1914年から1919年まで続いた第一次世界大戦は、世界の7000万人の兵士が投入され、戦闘員900万人以上と非戦闘員700万人以上が(総数1650万人との説)死亡したとされている。
そして1918年春部隊の中で「スペイン風邪」がまん延し、第一次世界大戦を上回る3000万~5000万人以上の死者(1920年)を生みだした。
この第一次世界大戦と「スペイン風邪」を関連づけた当時の報道はあまりにも少なく、スペインでは第一次世界大戦の中立国だったこともあり、フランスからピレネー山脈を超えて発生した伝染病による死者発生の報道をくり広げたため、「スペイン風邪」という不名誉な名前をつけられたとも言われる。
「最初は米派遣兵200万人のうち79万人が上陸したフランスの受け入れ口、ブレストの港町からウイルスは拡散していった。1918年4月にはフランス北部にいた英軍に、そして独軍の最終防衛ラインである「ヒンデンブルク線」の塹壕(ざんごう)によって、本来なら物理的に隔てられていたはずの独軍もなぜか感染した。さらに1918年5月になると英軍の南部に布陣していた仏軍にまで到達した。」(
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しかし、アメリカをはじめとする軍隊がまん延していることは報道されなかった。
それと同時に更に拡大した原因は、第一次世界大戦において主要な戦闘形態であった総力戦と塹壕戦にあったのではないか。両国が数十キロに渡り兵士を投入し、塹壕で生活する事を強いられ膠着状態が続いた。トイレや残飯の管理、死者も横たわる。また暗くてジメジメして不衛生、物資も医療も不足しがちであれば、兵士たちは次々と感染を広めたのではないだろうか。このような急激な戦闘だけではない相次ぐ伝染病による死は、兵士たちの指揮を低下させたのではないだろうか。
むしろ、そのための兵士の不足は、戦争を強いる為政者たちに向けられ、ロシアやドイツでも兵士たちによる反戦行動が革命に転嫁した。
そして第一次世界大戦の終結となった。
今回のウクライナ、アゾフスターリ製鉄所などのシェルターでの生活は塹壕戦と同じであり、容易にウィルスがまん延していくだろう。人類は第一次世界大戦と「スペイン風邪」の脅威から学んだはずだ。
https://www.google.com/amp/s/www.yomiuri.co.jp/column/history/20220323-OYT8T50078/amp/
1916年、フランスのエタープルという街に住む医師が、原因不明の気管支炎による死者についての報告書を残していました。エタープルの街には、第一次世界大戦の戦場に向かうイギリスからの兵士たちのキャンプがあり、常に10万人の人口がありました。ところが当時、キャンプ内の病院では戦場で受けた傷による死者の6倍以上の患者が謎の気管支炎によって命を落としていたことがわかっています。
http://zip2000.server-shared.com/infulenza.htm