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2022/03/30

2022-03-30 09:35:23 | 日記
三一独立宣言文を知っていますか?

韓国パゴダ(タプコル)公園には、三一独立運動のモニュメントがある。そこには独立宣言の全文がハングルで書かれている。
1919年3月1日を期して朝鮮半島だけではない朝鮮の人々が立ち上がったのは知っていたが三一独立宣言文の意味を和田春樹著『日本と朝鮮の100年史』では紹介していて、これはと思った。

和田春樹は、1973年の金大中拉致事件の翌年春に韓国民主化運動と連帯する市民運動、日韓連帯連絡会議の事務局長となった。
1972年10月に第4期朴政権が誕生した。「『金大中自伝』を読む(11)」でも紹介したが、金大中が「選挙で勝って、投票で負けた」大統領選挙に危機感を感じた朴政権は事実上の独裁(維新)体制により弾圧を行った。金大中拉致事件を日本で起こした後は、国内の反維新体制の主役である学生、市民を弾圧していった。
全国民主青年学生総連盟(民青学連)関係者の摘発を行なった民青学連事件、その背後操縦者である詩人金芝河(キムジハ)らを含む構成員を要し国家転覆をする人民革命党員だとして拘束した。そして、ソウル大学学生たちや金芝河は死刑判決となる。(2010年、この死刑判決で被告となった全員が無罪となった)

日韓連帯連絡会議を含めて内外で朴政権への批判と金芝河らの救援活動が行われ、朴政権は1975年に金芝河ら被告を全員を釈放する。
釈放された金芝河が、日本でも「金芝河を殺すな」という運動があったことなどに感化され『日本民衆への提案』を発表する。

その中で金芝河が訴えたのは「わが民族は、わが民族だけでなく、あなたたち日本民族をも、人間化し救済しようとする運動をおこしたのであります。まさにこれが、わが民族とあなたたち日本民族が今日の日(三月一日)を必ず記憶すべき理由なのです」と述べているという。

和田春樹も驚いた点だと言うが、私も虚心になって読むことなく知ったかぶりが恥ずかしくなり、びっくりもした。
三一独立宣言文が、日本の植民地支配に抗して立ちあがった朝鮮の人たちのみの性格のものではないという事だった。日本人に向けられたメッセージそのものだったという点だった。
そしてさらに私がびっくりしたのは、三一独立宣言は、日本人に向けられた大きな呼びかけであったにも関わらず、日本で全文が公表されたのは1948年『歴史評論』6月号に発表された石母田正の『堅氷をわるものー朝鮮独立運動万歳事件の話』の付録だった。さらに一般向けの本に出たのは山辺健太郎『日本統治下の朝鮮』(岩波新書1971年)朴殷植著『朝鮮独立運動の血史』(平凡社1972年)である。1919年から39年目にして専門家の目に触れ、52年の歳月によって一般の日本人が目にしたものだった。

「最後の一人まで、最後の一刻まで、民族の正当なる意志をこころよく発表せよ」と宣言は結ぶ。
朴殷植著『朝鮮独立運動の血史』によると、1919年独立宣言に感化され広がった独立万歳運動は、「全国で集会は1542件、参加者総数は202万3098人、(日本人憲兵らに)殺された人は7509人、負傷者1万5961人、逮捕者は4万6948人であった」(p77)
まさに非暴力によって東洋平和を訴えた独立宣言文を読み、立ち上がった朝鮮人たちの思いは日本人に届いているのだろうか。改めて虚心にかえってこの宣言文を日本人が今こそ読まねばならないのではないかと思う。



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