リンのお父さん。
つまり、私の会社の上司である橋爪部長に会いに行こうと言った私に顔を向けて、リンはしばらく固まっていた。
「…お父さんに…?」
リンは、自身の口に出した言葉に重ねて、大きな目を見開き、驚きの表情をつくった。
「そう!リンちゃんのお父さんに会いに行こうよ!俺、お父さんの住んでいる場所知っているから。行けるんでしょ?びゅーんって!」
私の言葉にリンの驚きの顔に、叙々に喜びの表情が混ざっていく。
そして、大きく裏返りそうな声で言った。
「え、え!?なんで、そんな流れになるの、急に何で!?」
あまりに驚くリンの様子に、余計なことだったかなと少し不安になって逆に聞き返した。
「何でって…、急に思いついたんだよ、いやかい?」
リンは慌てて顔を横に大きく振った。
「ううん、いやじゃなくって、それって巡りの流れに無いことだからびっくりして…!」
「巡りの流れに…?どういうこと?」
まだ小さなリンの顔を少しのぞき込むように見ながら聞くと、似つかわしくなくやや神妙な面持ちでで言った。
「巡りの流れに無いことは、思いつけないの。普通は」
「普通は?」私もリンの表情につられて神妙な気持ちになる。
「うん。思いつくことは許してもらえないの。でも、トモヤは許されてるんだ…、びっくりしちゃっあ」
「え、許されるって、誰に?」
リンは瞬きをしながら言う。
「それはね、自分の心にだよ」
「こころ?」
わからず聞き返す私に、リンは説明してくれた。
「うん。誰でも心は宇宙の巡りとつながっているんだ。だから、ほんとは誰もが巡りの流れを自分で変えていけるんだよ。でも、心が少しでも曇ったり、濁ったりしてると、自分ではわからないうちに、それまでの流れに逆らえずにただ流されちゃうんだよ」
「…ごめん、全然わからないや…」
ヒカルの言うことも難しかったが、リンの言うことも難しい…!
つまり、私は普通では思いつけない事を、思いつく事が出来た。自分の心に許されたから。心が濁って無いから…?
なんだか要領を得ない。そもそも思いつきって何かに許されてするものなのか?しかも、自分の心にって…?
一向にピンと来ない私の顔を見ながら、リンはじれったそうながらも、喜びを爆発させた。
「うん、もうーわからないでいいや!トモヤはすごいってことだよ、やったあ!!お父さんに会いたい!」
ようやく満面の笑顔ではしゃぐリンのその言葉を聞けて、私はとっても嬉しかった。難しいことはわからないけど、これは自分が素直な気持ちで思いついたことだったし、何よりリンが喜んでくれてよかった。
嬉しく思う反面、また少し不思議に思ったことを聞いてみた。
「良かった!そんなに会いたかったなら、最初から言ってくれれば良かったのに」
「ううん、それはできない決まりなの。あたしだけでは行けないし、それを自分から言ってもダメなの。でも、トモヤが言ってくれたから、行けるの!!だから、すっごくラッキーで嬉しい!」
身体を弾ませるように喜びまわるリンの横で、クッキーも尻尾をフリフリしながら飛びまわった。
これもまたよく分からないが、細かな決まりとかルールが色々と有るということなのか。
とにかく、それらに則って、リンは今この世界にいることができるのだろう。
誰かが、何かに意思が決めた決まりやルールに。
この不思議が今の私に理解できるはずもない。
でも、もうそれはそれで、構わない。
いま、リンは最高に嬉しそうなのだから。
小さな身体を、喜びというエネルギーで満たして弾ませている。
母のお腹で大きくなることさえも出来ず、交通事故で短い命を終えたリン。
生まれ出ることが叶わなず、母と父の手の温もりさえ知らずに早すぎる幕を閉じた。
この世界に生きる父親は、この子の存在さえも知らないだろう。
リンに残された、ただ一つの親との絆が、父と母に名付けられた名前だけだった。
それでも、この巡り合わせにただ歓喜し、無邪気にはしゃぐ姿が目の前にあった。
不幸という影を、まるで感じさせないリンの満面の笑顔は私の目に文字通り輝いて見えた。
胸の真ん中あたりに、陽だまりの温もりがじんわりと広がっていくような気がした。
…つづく