遅筆ですみません……
現在地:福知山
静岡まで300.2km(直線距離)
3月14日(木)
本州にて花粉症を再発しました。
静岡にいた時からずっとスギ花粉に悩まされ続けていましたが、北海道に引っ越したことで一旦おさまりました。それもそのはず、北海道にスギはほとんどありません。移り住んだ初めの頃(昨年4月)は、これでマスクとティッシュを常備する暮らしから解放される! と喜んでいたものです。
そして失念していたのです。本州は今、スギ花粉の真っただ中にあることを!
大阪に着いた時には「感じる」程度だったのですが、福知山に近づくにつれて症状が悪化。ベッドに伏せても鼻が止まらないわ目が痒いわで寝付くこともできませんでした。
結局、気休めにお茶を飲んで床に臥せたのは午前2時半。
そして、14日の午前6時半。私は次の列車に乗るべく福知山駅に向かっていました。睡眠時間が3時間強しかなかったせいで、身体のあちこちが重いです。
今回泊まったホテル、ビジネスホテル松代屋。宿のおじさんにはお世話になりました。おじさんのおかげで、コンビニでマスクとティッシュを買えました。
人気のない福知山駅に到着。
「さよなら183系」の特設コーナーを横目に、改札に向かいます。
前回の記事で紹介できなかったので、一部の写真をここでピックアップします。
2年前に引退したC編成のクモハ183-200。中間車の断面をそのままに運転台を取り付けた異色な車両です。通常はA編成にくっついているため顔を拝むことは難しかったですが、「まいづる」(京都~東舞鶴)が単独運転をする舞鶴線内では先頭に立っていました。
キハ58系の急行「丹後」とすれ違う183系。今となっては貴重なシーンです。
《その他の写真》
本日の一番列車は7:02発豊岡行。山陰本線を北上します。え、帰る気はあるのかって? あるに決まってますが何か?
豊岡からやってきた223系5500番台が担当します。113系や115系に代わり、福知山周辺の普通列車の顔となっています。
反対側のホームにいるのは225系0番台の丹波路快速。前から223系は来ていたものの、ついにJR西日本最新鋭の225系まで福知山に顔を見せる時代になりました。新車は喜ばしいことですが、ローカル然とした篠山口以北を225系が走っていると思うと、少々複雑な気分になります。
福知山線から223系がやってきました。朝の福知山駅に3本のステンレス車が並びます。
停車中の2両に福知山電車区からやってきた2両を繋げ、4両で豊岡に向かいます。
回送されてきた編成はなぜか『快速』を掲げていました。
[種別:普通 山陰本線 425M 福知山7:02→豊岡8:15]
《福知山7:02発》
4両編成の列車はガラガラ。前の座席と合わせて4人分の座席を1人で占領したところで、文句を言う人はいません。
列車はゆっくりと高度を上げながら、朝の田園風景を走ります。
福知山から和田山までは急カーブが続き、時折窓から先頭車両が見えます。
上夜久野~梁瀬で分水嶺を越え、人の流れもそれに沿って豊岡方向を向きます。
播但線との乗換駅・和田山に到着。播但線との接続を考慮してか、本線の3番線(写真中央の線路)ではなく副本線の2番線に入りました。
和田山でどっと乗り込み、立ち客も出始めました。春休みが続いていたせいで忘れていましたが、今は通勤時間帯。制服姿の中高生もちらほら見えます。この時間だけは、転換クロスシートの223系5500番台より、セミクロスシートの113系・115系の方が向いている気がします。
八鹿(ようか)で「はまかぜ2号」とすれ違うため6分ほど停車します。地元民じゃなければ読めない難読駅です。これまた難読な養父(やぶ)市の中心駅で、特急も停車します。隣に養父駅があり紛らわしいですが……
《豊岡8:15着》
満員状態で豊岡駅3番線に到着。ホームに降りた客は、そのまま跨線橋を通って駅の外に向かっていきます。
対面の2番線ではでは首都圏色のキハ47がお出迎えです。JR西日本の経費削減策で図らずとも復活することになった国鉄色です。
次の列車――といってもこのキハ47なのですが――の発車まで30分ほどがあるので、跨線橋を渡って1番線へ。予想通りなら、『アレ』がいるはずです。
1番線に向かうと、KTR8000系「タンゴディスカバリー」に並んで、例の『アレ』こと183系が中線にいました。
貫通扉を持つクハ485‐200を種車に持つ、クロハ183‐800が先頭です。
豊岡には福知山鉄道部豊岡支所があり、数本が夜間停泊をします。
すでに幕は「こうのとり」になっています。列車名が「北近畿」から変わって2年。板についてきた183系の「こうのとり」表示も、あと2日となりました。
整備中なのか、ドア全開です。
交流機器を撤去したモハ182‐1800。
1番線のKTR8000系。8:40発、北近畿タンゴ鉄道経由・京都行き特急「はしだて2号」です。天橋立・宮津を経由した後、宮福線で福知山へ、その後山陰線で京都を目指す大回り特急です。
反対側(大阪側)の幕は「回送」のままでした。
キハ47を含め3ショット。
豊岡は鞄の一大生産地。そんな街だから生まれたのが、1番線に置かれている「カバンの自動販売機」。1番線は大阪・京都方面の列車が使用するので、豊岡から帰る人向けなのでしょう。1つ1500円で、10種類近くのカバンが置いてあります。
30分近く待機していたキハ47の香住行も、発車時刻が差し迫ってきました。
キハ47-2+キハ47-1093の2両に乗り込みます。
[種別:普通 山陰本線 165D 豊岡8:43→香住9:28]
《豊岡8:43発》
豊岡を出てしばらくすると、円山川の流れに沿って走ります。川幅が広く、波一つない川は、まるで湖のように横たわっています。
《城崎温泉8:55着》
2つ目の城崎温泉で下車。古くから名の知れた温泉ですが、知名度アップを図って数年前に「城崎」から改称されました。
前日(13日)とは打って変わって、気温が大幅に下がっていました。気温は10度強。半日前の大阪が20度、前の晩の福知山で15度だったことを考えるとかなり冷え込んでいます。昨日は関空に着いた瞬間にしまい込んだウィンドブレーカーが役に立ちました。
駅前の足湯にでも浸かりたいところですが、冷たい風が吹くホームでじっと待ちます。なぜなら、豊岡から回送されてくる183系に乗るためにここまで来たのですから。
待つことおよそ10分。果たして、豊岡方から183系が現れました。先程中線に停まっていた編成です。この日入っていたのはB63編成+B632編成。基本の4両(B63)に2両(B632)が増結され、6両の長編成になっていました。
大阪側の先頭車はクハ183‐704(←クハ485‐304)。通常時(4両)は自由席ですが、増結されると指定席になります。
5号車・モハ183‐1801(←モハ485‐1005)。485系の最終系・1000番台の初期車両です。こちらも通常時は自(略)。
4号車・モハ182‐1801(←モハ484‐1005)。こちらは逆に、通常は指定席ですが、増結で自由席になっています。
交流機器は撤去されているものの、485系時代に使用していた計器用変圧器につながるケーブルと碍子が残るなど、交直流電車の面影を残しています。
2・3号車は増結に入ったB632編成です。3号車はモハ183‐813(←モハ485‐103)。北近畿の183系(先に廃車となったA・C編成を含めて)の中でも最古株です。
2号車のモハ182‐704(←モハ484‐212)。こちらもモハ183‐813と並び最古参の車両の一つです。
最後尾・1号車はクロハ183‐803(←クロハ485‐209←クハ485‐209)。運転開始当初はモノクラス6連だった「北近畿」(現在の「こうのとり」)にグリーン車を作るべく改造された車両です。この系列の最古参はB41編成のクロハ183‐801(←クロハ485-214←クハ485‐204)です。
城崎温泉駅は駅舎から反対側に番号が振られています。基本的には下り(浜坂・鳥取方面)が駅舎に面する4番線、上り(豊岡・福知山方面)が2番線、ここで折り返す電車特急が3番線を使用し、1番線は滅多に使われません。
豊岡行164Dを先に通します。
発車を待つ183系「こうのとり」。
というわけで、この「こうのとり12号」で新大阪を目指します。
最後の183系乗車ということで、思い切って奮発してグリーン車にしてしまいました。
それでは、新大阪に向かって出発進行!
「こうのとり」の乗車レポはまた次回。
現在地:城崎温泉
静岡まで333.1km(直線距離)
おまけ
こちらに183系城崎温泉入線の動画を上げておきました。
現在地:福知山
静岡まで300.2km(直線距離)
3月14日(木)
本州にて花粉症を再発しました。
静岡にいた時からずっとスギ花粉に悩まされ続けていましたが、北海道に引っ越したことで一旦おさまりました。それもそのはず、北海道にスギはほとんどありません。移り住んだ初めの頃(昨年4月)は、これでマスクとティッシュを常備する暮らしから解放される! と喜んでいたものです。
そして失念していたのです。本州は今、スギ花粉の真っただ中にあることを!
大阪に着いた時には「感じる」程度だったのですが、福知山に近づくにつれて症状が悪化。ベッドに伏せても鼻が止まらないわ目が痒いわで寝付くこともできませんでした。
結局、気休めにお茶を飲んで床に臥せたのは午前2時半。
そして、14日の午前6時半。私は次の列車に乗るべく福知山駅に向かっていました。睡眠時間が3時間強しかなかったせいで、身体のあちこちが重いです。
今回泊まったホテル、ビジネスホテル松代屋。宿のおじさんにはお世話になりました。おじさんのおかげで、コンビニでマスクとティッシュを買えました。
人気のない福知山駅に到着。
「さよなら183系」の特設コーナーを横目に、改札に向かいます。
前回の記事で紹介できなかったので、一部の写真をここでピックアップします。
2年前に引退したC編成のクモハ183-200。中間車の断面をそのままに運転台を取り付けた異色な車両です。通常はA編成にくっついているため顔を拝むことは難しかったですが、「まいづる」(京都~東舞鶴)が単独運転をする舞鶴線内では先頭に立っていました。
キハ58系の急行「丹後」とすれ違う183系。今となっては貴重なシーンです。
《その他の写真》
本日の一番列車は7:02発豊岡行。山陰本線を北上します。え、帰る気はあるのかって? あるに決まってますが何か?
豊岡からやってきた223系5500番台が担当します。113系や115系に代わり、福知山周辺の普通列車の顔となっています。
反対側のホームにいるのは225系0番台の丹波路快速。前から223系は来ていたものの、ついにJR西日本最新鋭の225系まで福知山に顔を見せる時代になりました。新車は喜ばしいことですが、ローカル然とした篠山口以北を225系が走っていると思うと、少々複雑な気分になります。
福知山線から223系がやってきました。朝の福知山駅に3本のステンレス車が並びます。
停車中の2両に福知山電車区からやってきた2両を繋げ、4両で豊岡に向かいます。
回送されてきた編成はなぜか『快速』を掲げていました。
[種別:普通 山陰本線 425M 福知山7:02→豊岡8:15]
《福知山7:02発》
4両編成の列車はガラガラ。前の座席と合わせて4人分の座席を1人で占領したところで、文句を言う人はいません。
列車はゆっくりと高度を上げながら、朝の田園風景を走ります。
福知山から和田山までは急カーブが続き、時折窓から先頭車両が見えます。
上夜久野~梁瀬で分水嶺を越え、人の流れもそれに沿って豊岡方向を向きます。
播但線との乗換駅・和田山に到着。播但線との接続を考慮してか、本線の3番線(写真中央の線路)ではなく副本線の2番線に入りました。
和田山でどっと乗り込み、立ち客も出始めました。春休みが続いていたせいで忘れていましたが、今は通勤時間帯。制服姿の中高生もちらほら見えます。この時間だけは、転換クロスシートの223系5500番台より、セミクロスシートの113系・115系の方が向いている気がします。
八鹿(ようか)で「はまかぜ2号」とすれ違うため6分ほど停車します。地元民じゃなければ読めない難読駅です。これまた難読な養父(やぶ)市の中心駅で、特急も停車します。隣に養父駅があり紛らわしいですが……
《豊岡8:15着》
満員状態で豊岡駅3番線に到着。ホームに降りた客は、そのまま跨線橋を通って駅の外に向かっていきます。
対面の2番線ではでは首都圏色のキハ47がお出迎えです。JR西日本の経費削減策で図らずとも復活することになった国鉄色です。
次の列車――といってもこのキハ47なのですが――の発車まで30分ほどがあるので、跨線橋を渡って1番線へ。予想通りなら、『アレ』がいるはずです。
1番線に向かうと、KTR8000系「タンゴディスカバリー」に並んで、例の『アレ』こと183系が中線にいました。
貫通扉を持つクハ485‐200を種車に持つ、クロハ183‐800が先頭です。
豊岡には福知山鉄道部豊岡支所があり、数本が夜間停泊をします。
すでに幕は「こうのとり」になっています。列車名が「北近畿」から変わって2年。板についてきた183系の「こうのとり」表示も、あと2日となりました。
整備中なのか、ドア全開です。
交流機器を撤去したモハ182‐1800。
1番線のKTR8000系。8:40発、北近畿タンゴ鉄道経由・京都行き特急「はしだて2号」です。天橋立・宮津を経由した後、宮福線で福知山へ、その後山陰線で京都を目指す大回り特急です。
反対側(大阪側)の幕は「回送」のままでした。
キハ47を含め3ショット。
豊岡は鞄の一大生産地。そんな街だから生まれたのが、1番線に置かれている「カバンの自動販売機」。1番線は大阪・京都方面の列車が使用するので、豊岡から帰る人向けなのでしょう。1つ1500円で、10種類近くのカバンが置いてあります。
30分近く待機していたキハ47の香住行も、発車時刻が差し迫ってきました。
キハ47-2+キハ47-1093の2両に乗り込みます。
[種別:普通 山陰本線 165D 豊岡8:43→香住9:28]
《豊岡8:43発》
豊岡を出てしばらくすると、円山川の流れに沿って走ります。川幅が広く、波一つない川は、まるで湖のように横たわっています。
《城崎温泉8:55着》
2つ目の城崎温泉で下車。古くから名の知れた温泉ですが、知名度アップを図って数年前に「城崎」から改称されました。
前日(13日)とは打って変わって、気温が大幅に下がっていました。気温は10度強。半日前の大阪が20度、前の晩の福知山で15度だったことを考えるとかなり冷え込んでいます。昨日は関空に着いた瞬間にしまい込んだウィンドブレーカーが役に立ちました。
駅前の足湯にでも浸かりたいところですが、冷たい風が吹くホームでじっと待ちます。なぜなら、豊岡から回送されてくる183系に乗るためにここまで来たのですから。
待つことおよそ10分。果たして、豊岡方から183系が現れました。先程中線に停まっていた編成です。この日入っていたのはB63編成+B632編成。基本の4両(B63)に2両(B632)が増結され、6両の長編成になっていました。
大阪側の先頭車はクハ183‐704(←クハ485‐304)。通常時(4両)は自由席ですが、増結されると指定席になります。
5号車・モハ183‐1801(←モハ485‐1005)。485系の最終系・1000番台の初期車両です。こちらも通常時は自(略)。
4号車・モハ182‐1801(←モハ484‐1005)。こちらは逆に、通常は指定席ですが、増結で自由席になっています。
交流機器は撤去されているものの、485系時代に使用していた計器用変圧器につながるケーブルと碍子が残るなど、交直流電車の面影を残しています。
2・3号車は増結に入ったB632編成です。3号車はモハ183‐813(←モハ485‐103)。北近畿の183系(先に廃車となったA・C編成を含めて)の中でも最古株です。
2号車のモハ182‐704(←モハ484‐212)。こちらもモハ183‐813と並び最古参の車両の一つです。
最後尾・1号車はクロハ183‐803(←クロハ485‐209←クハ485‐209)。運転開始当初はモノクラス6連だった「北近畿」(現在の「こうのとり」)にグリーン車を作るべく改造された車両です。この系列の最古参はB41編成のクロハ183‐801(←クロハ485-214←クハ485‐204)です。
城崎温泉駅は駅舎から反対側に番号が振られています。基本的には下り(浜坂・鳥取方面)が駅舎に面する4番線、上り(豊岡・福知山方面)が2番線、ここで折り返す電車特急が3番線を使用し、1番線は滅多に使われません。
豊岡行164Dを先に通します。
発車を待つ183系「こうのとり」。
というわけで、この「こうのとり12号」で新大阪を目指します。
最後の183系乗車ということで、思い切って奮発してグリーン車にしてしまいました。
それでは、新大阪に向かって出発進行!
「こうのとり」の乗車レポはまた次回。
現在地:城崎温泉
静岡まで333.1km(直線距離)
おまけ
こちらに183系城崎温泉入線の動画を上げておきました。
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