●本多646号論文の地平を全否定した26全総決定 /以上のことから、「党と労働組合の一体的建設」論において中野洋の軍門に下った清水丈夫の姿が浮き彫りになる。その清水が果たした犯罪的な役割を明らかにしなければ、この問題を解明、総括することにはならない。 /26全総決定では、次の清水の文章を麗々しく引用している。 /「3全総路線……これはまさに、今日の革共同の〈党と労働組合の一体的建設〉という路線の原型モデルともいうべきものであった。」(『革命的共産主義運動の50年/現代革命への挑戦〈上巻〉』序章=清水丈夫執筆、13年12月刊) /この清水の一文とそれを美化する26全総決定は、革共同の歴史的な到達地平をことごとく否定し、解体するものである。とりわけ本多の『前進』646号論文「革命闘争と革命党の事業の堅実で全面的な発展のために」に対立・敵対するものである。 . . . 本文を読む
●誰も責任とらず、処分もなし、何の自己批判もなし /革共同26全総の議案が公表された(『共産主義者』第202号、2019年11月1日刊)。それをみると、「議案」とあるが、「2日間の討議で採択され、公表にあたって若干の修正をおこなった」とあるので、実質的に「26全総決定」というべきものである。以下、26全総決定と記す。 /同決定を一読すると、そもそも26全総は、書記長・天田三紀夫を始めとする政治局員5人が解任あるいは逃亡にいたった‘政治局崩壊’というかつてない重大な組織問題の真相を隠蔽している。その真相とは、(1)辻川問題、(2)山梨問題、(3)国労共闘解体問題(国労共闘解体・国労脱退―動労総連合拡大問題)のことである。したがって、その政治的・組織的責任を誰もとらず、ことごとく開き直るものとなったと断定できる。 . . . 本文を読む
【管理者のコメント】 /2019年3月から8月にかけて、革共同(中央派)政治局にたいする党内の批判・追及が燃えあがりました。その動力となったのは、2014年に中央WOBの一員である山梨(神奈川県委員会湘南支部)によって許しがたい暴力的な女性差別を加えられ、しかもその告発を政治局に握りつぶされ、言語に絶する苦しみを強制されてきた前進社本部α部局のPさんの党員としての命がけの決断による渾身の告発でした(2019年3月)。Pさんと連帯する同部局の女性同志たちは、ともに、真正面から政治局と対決したのです。 /それが党本部の全部局に伝わり、強い共感と連帯が生み出されました。政治局とりわけ3人組と呼ばれる書記長の天田三紀夫氏、天田(黒川)純子(=木崎)氏、河村剛(=坂木)氏という政治局員、そしてα部局担当の鎌田雅志氏ら4人の政治局員が一斉に批判され、追及を受けるところとなったのでした。そしてついに、彼らは党本部の党員たちによって政治局員を解任され、自らも辞任を表明しました。 /そのなかで、Pさんへの女性差別犯罪のすべてを承知し、それに加担した天田書記長が、当然にももっとも重大な組織責任を問われました。しかし、天田氏は右往左往するばかりで、問題を見すえることもできず、何をどう謝罪し、何をどう自己切開し、どう自己批判すべきなのかも、わからないありさまだったそうです。 . . . 本文を読む
【管理者のコメント】 /引き続いて、資料として革共同26全総議案の後半部分を転載します。そこでは、新しい地点からの党建設とたたかいの任務・方針を記述しています。 /しかし、党建設論については、7回大会とそれ以降の組織総括において事実関係の自己批判的総括を避けたために、基本的視座をどう定めるのか非常に混乱している様が表れています。また任務・方針については、相も変らぬカンパニア主義に終始しています。世界史的大流動情勢にたいする綱領的認識がまったくなく、日本帝国主義・安倍政権にたいする階級的な危機感と怒りがありません。どこを、どう変えていくのか、非常に混迷しているようです。 . . . 本文を読む
【管理者のコメント】 /革共同中央派の第26回全国委員会の報告文および議案を前半と後半の二つに分けて転載します(『共産主義者』202号、2019年11月1日刊)。 /議案の方は、26全総当日に配布された議案に加除修正をほどこしています。総会での討議やその後の検討を経たものなので、「議案」というより「決定」というべきものでしょう。 /26全総を開かざるをえなかった‘政治局崩壊’という事態についての事実関係の記述がほとんど何も公開されていません。「組織防衛上の配慮」を一定認めるとしても、ほとんどまったく触れていないのは、党員および労働者人民にたいしてあまりに不誠実、官僚主義の極みであり、ほんとうのところ何も自己批判していないものといわざるをえません。この点で、当日配布の議案には、次の文章があったとのことです。いわく。「……とりわけても同盟本部(前進社本社)にあった政治局の指導的同志の責任についてあいまいにすることはできません。しかしわれわれは、倫理的弾劾と自己批判に終始するわけにはいかない。」と。「倫理的弾劾と自己批判」はやらないというのです。そこに26全総の本音があるといっていいでしょう。 . . . 本文を読む
Kさんへ /まずは、この本『革共同政治局の敗北1975~2014』との出会いの機会を与えていただき、感謝しています。10月4日(金)に読みおえ、心の整理をしていました。本日は、仕事の都合で、時間があるので筆をとりました。何点かお伝えしたいと思います。 /最初に、著者の2人の革命家の10年にわたる真摯な総括に、心から敬意を表します。様々な評価はできるとは思いますが、こうした総括がきちっとなされ、世に出たということは、ラジカル(文字通りの意味で)な運動の歴史に、不朽の財産を残されたと思います。 . . . 本文を読む
Ⅰ)自浄力ゼロの革共同中央派 /革共同中央派が、2019年9月に第26回全国委員会総会を開催したことを発表した(『前進』3076号、10月14日付)。そのなかで、26全総の議案を近く『共産主義者』202号に掲載する、と記している。この記事も、26全総議案の中身を要約したものとみてよいだろう。 /しかし、問題は26全総開催の前に、中野洋死後の、〈天田三紀夫・天田(黒川)純子(木崎)・河村剛(坂木)&辻川慎一⇔清水丈夫〉という政治局体制(註1)がすでに全面的に瓦解していたことである。 /中央WOB(ウォッブ)(中央労働者幹部団全国会議、註2)の一員である山梨(神奈川県委員会湘南支部)が党本部α部局のPさんをレイプし、その後も性暴力をふるい続けるという許しがたい女性差別を犯したこと、それにたいするPさんおよび連帯する女性たちの必死の告発(19年3月)がなされたことが導火線となり、(1)辻川問題、(2)山梨問題、(3)国労共闘解体・国労脱退―動労総連合拡大問題の矛盾が爆発したのである。 . . . 本文を読む
革共同の現状について心から思うこと /長島由紀夫 /私は現在、党から離れてずいぶん長い時間の経過した一勤労老人にすぎません。しかし昨今伝え聞くところとなった革共同の現状、とくにこのサイト『試練――現代現在史研究のために――日本の新左翼運動をどう総括するのか』に投稿されている元政治局員・水谷保孝氏の記事で明らかにされた党中央指導部の腐敗と堕落ぶりは、それらがもし事実とするなら、とうてい看過することが出来ないものだと感じました。私自身は不本意な形で党を離れましたが、きわめて長い年月を党員としての活動に費やし、革命的共産主義運動に人生の大半をかけてきた者の一人として、何らかの形で社会的に意見を表明する責任があると痛感するに至りました。「社会的に」という意味は、この問題がもはや一党派の単なる党内問題の次元を超えているようにしか見えないということです。 /ちなみに上記記事の執筆者である水谷氏が党を離れた経緯や立場、その後の政治主張について私も存じています。大変失礼ながら私自身はこれらに共感しているわけではありません。その前提の上でではありますが、サイト運営者からこの意見表明の場をお借りできたことに深く感謝する次第です。 /結論から言います。革共同は可能な限り早い時期に党大会を招集し、60年にもおよぶ革命的共産主義運動(以下「革共運動」)の完全な破産を認め、解党を決断すること。これが世の全ての人びとに対する革共同、とりわけ指導部のただ一つの責任ある態度だと思います。 . . . 本文を読む
書記長・天田三紀夫氏や政治局員・木崎冴子氏、同・坂木(高原洋一)氏ら「三人組」が牛耳る革共同中央派。その中央派が今、‘政治局炎上’というべき瓦解状況に陥っています。天田氏が書記長辞任を表明、木崎氏、坂木氏、鎌田雅志氏が自己批判中、昨年には辻川慎一氏が脱党・逃亡といった事態となっています。議長・清水丈夫氏は自らに火の粉が降りかかるのをただただ避けようとしているだけのようです。そうした事実関係の情報はすでに革共同外にも伝わり、次第に広まっています。 . . . 本文を読む
(上)「慰霊の旅」のどこが問題か /●政治行動を強める新天皇徳仁 /新天皇徳仁体制が動き出しています。徳仁は、即位した際に、「上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し,また,歴代の天皇のなさりようを心にとどめ,自己の研鑽さんに励む…」と裕仁、明仁の戦争犯罪を始めとするすべての所業を全面的に肯定し、それを継承していくと表明しました(2019年5月1日)。 /さらに、米大統領トランプとの会談では、日米安保同盟維持・強化に一歩踏み込んだ発言をしました。いわく。「8年前の東日本大震災の折に、2万人を超える貴国軍人が参加した「トモダチ作戦」を始め,貴国政府と貴国国民から,格別の温かい支援を頂いた…」。さらに、「今日の日米関係が,多くの人々の犠牲と献身的な努力の上に築かれていることを常に胸に刻みつつ,両国の国民が,これからも協力の幅を一層広げながら,揺るぎない絆きずなを更に深め…」。周知のように、トモダチ作戦とは、3・11東日本大震災・福島原発事故の救援を名目にした米軍の軍事作戦行動でした。アメリカ海軍・海兵隊・空軍が統合軍を編成し、横田基地に司令部を置き、2万4000人の将兵、190機の航空機、24隻の艦艇が参加しました。とりわけ、沖縄の普天間基地と嘉手納基地を出動拠点とし、在沖米軍基地と海兵隊の軍事的プレゼンスを誇示したのでした。大震災・原発事故を政治利用した米軍作戦であり、かつ日米軍事協力体制の実行だったのです。それを徳仁は手放しで賛美したのです。 /また、戦後の日米関係が沖縄戦とそこでの県民の筆舌に尽くしがたい残酷な犠牲を踏み台にしていること、裕仁が沖縄を文字通りアメリカに売り渡したことによって成り立ってきたことを、徳仁は百も承知で、それを肯定し、沖縄基地強化を軸とする日米安保体制の強化を表明したのです。 . . . 本文を読む
天皇代替わりをめぐるマスコミ報道は我慢ならないものです。まるで日本中が前天皇と新天皇への礼賛一色であるかのように描いています。実際、天皇と天皇制にひれ伏し、ひざまずく人々は圧倒的な多数であるかのようです。ことに著名な知識人・文化人がわれもわれもと「陛下」「陛下」といいつのっている状況が与える影響は大きなものがあるでしょう。 /しかし、マスコミによる「日本人庶民の天皇礼賛の図」は、作為的に一部の動きをデカ写しにするものです。たとえば、SNSでは、じつに多くの人たちが天皇代替わり反対の意思を表明しています。5月1日のおわてんねっと主催の集会・デモには雨天を衝いて約500人が集まり、意気高く銀座デモをやりました。 /天皇代替わり反対の行動と意思表明を小さくてもどんどん強め、広めていきたいものです。そして、それは可能です。 . . . 本文を読む
革共同創設者・木下尊晤(野島三郎)氏を追悼する――革共同創成以来、革命の熱い情熱と使命感を燃やし続ける /《哀悼の辞》 ●葬儀の報告 /革命的共産主義者同盟全国委員会の木下尊晤(きのした・たかあき、ペンネーム:野島三郎)氏が2019年2月28日午前7時37分、腎不全とガンのため、闘病中の病院で逝去されました。享年82。 /木下氏は、故本多延嘉書記長から最も深く信頼され、ともに革共同全国委員会を創設しました。以降、政治局員として幾多のたたかいを指導してきました。後半生は苦しい病気とのたたかいでしたが、革命の熱い情熱と使命感を燃やし続けました。 /3月1日、都内斎場で、ご家族・ご親族を中心にささやかな葬儀が行われました。斎場の都合で急遽、死去の翌日となりましたが、長年のゆかりの人々が駆けつけました。遺影が掲げられ、「木下尊晤氏略年譜」が配布され、在りし日の木下氏を偲びながら、“革命家・野島三郎“との永遠の別れを惜しみました。 /近年の革共同(中央派)の恥ずべき堕落とあまりの惨状を見るとき、創設者である彼の、言葉に尽くせぬ無念の思いはいかばかりであったでしょうか。その痛恨の思いと革命の意志をしっかりと受け継いでまいりたいと思います。(2019年3月2日)
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「平成は戦争のない時代」ではなかった‼ /天皇明仁の誕生日会見(2018年12月20日)が批判されるべき問題点はまだまだあります。マスメディアが強く押し出したフレーズ、「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と語ったことこそ、その最大の犯罪性といえるでしょう。この言葉には何重にも犯罪的な意味があります。 /ちなみに、新聞各紙やニュースサイトのメーン見出しは次のようです。 /「戦争のない平成に心から安堵/沖縄 犠牲への思いこれからも」(朝日新聞)。 /「平成 戦争なく『心から安堵』 天皇陛下きょう85歳」(読売新聞)。 /「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに心から安堵 天皇陛下85歳/沖縄へ 皇后さまへ 声震わせ在任最後の誕生日会見」(東京新聞)。 /「天皇陛下85歳 誕生日会見(全文)/平成が戦争なき時代として終わろうとして安堵」(YAHOO!ニュース)。 /ほとんどのマスメディアが明仁の「平成が戦争のない時代、心から安堵」というフレーズを一番にもってきていることは、今回の会見の核心がどこにあるかをじつによく示すものだといえましょう。まさに、明仁の言とは逆に、「平成は戦争のない時代」ではなかったのです。明仁はこの現実を隠蔽し、現実から人々の注意をそらせています。これは明らかに意図的な政治行為ではないでしょうか。
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●島津の琉球侵略から410年目を迎えて /2019年は、薩摩藩が琉球侵略を強行した1609年から410年目にあたります。薩摩島津家による琉球支配は、その後、270年にわたりました。それを引き継ぎ、さらに質的・量的に強化する形で、近現代史において日本国家は一貫して、琉球-沖縄を暴力的に侵略し、差別し、同化を強制し、切り捨てる植民地主義を続けてきました。 /その中で、天皇明仁と美智子は、皇太子時代から今日まで、あたかも沖縄の理解者であるかのように振る舞っています。しかし、彼らが「沖縄に心を寄せる」と語れば語るほど、実は琉球-沖縄の人々の怒りと憎しみがおのれに向かうのを恐れていることを示しているといっていいでしょう。そのことも含め、明仁は琉球-沖縄問題に非常に強いこだわりをもたざるをえないのです。 /この問題を明確にさせておきたいと思います。 /明仁は、よく知られているように、琉球を武力で侵略し、排他的に支配せんとした薩摩島津家の直系の末裔でもあります。 /明仁の母である良子(ながこ。死後に香淳皇后と追号)は、父が久邇宮邦彦(くにのみや・くによし)、母が島津俔子(ちかこ)であり、その長女として生まれました。島津俔子は、第12代薩摩藩主で、廃藩置県によって公爵となった島津忠義の七女です。つまり明仁の母方の曾祖父は、最後の薩摩藩主・島津忠義なのです。 . . . 本文を読む
天皇明仁の誕生日会見(2017年12月20日)については、すでに多くの方々が鋭く批判し、強い怒りを表明しています。誰もが感じたように、それはまさに、“朕は日本国家の頂点に立つ君主なるぞ、汝ら臣下に勅語を与えるぞ”というような高みから物申す、実に傲慢不遜なものです。最も根本的な問題は、第二次世界大戦とそこにおける日本の戦争に言及しながら、自らの父・天皇裕仁の超A級戦犯たる戦争責任・植民地支配責任・弾圧迫害責任を覆い隠していること、かつアジア人民・日本人民への謝罪の立場、その言葉の一かけらもないということだと思います。これは、とうてい許すことができないものです。 /その会見の犯罪性はいくつもありますが、私がとくに指摘したいのは、沖縄に言及した下りです。 /そこで明仁は、戦後の日本が「平和と繁栄を築いてきました」と述べ、「そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。……沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私ども(明仁と美智子のこと)の思いは、これからも変わることはありません」と語っています。 /この下りを聴いて、私は何と政治主義的な狡猾な発言かと思いました。 /第1に、明仁がこれまで沖縄について言及した他の発言と合わせてみると、「実に長い苦難の歴史」「耐え続けた犠牲」というのは、1972年(昭和47年)までのことを指しており、復帰以後の米軍基地の存続を不問に付し、この問題は含まれていません。 . . . 本文を読む