歴史というのは、出来事以外のなにものでもありません。その意味するところ、当時の人間がなにを考えてやっていたのかは、後世の人間が後付けで考えたものでしかないわけです。
たとえば、江戸時代の参勤交代。これは地方のお偉いさん(大名)たちが、お偉いさんの中のお偉いさんである将軍様に定期的に顔見せする制度なわけですけれども、江戸東京から遠いところに住んでいる大名(外様大名)には大変な負担でした。外様大名とは徳川将軍家とはもっとも疎遠な大名のことです。だから、(いつ反抗してくるかもわからないから)遠くに配置されていたんですね。
すると、これを受けて、教科書はどう教えるか。参勤交代とは、地方大名に負担を強いることで、彼らの軍事力を低下させることをその目的とした制度である、と教えるのですね。でも、100%この解釈は間違ってますよね・・・。だって、そうでしょう。こんなんじゃ、弱体化するよりも先に暴動が起きるはずですよ。
大名も将軍様も忠誠を誓い、誓わせたかった。そういったなかで、地方大名はがんばりすぎたんじゃないか。結果、それが負担となって表れた。そう考えるのが自然ですよね。
蒙古襲来の神風もそうですね。神風(暴風)が吹いたから、蒙古軍が撤退した、日本は神がかっていた、というわけですね。
これもやっぱ間違ってますね。当時の軍事組織にもそれなりに気象の知識があったと考えるべきではないのかな。でなきゃ、遠くはるばる日本まで船で来れないよ。で、暴風が来ることがわかっていた彼らは、その前に撤退したのだ、とするのが自然な考え方だと私は思うわけです。
歴史はすでに起きたことです。参勤交代とはこういうものだ、蒙古襲来とはこういうものだ、と学校で教えられ、その通りに学んで、試験で結果を出すことがすべて。私はそれに異論ありません。聖徳太子が実在しなかったとしても、それで私たちの今の生活の何が変わるというわけでもないのだから。
歴史はどう頑張っても学べないものなのです。だから、開き直ったような歴史観もあっていいと思う。歴女とか言われる女の子たちが、戦国武将をアニメのキャラみたいに愛するのも、ありなのではないかと。私の場合は違いますね。偉大な歴史上の人物もわれわれと同じ血も涙もある人間。悩んだり、素晴らしかったり、エロいこともしていたんでしょう。過去を現在と似たものと捉え、自然な考え方で接することでなにか見えてくるものがあるんじゃないかと私は思うわけです。