やっとフリーになったと思ったら学祭だよ!
というわけで、また一週間空いてしまいました。
先週の木曜日から日曜日まで大学祭があり、それらの準備やら何やらにおわれている内に6月も3分の1が過ぎてしまいました。
前回のあらすじ:200系上りラストラン「とき342号」に乗車!
[種別:新幹線 上越新幹線 とき342号 新潟17:44→東京20:00]


新潟発車時点で、指定席・自由席ともに6~7割が埋まっていました。特に窓側の座席は1つも空いていません。乗客の身なりを見る限り、200系ラストランだからというよりは、元々需要が高いからだと思いますが。

指定席の6号車に座席をとってあるので、荷物を置いてちょっと車内散策へ。

10号車新潟寄りデッキに貼ってあった「新幹線の歴史」。北に向かう新幹線の歴史全てに、200系が関わっていることになります。
ここで疑問に思った方もいるはずです。山形新幹線や秋田新幹線は乗り入れていないものの、K編成が併結列車として関わっていましたが、当初から長野新幹線はE2系が投入されていて、200系の入る余地はなかったはずです。そもそも、長野新幹線は碓氷峠を境に50Hz/60Hzが切り替わるため、複周波数に対応していない200系は本来入線できません。
実は、たった2週間だけ長野新幹線を200系が走ったことがあります。それは、長野オリンピックのあった1998年2月7日から22日にかけてです。この際、勾配対策の発電ブレーキや複周波数対応機器を備えたF80編成(元はF17編成)が任に当たりました。F80編成はその後も廃車まで、他の200系に混ざって上越新幹線を走っていました。

タイトルは「新幹線開業前の現在」。新幹線開業前後の所要時間比較です。ほぼすべての区間で半分以下になっているのが分かります。特に東北新幹線は顕著で、E5系の登場で東京-新青森は3時間を切るようになりました。3時間といえば、在来線時代の「あさま」がそれにあたります。東北で最速を誇った「ひばり」(上野-仙台)や「やまびこ」(上野-盛岡)でも福島を過ぎるかどうかというラインです。1968年(東北本線全線電化完了・まだ複線化は完了していない)からは想像もできない時代に突入しました。

現行車両一覧。すでに400系とE1系の姿はなく、200系も消えるため、残るのは5車種――今後3年以内に引退するE4系を除けば4車種になります。

10号車の運転室入口。

宵の空に「K47」の文字が映ります。

グリーン車の9号車は、切符を買った時点で既に満席。一般車より「乗り通し客」が多いのが分かります。

9号車東京寄りの車掌室内部。

戻る途中で車内販売に遭遇。たくさんの200系グッズを載せて、編成全車両を巡っています。

ワゴンカートの中身はタオル(1000円)が山積み。

席についてびっくり。テーブルの留め具が、ひねるタイプではなく、上から押さえつけるタイプになっていました。

群青色が迫る車窓。
時間も時間なので、そろそろ夕ご飯にします。

本日の夕食は「200系あさひ弁当」(1000円)。駅弁コーナーには他にも多彩な弁当類がありましたが、ダイヤ改正最終日にこれを買わないわけがありません。夕方だったので完売の可能性もありましたが、幸いにして残り5個の時に購入できました。

ボール紙で出来たパッケージは、先頭部も細かく作られています。

中身はこんな感じ。どうみてもお子様ランチです以下略。200系のカードが1枚入っています。

ご飯の上に、ほぐした鮭と錦糸卵。上に載っているのは、左からミートボール・ナゲット(奥側)/ポテトサラダ・アメリカンドッグ・ウィンナー(手前側)です。ケチャップはウィンナーようだと思うのですが、いかんせん下が鮭ご飯なので直接かけるのはためらわれます。なぜ下は和風テイストにしたんだ……
さて、ここで残念なお知らせです。
この「とき342号」の指定券は札幌を出た時点で取得していたのですが……
紛失。
まさかの紛失。
気付いたのは新潟駅に到着した時。急いで「みどりの窓口」に駆け込みましたが、既に窓側の席は満席。ということで……

3列の間のB席になってしまいましたorz。
……まあ、席を取れただけよかったとしましょう。
《高崎19:04着》

「とき342号」は山間部を抜け、群馬県に入りました。空は夕焼けの残滓が残るほかは闇に包まれています。
《大宮19:34着》

新潟を絶っておよそ2時間。開業当初の始発駅・大宮に到着。
200系の本格走行はここまで。あとは東京まで30分間、だらだらと鉄路を進むのみ。

荒川を渡る200系。

東京に近づくにつれて、ネオンの数が増えていきます。奥には東京スカイツリーの明かりも見えました。

急に視界が暗くなりました。上野駅のトンネルに入ったのです。
《上野19:54着》

19時54分、上野駅に到着。残すは3.6㎞です。
そして20時ちょうど。「とき342号」は東京駅にたどり着いたのでした。

人のはけた6号車車内。

K47編成は休む間もなく20時12分発「とき347号」となって新潟に戻ります。この列車が下りラストラン、そして、200系最後の定期列車となります。

待っている乗客の数は、新潟の比ではありません。自由席はおろか(といっても見ていないのですが)、指定席にまで行列ができています。B席すら埋まっていることでしょう。

ラストランに合わせてテレビカメラも入っていました。きっとこのおじさんの顔がどこかのテレビで流れていたことと思います。

9号車のグリーンマークと清掃中の札。

予想通りではありましたが、先頭はこのように大混雑。

なんとか身を乗り出してもこれが精一杯です。

ちょっと遠くから。

ブレを覚悟で望遠。
20時12分。200系がひときわ大きくタイフォンを鳴らしました。ラストの定期列車・「とき347号」となって発車します。
(動画は車庫にあります)
丸く赤いテールライトが見えなくなるまで、私は22番線で200系を見送りました。
ありがとう、200系。さようなら、200系。
こうして、静サツの長い長い帰省は幕を閉じたのでした……
……ならよかったのですが。
[種別:普通 詳細不明 山手線 内回り]
200系を見送って15分後。

私は上野駅17番線に来ていました。
そう、今改正(2013年3月16日改正)で消えるのは、200系だけじゃないのです。
続きはまた次回!
(あと1回か2回で終わります)
というわけで、また一週間空いてしまいました。
先週の木曜日から日曜日まで大学祭があり、それらの準備やら何やらにおわれている内に6月も3分の1が過ぎてしまいました。
前回のあらすじ:200系上りラストラン「とき342号」に乗車!
[種別:新幹線 上越新幹線 とき342号 新潟17:44→東京20:00]


新潟発車時点で、指定席・自由席ともに6~7割が埋まっていました。特に窓側の座席は1つも空いていません。乗客の身なりを見る限り、200系ラストランだからというよりは、元々需要が高いからだと思いますが。

指定席の6号車に座席をとってあるので、荷物を置いてちょっと車内散策へ。

10号車新潟寄りデッキに貼ってあった「新幹線の歴史」。北に向かう新幹線の歴史全てに、200系が関わっていることになります。
ここで疑問に思った方もいるはずです。山形新幹線や秋田新幹線は乗り入れていないものの、K編成が併結列車として関わっていましたが、当初から長野新幹線はE2系が投入されていて、200系の入る余地はなかったはずです。そもそも、長野新幹線は碓氷峠を境に50Hz/60Hzが切り替わるため、複周波数に対応していない200系は本来入線できません。
実は、たった2週間だけ長野新幹線を200系が走ったことがあります。それは、長野オリンピックのあった1998年2月7日から22日にかけてです。この際、勾配対策の発電ブレーキや複周波数対応機器を備えたF80編成(元はF17編成)が任に当たりました。F80編成はその後も廃車まで、他の200系に混ざって上越新幹線を走っていました。

タイトルは「新幹線開業前の現在」。新幹線開業前後の所要時間比較です。ほぼすべての区間で半分以下になっているのが分かります。特に東北新幹線は顕著で、E5系の登場で東京-新青森は3時間を切るようになりました。3時間といえば、在来線時代の「あさま」がそれにあたります。東北で最速を誇った「ひばり」(上野-仙台)や「やまびこ」(上野-盛岡)でも福島を過ぎるかどうかというラインです。1968年(東北本線全線電化完了・まだ複線化は完了していない)からは想像もできない時代に突入しました。

現行車両一覧。すでに400系とE1系の姿はなく、200系も消えるため、残るのは5車種――今後3年以内に引退するE4系を除けば4車種になります。

10号車の運転室入口。

宵の空に「K47」の文字が映ります。

グリーン車の9号車は、切符を買った時点で既に満席。一般車より「乗り通し客」が多いのが分かります。

9号車東京寄りの車掌室内部。

戻る途中で車内販売に遭遇。たくさんの200系グッズを載せて、編成全車両を巡っています。

ワゴンカートの中身はタオル(1000円)が山積み。

席についてびっくり。テーブルの留め具が、ひねるタイプではなく、上から押さえつけるタイプになっていました。

群青色が迫る車窓。
時間も時間なので、そろそろ夕ご飯にします。

本日の夕食は「200系あさひ弁当」(1000円)。駅弁コーナーには他にも多彩な弁当類がありましたが、ダイヤ改正最終日にこれを買わないわけがありません。夕方だったので完売の可能性もありましたが、幸いにして残り5個の時に購入できました。

ボール紙で出来たパッケージは、先頭部も細かく作られています。

中身はこんな感じ。どうみてもお子様ランチです以下略。200系のカードが1枚入っています。

ご飯の上に、ほぐした鮭と錦糸卵。上に載っているのは、左からミートボール・ナゲット(奥側)/ポテトサラダ・アメリカンドッグ・ウィンナー(手前側)です。ケチャップはウィンナーようだと思うのですが、いかんせん下が鮭ご飯なので直接かけるのはためらわれます。なぜ下は和風テイストにしたんだ……
さて、ここで残念なお知らせです。
この「とき342号」の指定券は札幌を出た時点で取得していたのですが……
紛失。
まさかの紛失。
気付いたのは新潟駅に到着した時。急いで「みどりの窓口」に駆け込みましたが、既に窓側の席は満席。ということで……

3列の間のB席になってしまいましたorz。
……まあ、席を取れただけよかったとしましょう。
《高崎19:04着》

「とき342号」は山間部を抜け、群馬県に入りました。空は夕焼けの残滓が残るほかは闇に包まれています。
《大宮19:34着》

新潟を絶っておよそ2時間。開業当初の始発駅・大宮に到着。
200系の本格走行はここまで。あとは東京まで30分間、だらだらと鉄路を進むのみ。

荒川を渡る200系。

東京に近づくにつれて、ネオンの数が増えていきます。奥には東京スカイツリーの明かりも見えました。

急に視界が暗くなりました。上野駅のトンネルに入ったのです。
《上野19:54着》

19時54分、上野駅に到着。残すは3.6㎞です。
そして20時ちょうど。「とき342号」は東京駅にたどり着いたのでした。

人のはけた6号車車内。

K47編成は休む間もなく20時12分発「とき347号」となって新潟に戻ります。この列車が下りラストラン、そして、200系最後の定期列車となります。

待っている乗客の数は、新潟の比ではありません。自由席はおろか(といっても見ていないのですが)、指定席にまで行列ができています。B席すら埋まっていることでしょう。

ラストランに合わせてテレビカメラも入っていました。きっとこのおじさんの顔がどこかのテレビで流れていたことと思います。

9号車のグリーンマークと清掃中の札。

予想通りではありましたが、先頭はこのように大混雑。

なんとか身を乗り出してもこれが精一杯です。

ちょっと遠くから。

ブレを覚悟で望遠。
20時12分。200系がひときわ大きくタイフォンを鳴らしました。ラストの定期列車・「とき347号」となって発車します。
(動画は車庫にあります)
丸く赤いテールライトが見えなくなるまで、私は22番線で200系を見送りました。
ありがとう、200系。さようなら、200系。
こうして、静サツの長い長い帰省は幕を閉じたのでした……
……ならよかったのですが。
[種別:普通 詳細不明 山手線 内回り]
200系を見送って15分後。

私は上野駅17番線に来ていました。
そう、今改正(2013年3月16日改正)で消えるのは、200系だけじゃないのです。
続きはまた次回!
(あと1回か2回で終わります)
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