ぼくは、このブログで自分の住んでいる場所を『福岡県八幡』と書いている。どうして正式の名称である『北九州市八幡』と書かないのかというと、東京にいた頃、『北九州市』と言っても知らない人が多くいたからだ。
「君、いなかどこ?」
「北九州市」
「ああ大分県か」
こんなやりとりをいつもやっていた。それでぼくは『北九州市』と言うのをやめ、『福岡県八幡』で通すようになった。義務教育を受けた人なら、『八幡製鉄所』くらいは知っていると思ったからだ。
ではなぜ福岡県を入れるのかというと、『八幡』と言うと、京都の八幡と間違われるからだ。ちなみに読みは、福岡は『やはた』で、京都は『やわた』だ。
2,
今はどうか知らないが、ぼくが東京にいた頃は、九州のことを知らない人が多くいた。例えば、
「福岡市の近くに博多ってところがあるだろ?」
「博多は福岡市の近くじゃなくて、福岡市の中にあります」
とか、
「福岡県の県庁所在地は博多市だろ?」
「博多市なんてありませんよ」
こんなやりとりが何度もあった。九州一の大都市でさえその程度の認識だったのだ。
その頃、八幡製鉄所を見学したことがあるという人と話したことがある。ちょうどぼくが八幡から東京に戻ってきた時だった。
「いなか帰ってたんだ」
「はい」
「いなかはいいでしょう。空気がきれいで星が見えて」
この人は八幡に行って何を見てきたんだろうと思ったものだ。当時の八幡は、街が臭く海が汚く星が見えない典型的な工業都市だったのだから。今は知らないが、ぼくが東京に住んでいた当時は、八幡よりも東京の方が、ずっと星がきれいだった。
他には、すでに新幹線が博多まで開通していたにも関わらず、博多の手前の小倉を「こくら」と読まず、『おぐら』と読む人が多かった。ぼくはいつも、
「京都じゃないんだから」と言って読み方を正していた。
まあ、彼らにとっては、『こくら』でも『おぐら』でも、どちらでもよかったのだろう。関東で生活していく上で何の支障もないのだから。
でもね、大分や宮崎に行く時には困りますよ。乗り換え駅は『こくら』なので、『こくら』と憶えている人は、車内案内で「次はこくら」という放送があれば、すんなりと下車できる。しかし『おぐら』と憶えていると、いつまで経っても「次はおぐら」という案内はしないから、下手すれば乗り過ごして博多まで行ってしまう可能性がある。
3,
義理の叔母の話だが、彼女は神奈川生まれの神奈川育ちだ。叔父と結婚するまで、一度も九州に行ったことがなかったらしい。
その後九州に来ることになるのだが、その時の出で立ちがえらく野暮ったかった。後で話を聞いたのだが、九州に行くのだから、山道やあぜ道ばかり歩くと思い、そういう出で立ちになったらしいのだ。実際自分の住んでいる場所よりもずっと都会だったという。
一般的に九州というと、ど田舎扱いになっているが、それは仕方のないことで、九州をど田舎にしなければならない歴史の事情がそこにあるからだ。それを明らかにすると、今の日本が成り立たなくなってしまう危険性があるわけだ。そのことは、今後徐々に明らかになってくると思います。ヒントは『白村江の戦い』にあります。
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