まめぞーです。
「お隣さん、しょうゆ貸して」の時代から高度経済成長、さらには核家族化が進み、今ではAIが普及され始め、人と人とのかかわりが希薄になってきました。
保育園の役割りはしょうゆを貸すお隣さんみたいなもの。
一見、子どもとあそんで楽しい所と思われがちで、社会的地位は低いのですが、命を預かり、どんな窮地に立たされても預かった命を守り抜く…そんな場所なのです。
そして、隣の人の仕事が医療関係者ならば「大変な時期だから子ども見てるよ。だから仕事行っておいで。」と手を貸すのです。
助け合いの精神、福祉の心。
窮地に立たされた時にひとつになって乗り越えてきたこの国じゃないですか。
しかし、開けるのは当たり前だけど、なぜか社会的格差を感じてしまう。
扱われてしまっている気がする。
現場はスピード感が勝負だが、すべてが遅い。
俺がケツもつから現場は頼むぞと言える人はいないものか。
日本の文化の失なわれつつある大事なもののツケがこういう時に浮き彫りになる気がする。
まあ愚痴っていても仕方ない。
命を守る明日がある。
いつまでもしょうゆを貸せる園でありたいし、人でありたい。
地道な行動がきっと社会的価値を生み出す日がくるはずだ。