2024/07/08 mon
※この記事は補足して下記のリンクで書き直しました
50歳になってから一週間で二度の心筋梗塞
51歳になって、新しく借りたマンションの大家が後付けで親メーター方式という形で光熱費を違法請求され、40万くらい余計に毟り取られる
52歳は詐欺被害に遭い140万騙し盗られる
災難続きではあるが、これは別に最近になって始まった訳ではないので、自分自身嫌ではあるがあまり動じていないのだ
幼少…、小学校に入学してから強制で始まった雁字搦めの教育
一つも望んでいないのに八つの塾や習い事へ通わされ、家族間は非常に仲が悪く、同じ家に住んでいるのに祖父母のところへ行くだけで殴る蹴るの強烈な虐待を受ける
外で親戚のおばさんとバッタリ会い笑顔で挨拶しただけで、帰ると媚を売るなと暴力を受けた俺
必然と感情を露わにしなくなる幼少時代を過ごすようになった
こんな地獄のような生活がずっと続くのかと日々の日常を恨む
しかしそんなものは杞憂に終わる
小学校二年生の冬
あれだけ虐待を繰り返した母親は俺ら男三兄弟を捨てて、ひっそり家から消えた
初めて心から笑顔になれた俺たち兄弟を祖父母、父親の妹であるおばさんが育ててくれた
ボンボンだった父親は、家の金を自由に使い遊び回っているだけだった
家の目の前は映画館で母親がいなくなり自由になった俺は毎日のように映画をタダで観て可愛がられて育つ
ジャッキーチェンの映画を見て衝撃を受け、真似できるトレーニングはやるようにした
小学校高学年になると祖父が弁護士を同伴した状況で、養子にならないか?と言われる
財産を少しでも俺に多く残したかったらしいが、それを受けると父親の立場が無いだろうし丁重に断った
遊び人だった父親は家に帰ると豹変し、傍若無人だった
情けない面をしやがってとすれ違うだけで殴られ、突発的で理不尽な暴力を受ける
俺らを捨てた母親は家から500メートルも離れていない場所で、別の男と一緒に料理屋を始めた
実家が近かった母親は姪である従兄弟の裕子に対し、自分の都合いいように言い訳をしていた
逆恨みで俺を恨む裕子は模範的な優等生だったので、とても先生受けが良くまた影響力もあった
そんな彼女が俺の家は寄って集って母親を追い出したというデマを発信するようになる
再び学校でも闇が訪れた
幼少時代から思っていた事
強くならないと殺されちゃう
頭がいいだけでは誰も守ってくれない
中学、高校生時代になってもツッパる事は一切しなかった
そんな格好だけ態度だけ悪くしたところで、強くなれないのは自覚していたから
中学三年生で病弱だった祖母は他界する
最後まで俺の高校受験を心配してくれた
離婚もせずに別の男と一緒に暮らす母親
遊び人で完全に育児放棄の父親
酷い時は父親に弄ばれた人妻三人が同時に家へ怒鳴り込んできた事もあった
おばさんは何故おまえたちのお母さんが離婚しないか分かるか?
それは家の財産が目当てだったんだよと常々言われた
強くなりたい
そして嫌だったけど母親の元へ一度行き、話し合って俺が両親を離婚させないとと考えるようになった
美大とかから推薦もあったが、大学進学は一切考えず、いち早く社会人になりたくて、一番早く就職が決まる自衛隊を選んだ
社会人になって一番始めの行動が母親との再会だった
他人以下と割り切っていたので敬語で話す俺に対し、母親は泣きながら礼儀正しく育ってくれてと勘違いする
しかし離婚にはすぐ応じてくれた
俺の要求を飲んでくれた母親に対し、彼女なりの言い分は聞いてあげようと思い、自衛隊の間数回会いに行く
それを知った父親は「そんなおまえは母親が恋しいのか? 岩上の姓を捨てろ」と罵られた
自分が出て行った言い分をする母親
次第に言い分から、亡くなった祖母の悪口になってきた
俺には優しく厳しかった祖母
そんな祖母の悪口を言う母親に対し我慢できなくなり反論をした
「何でこんな馬鹿に育っちゃったんだろ。私がちゃんと育てていれば……」
自分の意思で俺たちを捨てて出て行った事も忘れ、母親は俺を罵倒した
俺は完全に母親と決別する事にした
結局のところ、人間の性根というものはそうそう変わらないものなのである
俺の根底には強烈な憎悪が根付いている事に気付く
自衛隊での無茶苦茶なシゴキ
催涙ガスをテントの中で焚き、サザエさんの歌詞5番まで書いた紙きれを渡され、中で歌わされた事もあった
ガスマスクをつけたまま、外周5キロを走らされた事もある
腹筋の姿勢で足を上げたまま一時間放置
腕立て伏せの体勢のまま一時間放置
途中崩れると容赦のない暴力が飛ぶ
性格の曲がった班長は俺たち班員に言った
おまえたちを後期教育遠くへ飛ばせば飛ばすほど俺の成績は良くなる
おまえらこのまま朝霞にいられると思うなよ?
そして10名の俺たちから1万円ずつ貯金おろされ自衛隊にあるPX(売店)で10万円分の班長が要求するものを買わされた
どうせ地元の近くにいられないのなら、とことん遠くに行ってやろう
俺ら班員の4名が北海道へ行く事になった
北海道倶知安の街の人間はとても優しい
しかし上官たちは腐っていた
基本的な生活の使い走りは当たり前
酷い上官になるとわざわざ一番遠い隊舎の四階にある自動販売機でコーラを買って来いというひねくれた人間もいた
態度が生意気だと文句を言われ、数名による問答無用の暴力行為は日常茶飯事
上官の命令には絶対
ならば辞めてしまえば上官ではない
俺は一任期途中で辞める事を決意し、そのまま北海道へ一週間だけ留まった
これまで酷い仕打ちをした上官たちへ仕返しする為だけに潜伏していたのだ
狭い町である
休暇を取った自衛官の遊び場所などすぐ特定できた
ある程度の復讐を終えると俺は地元川越へ戻る