《試練》――現在史研究のために

日本の新左翼運動をどう総括するのか、今後の方向をどう定めるのか

沖縄からの通信~辺野古現地から新しい闘いの胎動

2014-08-27 02:55:16 | 沖縄問題
沖縄からの通信~辺野古現地から新しい闘いの胎動

●「移設反対」は沖縄県民の総意――これが実証された

 久しぶりに辺野古に行ってきました!!! 『みんなで行こう辺野古へ。止めよう新基地建設!8・23県民大行動』です。

 いや~!!! すごかったですね。3600人!!! 人、人、人………。車、車、車………。バス、バス、バス………。これは渋滞しそう、集会までに着かないかも、というわけで、途中をパスして、1時間前には着きました。

 すでに歩道はいっぱい。工事用ゲートを中心に宣伝カーを置き、そこから左右の歩道が集会場ですが、500メートル先が見えません。もう歩道は一杯で歩けないほどです。向かいの斜面の空いているところに座っていきます。それでも、次々とバスが着き、そこから向かってくる人波が途絶えません。3600人がシュワープゲートを埋め尽くす、辺野古始まって以来の事態が起きました。

 辺野古の闘いというのは、辺野古漁港のとなりにテントを張り、海上に出ていく人たちと、他の人たちはテントで座り込みをするというのが基本的な闘いでした。地元の辺野古が賛成、反対で分断され、反対派は執拗に嫌がらせを受けるなどのことが続いてきましたから、辺野古の人たちを刺激しないような配慮として、今回のような集会は避けてきました。しかし、目の前で有無を言わせない形で工事が強行されているのですから、もうそんなことは言ってはいられません。

 いつもは100人くらいの座り込み。海上のカヌーなどは、海上保安庁のやりたい放題の暴力です。着工前から、「工事を妨害したものは刑特法で逮捕する」と恫喝をかけ、4~5隻の巡視艇を浮かべ、無数の高速のゴムボートがウジャウジャです。制限区域の外側ですら、「注意指導」を名目にフロートに近寄っただけで拘束します。反対派の船の船長には強制的に念書に署名を強要し、報道の船に対してすら見境なくやってきます。すでに何人もが拘束を受け、二人のけが人が出ています。

 そこで、1週間前に安次富浩氏(ヘリ基地反対協議会共同代表)と山城博治氏(沖縄平和運動センター議長)が、2人で話し合ったそうです。「1000人くらいで集会ができたらいいな」と。それを、国会議員や島ぐるみ会議(沖縄「建白書」を実現し未来を拓く島ぐるみ会議)に相談したら、「何言っているんだ、2000人くらいの集会をやらないとだめだよ」というわけで、新聞報道で呼び掛けたら、なんと3600人が集まってしまいました。

 何の準備もなく、たった一週間の準備期間で、こんな集会になったなんて、聞いたことがありません。集会事務局となった平和運動センターは、13台のバスを確保していましたが、参加希望者が多く、倍の23台に増やしたそうです。それでも、たくさんの人が並んでいて、那覇では150人を積み残してしまったとか。路線バスで向かった人もたくさんいました。沖縄市でも100人乗れなかったとか。ちょうど少女暴行事件(1995年9月4日)の後の10・21県民大会のようでした。あの時も、もう集会が終わっているのに、那覇のバスターミナルには会場に行こうとしてバスを待っている人がたくさんいました。

 政府の強権の発動として行われる工事の着工。わずかの人たちが体を張って闘っている姿を見て、自分も現地に行けたなら……。みんなが、こうした思いで集会の呼びかけを待っていたのです。それが、今回の集会で証明されました。この集会の成功をうけて、次は数万人を集めた集会が計画されています。

 辺野古で反対しているのは、ごくわずかの活動家だとか、左翼の一部がやっているだけだとか、ほとんどがヤマトンチューだとか、事あるごとに罵倒していた右翼や自民党のキャンペーンが、一瞬にして打ち砕かれました。政府や自民党にとっては、衝撃的な事態でした。まさに、辺野古移設反対は、県民の74パーセントが反対している、沖縄県民の総意なのだということが証明されたのです。

 子どもや家族ぐるみで参加した人がたくさんいたのも、特徴です。動員ではなく、手作りのプラカードや抗議の意思を書いたものを用意し、それぞれ自分の意志で来たのです。私が知っている限り、このような集会は、少女暴行事件の後の10・21県民大会と、去年の政府の4・28復帰記念式典への抗議集会と、そして今回です。11月の県知事選までに、数万の規模の集会が計画され始めましたが、こういう時は、大爆発します。



▲新基地反対のシュプレヒコールをする3600人の参加者。怒りは全島を覆っている。
 8月23日、名護市辺野古のキャンプ・シュワブゲート前

●「この闘いは必ず勝てる。自信をもとう‼」

 集会の模様をかいつまんで報告します。
 稲嶺進名護市長は、ジュゴンのマントを羽織って登壇しました。「建白書に込めた県民の思いは無視され、辺野古の海の周囲には海上保安庁のボートがびっしりと浮いている。69年前、沖縄戦の開始とともに沖縄を軍艦が取り囲んだ。あの光景とまったく同じだ。平時にこんなことが行われると、この国はどこに向かっているのか、と思わざるを得ない」と、安倍政権の目論見を真っ向から批判しました。

 島ぐるみ会議の共同代表・平良朝敬かりゆしグループCEOは、「私は52年間観光産業に従事してきた。観光は平和産業であり、平和なくして成り立たない。基地と観光は共存できない。基地は沖縄の経済発展の阻害要因であり、百害あって一利なしだ。今日の集会を始まりとして、その輪を一人一人が広げていき、基地建設を中止させるまで、共に闘おう」と、経済界を代表して闘いを呼びかけました。その数日前のテレビのインタビューでは、「このまま政府が強行すれば、必ず死人が出る。沖縄はコザ暴動をやったところだ。ただでは済まない」と超過激なことを平然と語ったのも朝敬さんでした。

 沖縄平和市民連絡会代表世話人の高里鈴代さんは、「沖縄にはもう69年も基地があり続けている。その上にさらに辺野古に新基地を建設することなど、どうして認め受け入れることができるでしょうか。私たちの子ども、次の世代、そのまた次の世代にまで基地が続く危険、暴力を、今生きている私たちがはっきりと拒否し、具体的に止めるための行動を起こしていきましょう」とみんなの気持ちを代表する発言をしました。

 安次富浩・ヘリ基地反対協共同代表は、「わずか一週間でこれだけの人が集まったのは画期的なことだ。気持ちは同じだけど参加できなかった人たちもいる。この場を借りて言いたいが、この闘いは必ず勝てる。自信をもとう、これが沖縄スピリットだ!!!」と、勝利の確信を高らかに宣言しました。

 昨年12月27日、仲井真知事が仮病を使って東京の病院に入院し、政府と密談を重ねたすえ、独断で辺野古の新基地建設を承認したところからすべてが始まりました。仲井真の公約破棄に大衆の中から「裏切り者」「売国奴」などという言葉が飛び交いました。カネで沖縄を売り渡した男、沖縄は金が欲しいから反対しているなどとまた言われる――自然に知事公舎を取り囲んだ群衆の中から、いたたまれない怒りが、言葉となって噴き出しました。

 “もう保守とか革新とか、イデオロギーで対立している時ではない、私は保守だが基地の建設には反対だ、イデオロギーではなく、アイデンティティーの問題だ、戦争を経験したウチナーンチュは、戦争につながる基地の建設は一切認めない”――これが、今の沖縄で充満している地殻変動の実態です。

 すでに、オスプレイの普天間配備で、県民の怒りは沸点に達していました。もっとも危険だと言われているオスプレイを、こともあろうに世界一危険な普天間基地に強行配備したことから、沖縄県民の命を何だと思っているんだ、というかつてない怒りが渦巻いていました。70代や80代の人たちが、体を張って機動隊と闘っている姿を見て、みんながそれを自分と二重写しにしていたのです。今度こそ行かなければならないと思ったと、テレビインタビューの中でも語られていました。20代、30代の若い世代の中から、これは私たちの世代がやらなければならないことだ、という声も出てきました。地元、辺野古の高校生は、「大浦湾をつぶして基地を作るなんて、考えられない」と、これからも反対運動をやっていこうとしています。

●根源的解放を求める沖縄の自己決定権行使の新しい闘い

 もう一つレポートしなければならないことがあります。それは、闘いの理念として「沖縄の自己決定権」一色になりつつあるということです。

 1609年薩摩の琉球侵略にはじまり、1879年の「琉球処分」以来、大衆の中から沖縄の民族自決権が主張されるようになったのは、沖縄の歴史始まって以来のことです。沖縄は日本が独立国家の琉球を武力併合したもので、沖縄は国際法上、独立国家として自己決定権があるという主張です。「琉球処分ではなく、琉球併合というべきだ」という記事が『論壇』に掲載されたりしています。

 メディアも琉球処分そのものを検証し始めています。琉球新報では、「道標(しるべ)求めて 琉米条約160年 主権を問う」という特集を連載しています。お近くの図書館で読めるところがあれば、ぜひとも読んでください。

 日本政府は、1850年に琉球王国がアメリカ、フランス、オランダと結んだ三つの条約を没収し、原本は現在外務省が保持していることが分かりました。この三つの国際条約は、琉球王国が当時独立国家であったことの証明です。また、一つの独立国家の国際条約を日本の政府がもっていること自体ありえないことです。外務省に対してその説明責任を求めたところ、「見解は困難」と繰り返すばかりで、何ら反論もできないでいます。これに対して、「国際法上、不正」として、追及が始まっています。

 これらは、琉球処分が、従来言われてきたような「処分」ではなく、明確な武力による侵略によって「併合」したものであり、今日に至るまで植民地支配を続けてきたことの何よりもの証明です。普天間基地へのオスプレイの強行配備と、県民の74パーセントが反対しているにも関わらず、辺野古移設としての新基地建設を強行したことに、「沖縄差別だ」「沖縄はヤマトの植民地化か」という怒りの声が巻き起こりました。そして、それらの根源にある「琉球処分」の実相がいま問題にされ、沖縄問題の根源に迫ろうとしています。これが、「沖縄の主権-自己決定権」や、「イデオロギーではなくアイデンティティーの問題としての団結」として語られ始めたことの真の内容です。

 国際法に違反した日本政府には、違法行為の停止、真相究明の責任、謝罪、金銭賠償などの義務があります。
「琉球処分ではなく、琉球併合だ」ということの中には、オスプレイや辺野古新基地を契機にして、その対決の構造が、沖縄の独立という根源的解放を求めての新たな沖縄の歴史的な闘いの開始へと発展していることを示します。安倍政権によるウチナーンチユの生存権や財産権すら無視した、人間扱いしない強権的な政治支配が、いま間違いなくパンドラの箱を開けてしまったのです。

 辺野古や高江や普天間をめぐる闘いを、どうぞそのようなものとしてご理解いただきたいと思います。

 私事ながら、私は病気のため10年前のようには闘えませんが、いま始まった新しい沖縄闘争のなかで、真に自己決定権を行使して、沖縄が自ら沖縄を取りもどす闘いの一端として、10年後の独立の経済的基礎の建設の一端を担うべく、土と格闘していきます。全国の皆さんから、心のこもったご支援をいただきました。この場を借りまして、厚く御礼を申し上げます。

 以上、沖縄現地からの中間報告とします。

2014年8月26日
S.嘉手納(沖縄在住)

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