で声が聞こえた。
振り返ると、二十代半ばの女がこちらを見て微笑んでいる。
「この人混みであなたが掴んでいたの気付きませんでした。ごめんなさい」
「い…、いや…。いえ…。そんな……」
身近でこんなに素晴らしい女に接したのは生まれて初めてだった。
もちろん声を掛けられたのも初めてだ。
ウェーブの掛かった綺麗な茶色のロングヘアー。
薄緑のワンピースが非情に似合っている。
パッチリと開いた綺麗な二重まぶたの瞳は、中に星でも入っているじゃないかと思うぐらい輝いていた。
見事なまでに整った端正な顔立ちは、テレビに出ている芸能人と変わらない。
淡いピンク色の唇は、優しく僕に微笑み掛けている。
心臓がバクバクと激しい音を立てて鳴っていた。
「よ、よかったらどうぞ」
僕はうなぎのパックを慌てて離す。
「すみません。気を使っていただいて……」
その女は軽く会釈をしてその場から消えていく。
僕はしばらくそのエレガントな後姿を眺めていた。
あのような気品に満ち溢れた女もいるのだ。
ストーカーになる男の心理が、少しだけ分かるような気がする。
他のコーナーを意味なく歩きながら、視線を先ほどの女に合わせた。
スタイルも顔立ちも喋り口調も優しく完璧な女だ。
やがてその女はレジに並びだしたので、僕も隣のレジにさりげなく並ぶ事にした。
スーパーで買い物を済ませると、アパートへ向かう。
偶然にもあの女が僕の前を歩いている。
目線は後姿に釘付けだった。
ほんの数分でアパートだが、彼女はこの近くに住んでいるのだろうか?
例の公園を通り過ぎ、もうじき到着してしまう。
できれば住んでいる所を調べたかった。
女性に対し、このような気持ちになったのは、ずいぶんと昔のような気がする。
「あっ……」
目の前の女が買い物袋から野菜を落としたのに、気付かずに歩いていく。
これはチャンスだ。
僕は大きく息を吸い込んでから声を掛けた。
「す、すいませーん。野菜、落としましたよ」
僕の声で女は振り向き、慌てて野菜を拾う。
それからゆっくり微笑んできた。
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