他人を馬鹿だと言うひとは馬鹿だとよく言われます。同様に自分は論理的だ科学的だを自称するひとほど非科学的ですね。出会い系サイトなんかで、当方スーツ着用とか言ってくるひとと同じくらい怪しいです。
競馬を科学する的なブログやってる某氏が、馬券生活を検討しているやつはだいたい馬鹿だと論じていた。だいたいと言っている時点ですでに科学的じゃないんですけど。
彼によると、馬鹿は数字を管理しない。馬券生活やっていくにはかなりの投資額が必要なの知ってますかと。さらにもちろん、予想家としての腕も求められるからなお難しい。プロ予想家レベルのひとが1レースに50万円投資するほどじゃないとリッチな馬券生活なんてとても送れるはずがないと彼は言います。
そこで彼は馬券生活するなら・・と提案するのが、購入回数を増すということ。1レース1万円で月200レースやって、100万円儲けるなら馬券生活もありうるのかなと。でも、それも予想家としての腕があってのこと。だから、ほぼ不可能だと言う。
でも、この考え方はぜんぜん正しくないですね。的中率が同じなら、いくら使おうかなんて関係ないもの。的中率が高くないひとは投資額を増やして利益を増やそうとするでしょうが(1.3倍の馬に100万円投資するとか)、的中率が高いひともまた投資額を増やしてもっと儲けるべきなのです。要するに、儲けたいひとはより多く投資する。儲ける額に上限などないのですからね。ただそれだけのことで、科学的に考えるようなことでもないでしょう。
結局のところ、収支つけて回収率がそれなりにあったら、馬券生活やってもいいのか?それこそ考えるべきことなのに、このブログのひとは馬鹿が馬券生活をやるのは馬鹿だと言っているだけ。読み終わってみれば、話の中身はなにもない。
私もたとえば5年競馬やり続けて、毎年回収率150%以上あったら、馬券生活を検討しますよ。馬券生活に入るなんて、そんな大したことじゃありません。今100円でやっていることを1万円でやるだけの話でしかないんだから。10万円でやっても、100万円でやっても同じ。大きな投資には度胸が試されるなんて言っているようでは科学的であるとは言えないですね。数字(的中率)を信じるひとは救われる。それこそが科学的な態度であると私は思いますけどね。
競馬を科学する的なブログやってる某氏が、馬券生活を検討しているやつはだいたい馬鹿だと論じていた。だいたいと言っている時点ですでに科学的じゃないんですけど。
彼によると、馬鹿は数字を管理しない。馬券生活やっていくにはかなりの投資額が必要なの知ってますかと。さらにもちろん、予想家としての腕も求められるからなお難しい。プロ予想家レベルのひとが1レースに50万円投資するほどじゃないとリッチな馬券生活なんてとても送れるはずがないと彼は言います。
そこで彼は馬券生活するなら・・と提案するのが、購入回数を増すということ。1レース1万円で月200レースやって、100万円儲けるなら馬券生活もありうるのかなと。でも、それも予想家としての腕があってのこと。だから、ほぼ不可能だと言う。
でも、この考え方はぜんぜん正しくないですね。的中率が同じなら、いくら使おうかなんて関係ないもの。的中率が高くないひとは投資額を増やして利益を増やそうとするでしょうが(1.3倍の馬に100万円投資するとか)、的中率が高いひともまた投資額を増やしてもっと儲けるべきなのです。要するに、儲けたいひとはより多く投資する。儲ける額に上限などないのですからね。ただそれだけのことで、科学的に考えるようなことでもないでしょう。
結局のところ、収支つけて回収率がそれなりにあったら、馬券生活やってもいいのか?それこそ考えるべきことなのに、このブログのひとは馬鹿が馬券生活をやるのは馬鹿だと言っているだけ。読み終わってみれば、話の中身はなにもない。
私もたとえば5年競馬やり続けて、毎年回収率150%以上あったら、馬券生活を検討しますよ。馬券生活に入るなんて、そんな大したことじゃありません。今100円でやっていることを1万円でやるだけの話でしかないんだから。10万円でやっても、100万円でやっても同じ。大きな投資には度胸が試されるなんて言っているようでは科学的であるとは言えないですね。数字(的中率)を信じるひとは救われる。それこそが科学的な態度であると私は思いますけどね。