都知事選の階級的本質と細川候補支持の意義(上)
――マルクスは奴隷制廃止の実現へリンカーンを支持した
(A)ちゅうちょすることなく細川候補支持を
東京都知事選挙は、いよいよ白熱の度を増している。選挙情勢は、非常に流動的であり、なお多くの都民がどの候補に投票するか決めていないとみられている。
細川護熙候補と小泉純一郎元首相のツーショットによる連日の街頭宣伝が次第に細川支持への流れをつくり出している。それと連携しながら、3・11以前から長く反原発に取り組んできた人々を中心とする「脱原発都知事を実現する」という細川支持の運動が広がり始めている。しかし、NHKや民放や大新聞など、ほとんどのマスコミは、細川候補の存在を低く相対化させたり、意地悪い表現で紹介したりしているのが目につく。
そのなかで、反体制的な層のうち少なからぬ人々が、細川候補には脱原発への良心を感じても、それを支えている小泉氏の存在に強い警戒心をもっている。
れっきとした自民党員であり、後継者の息子・進次郎氏をとおして今なお自民党内の権力政治をうち、渡辺喜美氏らのみんなの党や小沢一郎氏の生活の党の動向をにらんで政界再編をうかがっている小泉氏。だから、「そんな小泉の思惑に乗せられてたまるか」というスタンスをとっている人が多いのは、もっともなことである。
何よりも、小泉氏は、首相在任中、2005~06年に「原子力立国路線」を敷き、相次ぐ事故で危機に陥っていた原発推進路線を反動的に立て直した最高責任者であり、したがって3・11福島原発事故をもたらした直接の張本人ではないか。
また、雨宮処凛氏が自身のブログで、次のように激しく批判しているのは、鋭く、正しい。
「(小泉氏が)視察すべきはフィンランドの最終処分場などではなく、劣化ウラン弾がブチ込まれたイラクではないのか。今もさまざまな病気に苦しむ子どもたちがいる病院をまずは視察し、自分が支持した戦争の果てに起きている残酷すぎる現実を直視すべきではないのか、と。」「劣化ウラン弾は、『核のゴミ』の、最悪の処分方法が具現化した兵器だ。最終処分場でそこまで『脱原発』に目覚めたならば、もうひとつの『最悪の処分方法』に、なぜ目を向けないのだろう。私たちが、あのことを『忘れた』とでも思っているのだろうか。だとしたら、舐められているにもほどがある。」
細川氏にしたところで、福島の被災者、内部被曝者の苦しみ、その絶望感や迷いを受けとめようとしているとしても、ほんとうに、その要求と願いに応える行政をやるかどうか、まったく未知数である。なぜなら、彼の「原発ゼロ」の論理と政策の中には、これまで54基の原発を推進してきた国策と数多くの原発事故が、とりわけ福島原発事故が生み出した悲惨な現実がまったく未解決のままであること、これをどうするのかというアプローチが、決定的に欠落しているからだ。
「福島の問題は東京の問題です」と言うなら、厖大な核廃棄物の処理や、流出し続けている放射能汚染への防止をどうするかのビジョンを示すべきだし、少なくともそれらが気の遠くなるような課題であることを直視するぐらいの態度の表明があっていい。だが、それはない。あくまでも「これからは原発ゼロでいく」という、一種の乗り移りが細川氏の都知事選出馬の原点である。
だが、しかしである。
今次都知事選の階級的・社会的・歴史的な基底にあるのは、〈全原発廃炉か、それとも原発維持か〉の非和解的な対立である。その基底にある対立関係を浮き彫りにさせ、全原発廃炉への流れを後戻りがきかないほど決定的につくり出すことができるかどうか――ここに私たちの切迫した課題があることは、明らかなのではないだろうか。私たち自身が、今こそ、3年前の3・11による未曽有の被害、そこでの福島原発事故の恐ろしい現実を想起し、旗幟を鮮明にして行動すべき時ではないだろうか。今次都知事選は、これができる千載一遇のチャンスではないだろうか。
原発――正確には核発電――の再稼働など、とんでもないことである。日々続く福島原発事故の拡大をあらゆる手段で防がなければならない。大震災と原発事故による被災者・内部被曝者への救援、治療、生活保障を最優先させなければならない。まして、「日本経済の利益のために」というアベノミクスの口実のために原発を輸出することなど、あってはならない。
ここで、この都知事選において、「原発ゼロ」を明確に掲げる細川候補を積極的に支持し、その当選のために、ちゅうちょすることなく行動することは、原発維持を軸に戦争と暗黒への道を逆転的に暴走する安倍政権、その本体である日本帝国主義あるいは日本資本主義の打倒を志向する人々の共同の確認となるべきではないだろうか。
直接には、実質的な自公候補である舛添要一候補と原発礼賛の田母神俊雄候補を、選挙戦において完膚なきまでに粉砕することが求められているのではないだろうか。
以下、この点を明確にさせるために、今次都知事選の階級的本質を解明するとともに、かつて約150年前のアメリカ南北戦争にあたってマルクスらヨーロッパの革命家および労働者階級がとった態度をめぐる歴史の教訓を掘り起こしてみたい。
(B)細川候補の「脱原発」は本物である
細川護熙候補の語るところをよく聴くと、演説を聴いた人が誰でも言っているように、その「脱原発」の意志は本物である(註 どういう意味で「本物」かは後述する)。
以下、細川氏の出馬会見や街頭演説から書き出す。
●“原発容認の責任を感じ、最後の仕事として都知事になる”
「私は東日本大震災後、瓦礫を活かす命の森のプロジェクトをやっておりました。その一方で、脱原発の声を上げ続けてきました。」
「なぜ出馬を決意したかということですが、私は、今の国の方向、めざすものに危ういものを感じています。憲法、安全保障、近隣諸国との関係について懸念しています。」
「成長がすべて解決するという、傲慢な資本主義からは幸せは生まれないと思っています。」
「私がとくに心配しているのは、成長のためには原発が不可欠だと言って、政府が再稼働させようとしていることに強い危機感を覚えています。それが出馬するきっかけです。原発のリスクの深刻さは、福島、チェルノブイリを見るまでもなく、ひとたび事故を起こせば国の存亡にかかわる事故になります。原発依存型、エネルギー消費型から180度変換しなければ、と思います。
なぜそのような危機感をもつか。それは3・11が決定的なきっかけとなりました。かつて私も信じていた、原発はクリーンで安全という神話は崩壊しました。福島第一原発4号機は大地震が来ても大丈夫なのか、汚染水は止まっているのか、核のゴミを捨てる場所がない、そのような中で再稼働させるということは、後の世代にたいする犯罪的な行為だと思います。
原発がなければ経済が成り立たない、という人もいますが、今まで原発は2年間停まったままではありませんか。
今、ここで、原発ゼロの方向を明確に打ち出さなければ、50年経っても原発依存の体質から抜け出すことは不可能でしょう。再稼働にストップをかけ、世界に発信していく必要を確信しています。
この都知事選は、小泉さんが言ったように、『原発がなくても発展していける』という人たちと、『原発がなければ発展できない』という人たちとの戦いであります。私は『原発がなくても発展していける』と信じている人たちの先頭に立って戦っていくつもりです。」
「これからは原発をあちこちの国に売り込んだりするような、そういう欲張りな資本主義ではなくて、もう少し自然エネルギーとか、脱成長とか、そうした心豊かな生き方というもので満足できるような、そうした国づくりというものを進めていかなければならないのではないか。」
「向こう3年間選挙がないので原発再稼働となれば取り返しがつかない。誰もいないので決断しました。」
「不条理に対して闘う気力があれば、老いることはない。志があれば人間はいつまでも青年です。」
「都知事選の争点に原発の問題はふさわしくない、という人がいますが、都知事の任務は都民の生命と財産を守ることです。浜岡、東海、柏崎刈羽原発で事故が起こったら、都民の生命・財産は重大な影響を受けることになりますから、オリンピックやTPPどころではありません。待機児童ゼロや高齢者医療を掲げていますが、原発事故が起これば福祉も消費税もTPPも根拠を失います。ですから、原発こそ最大の争点、最大のテーマであることは、疑う余地がありません。」
「私たちの世代は、原発を容認してきました。その責任を感じています。それは小泉さんもあります。その不明の責任を感じ、われわれ世代の最後の仕事として、新しい経済の展望を開いていきたいと思っています。
具体的には、『東京エネルギー戦略会議』を設置し、基本計画を作っていきたいと思います。」
細川候補が、首相在任中の原発容認の責任を率直に認めている点は、素直に受け止めたい。彼は、3・11の深刻さを強調している。3・11の衝撃を受けて、すべてががらりと変わらなければならないと言っている。彼に言われるまでもなく、その通りなのだ。問題は、どういう立場において3・11の衝撃を受けとめたのか、である。
また細川候補には、原発事故から都民の命を守らなければならないという必死の使命感も感じられる。
その上で、選挙戦に入ってから強調している次のような主張をみれば、彼らの原発ゼロの「本物性」がどういうものか明らかである。
●資本主義日本の命運をかけてポスト原発へ舵を切る
「原子力発電は古い産業です。実際にはコストがかかり、放射性廃棄物を処分することができません。大きな事故が起こっており、リスクの大きい産業です。
ヨーロッパでは、原発から自然エネルギーへと転換しています。アメリカのWH(ウェスティングハウス社)もGE(ゼネラル・エレクトリック社)も、原発から撤退していく方向です(註 これは正確ではない。後述)。
日本も、省エネルギー産業、再生可能エネルギー産業を成長産業にして、世界でトップクラスの成長産業を育てていくことです。東京がその先頭に立って、原発ゼロの成長戦略をリードしていきます。」
「これからは自然エネルギーが成長のカギです。トップが原発ゼロを鮮明にさせれば、日本の企業は、たちどころに雪崩を打ってと言ってもいいぐらいその方向に向かうでしょう。外国の例をみても、コストがかかり、リスクの大きい原発産業から自然エネルギー産業へと切り替え、急角度で経済の成長をとげています。
今は蓄電の技術も高くなり、自動車も効率のいいものが開発されてきています。トヨタなどの試みが進んでいます。トップが自然エネルギーの方向を明確にさせることです。」
「その成長の果実でもって雇用も福祉もよりよいものにしていけるでしょう。」
上記のような主張は、小泉元首相も街頭演説でずいぶん押し出している点である。
細川護熙公式ホームページで掲げられている公約は、「原発ゼロの成長戦略」論が基調となっている。
それとの関連で、2020年のオリンピック・パラリンピックを一つの大きな目標にして、自立分散型エネルギーシステムのモデルを示すとしている。
さらに、国家戦略特区の活用、民間活力の活用による都市インフラ整備を進めることを押し出している。
つまり、細川候補の「原発ゼロ」論は、3・11の衝撃を受けとめようとするものであり、筆舌に尽くしがたい被害をこうむった福島の人々への思いを踏まえたものであることは事実である。ちなみに、小泉元首相の場合は、その契機はほとんどない。しかし、そこから、日本の大企業はポスト原発の新産業である省エネルギー産業・再生可能エネルギー産業へと長期的な戦略を切り替えよう、と提案するものなのである。
その背後にはトヨタ資本がいることは明らかであり、さらに三菱重工業の資本の政策も反映しているようである。
一言でいえば、細川候補と小泉元首相の「原発ゼロ」論とは何か。
それは、3・11と福島原発事故を資本主義日本の危機として感じ取り、1950年代以来の国策としての原発政策、その原発を軸に厖大な関連企業のすそ野を築いてきた日本の産業社会のあり方を転換させなければならないと決断したのである。いわば、日本支配階級の伝統的なエスタブリッシュメントの一翼を担う者として、まさに「トップ」として、全ブルジョアジーに向かって、ポスト原発産業である自然エネルギー産業への戦略的な転換を呼びかけているのである。
重ねていえば、彼らの「脱原発」論は、あくまでもポスト原発論なのであって、反原発論ではない。つまり、原発あるいは核発電および核武装を原理的に否定する反原発論ではないのである。
●1億円借り入れ疑惑は「でっち上げ」との証言
なお、細川氏が首相を辞任した際の1億円問題が取りざたされたが、細川候補は会見で次のように語っている。
「1億円問題は潔白が証明されています。契約書を取り交わし、借り入れ後全額返済で解決済みです。佐川急便事件はその10年後のことで自民党の多くが未だ返していない事件です。」
当時のことについて、村上正邦・元自民党参議院議員会長が「あれはデッチ上げ」と証言している(『週刊ポスト』2月7日号)。
それによると、細川氏が佐川急便から1億円を借りたのは、熊本県知事選出馬の前年1982年のこと。
「当時、佐川が政治家に資金を貸すという名目で事実上返さなくてもいい金を渡していたことは知っていたから、これは倒閣できると思った。ただ、実際には細川さんは借入金を佐川にしっかり返済していたんだよね。後からそれを証明する貸付記録も出てきたし。
聞いた話では、検察が押収していた佐川の貸付記録には、借りっぱなしになっている自民党の大物たちの名前が連なっていて、だからこそ、検察は資料を出せなかったんだ。
で、細川側が証拠として出していたのがいかにも雑な領収書だったから、そんなものは偽物だ、って糾弾したんだよ。実は細川さんだけがちゃんと返していて、追及する自民党側は佐川から金をもらったままだったんだから、無茶苦茶な話だよ。」
労働者人民には縁遠い巨額のカネの話は、不透明な話ばかりである。どこまでが真相で、どこまでが闇の話かはよくわからない。しかし、佐川急便からの1億円借り入れ問題は、細川候補の説明や村上証言が出て、細川攻撃の材料にはできなくなったようである。
(つづく)
2014年1月30日
隅 喬史(すみ・たかし)
――マルクスは奴隷制廃止の実現へリンカーンを支持した
(A)ちゅうちょすることなく細川候補支持を
東京都知事選挙は、いよいよ白熱の度を増している。選挙情勢は、非常に流動的であり、なお多くの都民がどの候補に投票するか決めていないとみられている。
細川護熙候補と小泉純一郎元首相のツーショットによる連日の街頭宣伝が次第に細川支持への流れをつくり出している。それと連携しながら、3・11以前から長く反原発に取り組んできた人々を中心とする「脱原発都知事を実現する」という細川支持の運動が広がり始めている。しかし、NHKや民放や大新聞など、ほとんどのマスコミは、細川候補の存在を低く相対化させたり、意地悪い表現で紹介したりしているのが目につく。
そのなかで、反体制的な層のうち少なからぬ人々が、細川候補には脱原発への良心を感じても、それを支えている小泉氏の存在に強い警戒心をもっている。
れっきとした自民党員であり、後継者の息子・進次郎氏をとおして今なお自民党内の権力政治をうち、渡辺喜美氏らのみんなの党や小沢一郎氏の生活の党の動向をにらんで政界再編をうかがっている小泉氏。だから、「そんな小泉の思惑に乗せられてたまるか」というスタンスをとっている人が多いのは、もっともなことである。
何よりも、小泉氏は、首相在任中、2005~06年に「原子力立国路線」を敷き、相次ぐ事故で危機に陥っていた原発推進路線を反動的に立て直した最高責任者であり、したがって3・11福島原発事故をもたらした直接の張本人ではないか。
また、雨宮処凛氏が自身のブログで、次のように激しく批判しているのは、鋭く、正しい。
「(小泉氏が)視察すべきはフィンランドの最終処分場などではなく、劣化ウラン弾がブチ込まれたイラクではないのか。今もさまざまな病気に苦しむ子どもたちがいる病院をまずは視察し、自分が支持した戦争の果てに起きている残酷すぎる現実を直視すべきではないのか、と。」「劣化ウラン弾は、『核のゴミ』の、最悪の処分方法が具現化した兵器だ。最終処分場でそこまで『脱原発』に目覚めたならば、もうひとつの『最悪の処分方法』に、なぜ目を向けないのだろう。私たちが、あのことを『忘れた』とでも思っているのだろうか。だとしたら、舐められているにもほどがある。」
細川氏にしたところで、福島の被災者、内部被曝者の苦しみ、その絶望感や迷いを受けとめようとしているとしても、ほんとうに、その要求と願いに応える行政をやるかどうか、まったく未知数である。なぜなら、彼の「原発ゼロ」の論理と政策の中には、これまで54基の原発を推進してきた国策と数多くの原発事故が、とりわけ福島原発事故が生み出した悲惨な現実がまったく未解決のままであること、これをどうするのかというアプローチが、決定的に欠落しているからだ。
「福島の問題は東京の問題です」と言うなら、厖大な核廃棄物の処理や、流出し続けている放射能汚染への防止をどうするかのビジョンを示すべきだし、少なくともそれらが気の遠くなるような課題であることを直視するぐらいの態度の表明があっていい。だが、それはない。あくまでも「これからは原発ゼロでいく」という、一種の乗り移りが細川氏の都知事選出馬の原点である。
だが、しかしである。
今次都知事選の階級的・社会的・歴史的な基底にあるのは、〈全原発廃炉か、それとも原発維持か〉の非和解的な対立である。その基底にある対立関係を浮き彫りにさせ、全原発廃炉への流れを後戻りがきかないほど決定的につくり出すことができるかどうか――ここに私たちの切迫した課題があることは、明らかなのではないだろうか。私たち自身が、今こそ、3年前の3・11による未曽有の被害、そこでの福島原発事故の恐ろしい現実を想起し、旗幟を鮮明にして行動すべき時ではないだろうか。今次都知事選は、これができる千載一遇のチャンスではないだろうか。
原発――正確には核発電――の再稼働など、とんでもないことである。日々続く福島原発事故の拡大をあらゆる手段で防がなければならない。大震災と原発事故による被災者・内部被曝者への救援、治療、生活保障を最優先させなければならない。まして、「日本経済の利益のために」というアベノミクスの口実のために原発を輸出することなど、あってはならない。
ここで、この都知事選において、「原発ゼロ」を明確に掲げる細川候補を積極的に支持し、その当選のために、ちゅうちょすることなく行動することは、原発維持を軸に戦争と暗黒への道を逆転的に暴走する安倍政権、その本体である日本帝国主義あるいは日本資本主義の打倒を志向する人々の共同の確認となるべきではないだろうか。
直接には、実質的な自公候補である舛添要一候補と原発礼賛の田母神俊雄候補を、選挙戦において完膚なきまでに粉砕することが求められているのではないだろうか。
以下、この点を明確にさせるために、今次都知事選の階級的本質を解明するとともに、かつて約150年前のアメリカ南北戦争にあたってマルクスらヨーロッパの革命家および労働者階級がとった態度をめぐる歴史の教訓を掘り起こしてみたい。
(B)細川候補の「脱原発」は本物である
細川護熙候補の語るところをよく聴くと、演説を聴いた人が誰でも言っているように、その「脱原発」の意志は本物である(註 どういう意味で「本物」かは後述する)。
以下、細川氏の出馬会見や街頭演説から書き出す。
●“原発容認の責任を感じ、最後の仕事として都知事になる”
「私は東日本大震災後、瓦礫を活かす命の森のプロジェクトをやっておりました。その一方で、脱原発の声を上げ続けてきました。」
「なぜ出馬を決意したかということですが、私は、今の国の方向、めざすものに危ういものを感じています。憲法、安全保障、近隣諸国との関係について懸念しています。」
「成長がすべて解決するという、傲慢な資本主義からは幸せは生まれないと思っています。」
「私がとくに心配しているのは、成長のためには原発が不可欠だと言って、政府が再稼働させようとしていることに強い危機感を覚えています。それが出馬するきっかけです。原発のリスクの深刻さは、福島、チェルノブイリを見るまでもなく、ひとたび事故を起こせば国の存亡にかかわる事故になります。原発依存型、エネルギー消費型から180度変換しなければ、と思います。
なぜそのような危機感をもつか。それは3・11が決定的なきっかけとなりました。かつて私も信じていた、原発はクリーンで安全という神話は崩壊しました。福島第一原発4号機は大地震が来ても大丈夫なのか、汚染水は止まっているのか、核のゴミを捨てる場所がない、そのような中で再稼働させるということは、後の世代にたいする犯罪的な行為だと思います。
原発がなければ経済が成り立たない、という人もいますが、今まで原発は2年間停まったままではありませんか。
今、ここで、原発ゼロの方向を明確に打ち出さなければ、50年経っても原発依存の体質から抜け出すことは不可能でしょう。再稼働にストップをかけ、世界に発信していく必要を確信しています。
この都知事選は、小泉さんが言ったように、『原発がなくても発展していける』という人たちと、『原発がなければ発展できない』という人たちとの戦いであります。私は『原発がなくても発展していける』と信じている人たちの先頭に立って戦っていくつもりです。」
「これからは原発をあちこちの国に売り込んだりするような、そういう欲張りな資本主義ではなくて、もう少し自然エネルギーとか、脱成長とか、そうした心豊かな生き方というもので満足できるような、そうした国づくりというものを進めていかなければならないのではないか。」
「向こう3年間選挙がないので原発再稼働となれば取り返しがつかない。誰もいないので決断しました。」
「不条理に対して闘う気力があれば、老いることはない。志があれば人間はいつまでも青年です。」
「都知事選の争点に原発の問題はふさわしくない、という人がいますが、都知事の任務は都民の生命と財産を守ることです。浜岡、東海、柏崎刈羽原発で事故が起こったら、都民の生命・財産は重大な影響を受けることになりますから、オリンピックやTPPどころではありません。待機児童ゼロや高齢者医療を掲げていますが、原発事故が起これば福祉も消費税もTPPも根拠を失います。ですから、原発こそ最大の争点、最大のテーマであることは、疑う余地がありません。」
「私たちの世代は、原発を容認してきました。その責任を感じています。それは小泉さんもあります。その不明の責任を感じ、われわれ世代の最後の仕事として、新しい経済の展望を開いていきたいと思っています。
具体的には、『東京エネルギー戦略会議』を設置し、基本計画を作っていきたいと思います。」
細川候補が、首相在任中の原発容認の責任を率直に認めている点は、素直に受け止めたい。彼は、3・11の深刻さを強調している。3・11の衝撃を受けて、すべてががらりと変わらなければならないと言っている。彼に言われるまでもなく、その通りなのだ。問題は、どういう立場において3・11の衝撃を受けとめたのか、である。
また細川候補には、原発事故から都民の命を守らなければならないという必死の使命感も感じられる。
その上で、選挙戦に入ってから強調している次のような主張をみれば、彼らの原発ゼロの「本物性」がどういうものか明らかである。
●資本主義日本の命運をかけてポスト原発へ舵を切る
「原子力発電は古い産業です。実際にはコストがかかり、放射性廃棄物を処分することができません。大きな事故が起こっており、リスクの大きい産業です。
ヨーロッパでは、原発から自然エネルギーへと転換しています。アメリカのWH(ウェスティングハウス社)もGE(ゼネラル・エレクトリック社)も、原発から撤退していく方向です(註 これは正確ではない。後述)。
日本も、省エネルギー産業、再生可能エネルギー産業を成長産業にして、世界でトップクラスの成長産業を育てていくことです。東京がその先頭に立って、原発ゼロの成長戦略をリードしていきます。」
「これからは自然エネルギーが成長のカギです。トップが原発ゼロを鮮明にさせれば、日本の企業は、たちどころに雪崩を打ってと言ってもいいぐらいその方向に向かうでしょう。外国の例をみても、コストがかかり、リスクの大きい原発産業から自然エネルギー産業へと切り替え、急角度で経済の成長をとげています。
今は蓄電の技術も高くなり、自動車も効率のいいものが開発されてきています。トヨタなどの試みが進んでいます。トップが自然エネルギーの方向を明確にさせることです。」
「その成長の果実でもって雇用も福祉もよりよいものにしていけるでしょう。」
上記のような主張は、小泉元首相も街頭演説でずいぶん押し出している点である。
細川護熙公式ホームページで掲げられている公約は、「原発ゼロの成長戦略」論が基調となっている。
それとの関連で、2020年のオリンピック・パラリンピックを一つの大きな目標にして、自立分散型エネルギーシステムのモデルを示すとしている。
さらに、国家戦略特区の活用、民間活力の活用による都市インフラ整備を進めることを押し出している。
つまり、細川候補の「原発ゼロ」論は、3・11の衝撃を受けとめようとするものであり、筆舌に尽くしがたい被害をこうむった福島の人々への思いを踏まえたものであることは事実である。ちなみに、小泉元首相の場合は、その契機はほとんどない。しかし、そこから、日本の大企業はポスト原発の新産業である省エネルギー産業・再生可能エネルギー産業へと長期的な戦略を切り替えよう、と提案するものなのである。
その背後にはトヨタ資本がいることは明らかであり、さらに三菱重工業の資本の政策も反映しているようである。
一言でいえば、細川候補と小泉元首相の「原発ゼロ」論とは何か。
それは、3・11と福島原発事故を資本主義日本の危機として感じ取り、1950年代以来の国策としての原発政策、その原発を軸に厖大な関連企業のすそ野を築いてきた日本の産業社会のあり方を転換させなければならないと決断したのである。いわば、日本支配階級の伝統的なエスタブリッシュメントの一翼を担う者として、まさに「トップ」として、全ブルジョアジーに向かって、ポスト原発産業である自然エネルギー産業への戦略的な転換を呼びかけているのである。
重ねていえば、彼らの「脱原発」論は、あくまでもポスト原発論なのであって、反原発論ではない。つまり、原発あるいは核発電および核武装を原理的に否定する反原発論ではないのである。
●1億円借り入れ疑惑は「でっち上げ」との証言
なお、細川氏が首相を辞任した際の1億円問題が取りざたされたが、細川候補は会見で次のように語っている。
「1億円問題は潔白が証明されています。契約書を取り交わし、借り入れ後全額返済で解決済みです。佐川急便事件はその10年後のことで自民党の多くが未だ返していない事件です。」
当時のことについて、村上正邦・元自民党参議院議員会長が「あれはデッチ上げ」と証言している(『週刊ポスト』2月7日号)。
それによると、細川氏が佐川急便から1億円を借りたのは、熊本県知事選出馬の前年1982年のこと。
「当時、佐川が政治家に資金を貸すという名目で事実上返さなくてもいい金を渡していたことは知っていたから、これは倒閣できると思った。ただ、実際には細川さんは借入金を佐川にしっかり返済していたんだよね。後からそれを証明する貸付記録も出てきたし。
聞いた話では、検察が押収していた佐川の貸付記録には、借りっぱなしになっている自民党の大物たちの名前が連なっていて、だからこそ、検察は資料を出せなかったんだ。
で、細川側が証拠として出していたのがいかにも雑な領収書だったから、そんなものは偽物だ、って糾弾したんだよ。実は細川さんだけがちゃんと返していて、追及する自民党側は佐川から金をもらったままだったんだから、無茶苦茶な話だよ。」
労働者人民には縁遠い巨額のカネの話は、不透明な話ばかりである。どこまでが真相で、どこまでが闇の話かはよくわからない。しかし、佐川急便からの1億円借り入れ問題は、細川候補の説明や村上証言が出て、細川攻撃の材料にはできなくなったようである。
(つづく)
2014年1月30日
隅 喬史(すみ・たかし)
でも、放射能は誰にも止められない、原発は人間が制御できない、その意味でいま、最低限できる再稼働阻止をまずはやらねばなりません。
だから、がまんして細川応援です。