Local-Liner ~静サツ雑記帳

静岡運転所札幌派出所=静サツへようこそ。
札幌圏の鉄道を軸に、気ままに書き連ねていく日記です。

列島縦断帰省記 ~めくるめく国鉄特急物語 第8回 『つばさ』の見た夢 新庄→秋田

2015年11月13日 | 鉄道 ‐ 旅行(2015年)


[9449M 奥羽本線 快速 つばさリレー 新庄15:53→秋田18:34]
《新庄 15:53発》

 新しい「つばさ」と駅員その他に見送られ、485系は秋田へ戻り始めました。



 帰りも進行方向右側。つまり来たときとは逆です。



 薄くたなびく雲の下。規則正しいジョイント音とともに485系は走ります。



 右に大きく舵を取る485系。右側が開けているのも、単線区間の醍醐味です。



 真室川にて列車交換。相手の列車は7分遅れでやってきました。



 自動車学校の脇を通過。ここは免許合宿を粉っていないのか、一台も見ませんでした。





 真室川を出ると、順調に高度を重ねていきます。



 谷筋が深くなっていきます。



 及位を通過。いよいよ県境越えです。



 上り線と別れてトンネルに突入。



 秋田川に出ると同時に下り勾配が始まります。複線で速度ものり、さながらジェットコースター



 線路際まで撮影者がいました。



 国道に併走する当たりで下り勾配は終了。山形側は20km近く山中を走りますが、秋田側はあっさりです。

 右に大きくカーブしながら、列車は院内駅に入ります。



 速度を落とすことなく単線区間に進入。



 川を渡る485系。谷の深かった山形側と異なり、秋田側の山はみなおだやかです。



 横堀に運転停車。ここで列車交換ですが、またまた8分遅れをかまします。せっかく時刻を回復させてたのに……(横堀到着は16:48着、相手の446Mは所定16:50着)



 田園の中を駆ける485系。



《湯沢 17:07着(4分遅れ)》

 ようやく最初の停車駅・湯沢まで来ました。



《湯沢 17:07発(4分遅れ)》

 遅れ回復のためすぐに発車します。



 下湯沢を通過。



 やがて列車は奥羽本線建設の歴史の終端、皆瀬川にかかる岩崎橋梁へ。



 全通の碑が目の前を通り過ぎていきました。



《十文字 17:17着(4分遅れ)》

 十文字に停車。



 この駅もすぐに発車――のはずだったのですが……



 交換するはずの新庄きがこないあため、しばらく停車するようです。



 夕暮れにたたずむ485系。



 対向の701系は5分遅れで到着しました。485系の写真が撮れたので、遅れてくれてありがとうと言うべきでしょうか。



《十文字 17:20発(7分遅れ)》

 かくして、十文字は7分遅れで発車しました。



 行きにも増して空いている車内。



 柳田駅でこちらに手を振る親子を見かけました。



 右から線路がやってきます。北上線です。



《横手 17:30着(2分遅れ)》

 合流点が横手。もちろん乗る人がいるはずもなく、長いホームには女子高生が一人たたずんでいました。



 デッキに向かい、進行方向左側を眺めれば、丸い太陽がいまにも沈もうとしていました。



 10分ほど走ると、太陽は役目を果たしたとばかりに、山の端に溶けるように消えていきました。それはまさしく、2つの新在直通型の新幹線にはさまれきえていった「つばさ」のごとく――



 その後も途切れることなく田んぼが続いていた車窓に、突如そびえる木々が目に入ります。ここは古四王神社。『日本書紀』においてヤマト王権が北に送ったとされる将軍・大彦命を祀る神社です。秋田県にはいくつか古四王神社がありますが、ここ大曲の古四王神社は秋田で初めて重要文化財に選ばれています。



 左にカーブした後に大曲駅が見えてきます。



《大曲 17:47着》

 横断幕の出迎えとともに入線。



 停車時間は2分。その間にダッシュで反対側のホームへ。



 ここに、485系の足回りを含む全貌を観察することができました。
 秋田では対向列車に阻まれ、新庄では反対のホームがないため、向かいから撮る事ができなかったためです。



 撮影した後はダッシュで帰還。ここで乗り遅れると、今日この先に進めなくなってしまいます。



 発車を持つ485系。ここが最後の停車駅です。



《大曲 17:49発》

 17時49分。いよいよ、「つばさリレー」は最終章を迎えます。



 右に秋田新幹線の線路をお供に、秋田を目指します。



 神宮寺を通過。ここで秋田新幹線の線路のうち一つがこちらに合流します。ここから峰吉川まで、新幹線の線路が複線になるためです。もちろん、片側には奥羽本線の線路が敷かれていますから、片方が三線軌条・片側が標準軌という特殊な複線区間になります。



 峰吉川で元に戻ります。
 見方を変えれば全長12kmにもおよぶ信号場とも見ることができますが、さらに1つ先の羽後境に標準軌の信号場があるため、通常ダイヤでここが使われることはほとんどありません。



 その羽後境では普通列車と交換します。



 闇の中、485系は最後の疾走を続けます。



 たくさんの線路とともに、「つばさリレー」はいよいよフィナーレへ。



《秋田 18:34着》

 18時34分。数多のトラブルを迎えながらも、定刻通り秋田に到着しました。



 運んできたのは人だけではない――「奥羽本線110周年イベント」のキャッチコピーです。

 「つばさ」が運んだものはなんだったのでしょう。

 「つばさ」の運転に伴い、秋田に初めて「特急」というものがやってきました。当初の編成はキハ80系6両。定員はわずか328人。果たした役割は、輸送力ではなく、一種のステータスでした。日本の中心・東京とのつながりを示す列車として走り始めたのです。
 時代が下り、特急が『特別な急行列車(Limited Express)』から大衆のものになった後も、「つばさ」はステータスを有していました。設備面や本数面で本線としての格を羽越本線にとられつつあった奥羽本線の基幹列車であったのです。それは同時に、山形・秋田の発展をも促します。

 山形新幹線の開業、続く新庄延伸で、「つばさ」の命脈はたたれました。この時、横手・湯沢地方への最速ルートは奥羽本線(山形新幹線)経由から秋田新幹線経由にシフトします。「つばさ」消滅は、旅客動向をも変えてしまったのです。その結果は、仙南地方の衰退と県境の本数減少でした。

 私が思うに、山形~秋田の地域の質的な支えとなっていたのが、「つばさ」だったのではないでしょうか。


 次回、前半戦終了のお知らせ。


おまけ



 帰りも行きと同じものをもらいました(記念乗車証+記念カード+オリジナルシャーペン)。


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