会社の元同僚を誘ったことがある。
「瞑想会あるからどう?」
「それって、座るだけ?」
「そう、座るだけ」
「うーん、ちょっと興味ないかな」
と言われ、それっきり連絡が無くなった。こんなにもマインドフルネスが有名になり、アメリカのIT長者たちが瞑想をしていることが定説になっても、まだ瞑想を怪しいとおもっている人はいるのだ。いるべきである。いつづけるべきである。実際に怪しい団体はあるからだ。気をつけるに越したことはない。また、人生が楽しくて仕方ない人も、瞑想は不要だと思う。瞑想に時間を使うくらいなら、楽しいことにどんどんと時間を使って毎日を謳歌してほしい。
私も実際のところ、調子がいいときは瞑想をしなくなる。でも、瞑想を止めるとイライラが貯まってくるのがよく分かる。掃除をサボって数日経つと、歩く度に埃が舞うみたいに。瞑想をやり始めるとまた調子が良くなって、調子が良くなると止める。そしていつも思う、もしずっと瞑想を続けていたら、もっといい結果だったのかしら、と。きっとそうなんだろうと思う。なぜならば、埃のない床は快適だから。
勉強にしろ、習い事にしろ、仕事にしろ、共通しているのは、エゴを捨てると上手くいくっていうことなのだろうか。ここでいうエゴは、「サボりたい気持ち」のこと。「それやって何の得になるわけ?」のこと。悪魔のささやきに打ち勝って、サラサラーっとやるべきことをやればいいのに。それが難しいから、ウンウン言うわけだけれども。
今も「あー、座らないでさっさと眠りたい」という声が脳内にこだましているのだけれど、「毎日瞑想を続けたらどうなるんだろう」という好奇心が勝ったようなので、好奇心、言い換えれば煩悩を優先して、今から瞑想してみようと思う。
つまるところ、人生の成功法則はエゴを捨てることなのか、はたまた煩悩を満たすことなのか。2500年前にブッダは言った。
「魚がよりきれいな水に住みたいと思うように、人間がよりよい生活をしたいと望むのは自然なことだ」
一切の生命が幸せでありますように。