「血は争えない」と言う言葉があります。親の気質がそのまま子供にも受け継がれている、という意味で使われます。「この親にしてこの子あり」と同様の意味合いを持ちます。
今回はこの、「血は争えない」話。
このブログを見て下さっている方はお分かりかと思いますが、静サツはとにかく写真を撮りまくります。旅行に行けば1日300枚はざら。
旅行全体では平気で1000枚以上になります。今回の帰省は時期が長かったため、その総数は3500枚以上。旅になれた静サツでも、これだけたくさん撮ったのは初めてです。写真の失敗防止のために同じ構図から何枚も撮っているものもあるので、ブログでは同じ構図のものは1枚のみの掲載としていますが、それでも1500枚強ありました。
1日あたりの最高枚数は、秩父鉄道1000系・埼京線205系・485系「ムーンライトえちご」と盛りだくさんだった、17日(前半3日目)の1136枚(整理前)が最高値です。ちなみに、過去には1700枚も撮っていた日もあります。
さて、その中身が鉄道写真が重点的なのはいいとして、実はもうひとつよく撮っているものがあります。
それは――――食事。
静サツの旅行では、ほとんどの場所で食事を写真に収めています。コンビニで済ませがちな朝は少ないですが、駅弁が多い昼食・きちんとお店に入るのが普通の夕食は大概撮っています。今回の旅行では、旅行中の食事(合計20食)のうち、約半分に当たる9食も記録されています。特に、夕食は17日(前半3日目・新宿)と25日(後半2日目・新潟)を除き全て撮っています。
ここでようやく、タイトルに戻ります。そう。実は、私の父も写真を撮るのが好きな人なのです。
父は私が小学校の頃からビデオカメラやカメラを回している人でしたが、5年ほど前にデジタルカメラに切り替えてからは、枚数制限がなくなったおかげかたくさんとるようになりました。鉄道が趣味ではないので私ほど多くはありませんが、1泊2日で100枚以上撮ってきます。同じ構図からの写真も割りと好きな人です。
そして、食事の写真はさらに多い。
私の父は、旅の中で何よりも『食』を重視するタイプの人です。旅の準備期間のうち、半分を飯屋探しに費やすほどのこだわりぶりです(実話)。私や母は食にこだわらない性質なので、食へのこだわりの高い父とは真っ向からぶつかってしまいます。
そして、調べたお店に向かい、注文した料理が出てきたら、とりあえず記念撮影。なんの撮影かって? 料理の記念撮影に決まってるじゃないですか。料理が出てきたら撮影してから切り分けます。父のこだわりぶりはこれにとどまらず、仮に何品も頼んだ場合には、その都度写真を撮っていきます。父の写真フォルダを見ると、ご飯パートが写真だけでわかるほどに充実しています。1品ならともかく、出てきた料理全てを写真に撮る気には、私はなれません。
9月下旬。私が札幌で帰省記を書いていた頃、両親はペルーに行っていました。その写真がつい先日届いたのですが、なんとLZH圧縮ファイルで送られてきました。しかも1GB近くも。圧縮で1GBって…… 1週間いたとはいえ、枚数にして約1000枚はかなり多いと思います。
で、食事の写真もそれなりに見つけました。さすがに毎食というわけではありませんでした(以前家族でウィスラーに行ったときは朝から晩まで全て撮っていたときもありました)が、セビッチェ(ペルー風マリネ)のような郷土料理からハンバーガー(なぜ?)まで、食べかけでも途中で気づいたものは写真に収めていました。だからって、機内食まで撮らなくてもいいと思うんだ。それも日本からアメリカ経由でペルーまで全部。
マチュピチュに向かうペルーレイルの写真を送ってくれたのはありががったですが、食事の写真を見ると「ああ、いつも通りだな」と思ってしまう静サツなのでありました。
私が自分で写真を撮るようになったのは、中学生になって家にデジカメが入ってきた頃。その頃はまだメモリーが256MBが当たり前の時代で、2048×1536(はがきサイズで拡大しても画質が汚れない程度)の画質で撮ると300枚しか撮れませんでした。まだカメラの操作を知らなかった私は画質を変えることができず、300枚の限界に阻まれ、写真を撮っては消して撮っては消しての状態でした。
現在の私のカメラはそれから数えて3代目。初代はさっきの家族共用のデジカメで、メモリは256MB。2代目は、同じ静岡に住む祖母に上げたものの、祖母が操作できず私が借りていた状態だったカメラで、メモリは2GBでした。このため、自分持ちのカメラとしては初となります。
3代目のメモリーカードは動画用に16GBにまで広げたため、写真や動画をばんばんとっても消さなければいけない状況にはなりません。ぶれた写真を消す作業は家に帰ってからとしているので、気にせずに何枚も撮ってしまいます。
思えば、父が食事の写真を本格的に(?)撮るようになったのは、2代目がやってきて初代が父専用となった頃から。つまり、食事を撮ってもメモリ容量に問題が出なくなった頃です。食事の写真があるということは、時代が下がって食事を撮るだけの余裕がでてきたことの証なのです。
現在父のカメラは新しくなり、メモリも確か2GBはあったはずです。きっとこれからも、実家のパソコンには旅行中の食事の写真が増え続けるのだろうと思います。
今回はこの、「血は争えない」話。
このブログを見て下さっている方はお分かりかと思いますが、静サツはとにかく写真を撮りまくります。旅行に行けば1日300枚はざら。
旅行全体では平気で1000枚以上になります。今回の帰省は時期が長かったため、その総数は3500枚以上。旅になれた静サツでも、これだけたくさん撮ったのは初めてです。写真の失敗防止のために同じ構図から何枚も撮っているものもあるので、ブログでは同じ構図のものは1枚のみの掲載としていますが、それでも1500枚強ありました。
1日あたりの最高枚数は、秩父鉄道1000系・埼京線205系・485系「ムーンライトえちご」と盛りだくさんだった、17日(前半3日目)の1136枚(整理前)が最高値です。ちなみに、過去には1700枚も撮っていた日もあります。
さて、その中身が鉄道写真が重点的なのはいいとして、実はもうひとつよく撮っているものがあります。
それは――――食事。
静サツの旅行では、ほとんどの場所で食事を写真に収めています。コンビニで済ませがちな朝は少ないですが、駅弁が多い昼食・きちんとお店に入るのが普通の夕食は大概撮っています。今回の旅行では、旅行中の食事(合計20食)のうち、約半分に当たる9食も記録されています。特に、夕食は17日(前半3日目・新宿)と25日(後半2日目・新潟)を除き全て撮っています。
ここでようやく、タイトルに戻ります。そう。実は、私の父も写真を撮るのが好きな人なのです。
父は私が小学校の頃からビデオカメラやカメラを回している人でしたが、5年ほど前にデジタルカメラに切り替えてからは、枚数制限がなくなったおかげかたくさんとるようになりました。鉄道が趣味ではないので私ほど多くはありませんが、1泊2日で100枚以上撮ってきます。同じ構図からの写真も割りと好きな人です。
そして、食事の写真はさらに多い。
私の父は、旅の中で何よりも『食』を重視するタイプの人です。旅の準備期間のうち、半分を飯屋探しに費やすほどのこだわりぶりです(実話)。私や母は食にこだわらない性質なので、食へのこだわりの高い父とは真っ向からぶつかってしまいます。
そして、調べたお店に向かい、注文した料理が出てきたら、とりあえず記念撮影。なんの撮影かって? 料理の記念撮影に決まってるじゃないですか。料理が出てきたら撮影してから切り分けます。父のこだわりぶりはこれにとどまらず、仮に何品も頼んだ場合には、その都度写真を撮っていきます。父の写真フォルダを見ると、ご飯パートが写真だけでわかるほどに充実しています。1品ならともかく、出てきた料理全てを写真に撮る気には、私はなれません。
9月下旬。私が札幌で帰省記を書いていた頃、両親はペルーに行っていました。その写真がつい先日届いたのですが、なんとLZH圧縮ファイルで送られてきました。しかも1GB近くも。圧縮で1GBって…… 1週間いたとはいえ、枚数にして約1000枚はかなり多いと思います。
で、食事の写真もそれなりに見つけました。さすがに毎食というわけではありませんでした(以前家族でウィスラーに行ったときは朝から晩まで全て撮っていたときもありました)が、セビッチェ(ペルー風マリネ)のような郷土料理からハンバーガー(なぜ?)まで、食べかけでも途中で気づいたものは写真に収めていました。だからって、機内食まで撮らなくてもいいと思うんだ。それも日本からアメリカ経由でペルーまで全部。
マチュピチュに向かうペルーレイルの写真を送ってくれたのはありががったですが、食事の写真を見ると「ああ、いつも通りだな」と思ってしまう静サツなのでありました。
私が自分で写真を撮るようになったのは、中学生になって家にデジカメが入ってきた頃。その頃はまだメモリーが256MBが当たり前の時代で、2048×1536(はがきサイズで拡大しても画質が汚れない程度)の画質で撮ると300枚しか撮れませんでした。まだカメラの操作を知らなかった私は画質を変えることができず、300枚の限界に阻まれ、写真を撮っては消して撮っては消しての状態でした。
現在の私のカメラはそれから数えて3代目。初代はさっきの家族共用のデジカメで、メモリは256MB。2代目は、同じ静岡に住む祖母に上げたものの、祖母が操作できず私が借りていた状態だったカメラで、メモリは2GBでした。このため、自分持ちのカメラとしては初となります。
3代目のメモリーカードは動画用に16GBにまで広げたため、写真や動画をばんばんとっても消さなければいけない状況にはなりません。ぶれた写真を消す作業は家に帰ってからとしているので、気にせずに何枚も撮ってしまいます。
思えば、父が食事の写真を本格的に(?)撮るようになったのは、2代目がやってきて初代が父専用となった頃から。つまり、食事を撮ってもメモリ容量に問題が出なくなった頃です。食事の写真があるということは、時代が下がって食事を撮るだけの余裕がでてきたことの証なのです。
現在父のカメラは新しくなり、メモリも確か2GBはあったはずです。きっとこれからも、実家のパソコンには旅行中の食事の写真が増え続けるのだろうと思います。
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