「私共は大日本帝国の臣民であります。私共は心を合わせて天皇陛下に忠義を尽くします。」
「皇国臣民ノ誓詞」を朝鮮半島の学校で率先して日本語で朗読しているカン・ヨンエは優等生だ。女学校に通い、日本人に認められる立派な朝鮮人として教師を目指していた。
そのヨンエは、突然警官に連行された父親のためにも女子勤労挺身隊に志願することになる。
日中戦争の戦局により支配地域が拡大し、日本人だけでは国内軍需産業や炭鉱での人手不足が顕著に不足していた。それに従い朝鮮半島や中国から徴用、あっせんなどにより多くの人々が動員された。一説にその動員は23万人ともいわれる。
1944年、日本は戦況悪化で朝鮮半島にも徴兵制を敷くようになる。その際に、ヨンエの父親もどこかに日本人の手によって募集や徴用によって送られたのだと思う。
カン・ヨンエとともに15歳の少女チェ・チョンブンは、貧しいため学校にも行かせてもらえず、日がな綿花の糸繰り作業をさせられては、母親に叱られる毎日をおくる。
チョンブンは、いつしかフカフカな真っ白な綿の中でゆっくり寝そべりたいと思う事を夢見ながら働く。
物語はそのふたりが「いい仕事がある」とあっせんする男たちに連行され慰安所で奉仕させられることになる。
後に男たちにうつされた梅毒で処刑されることになる同僚の少女は、チョンブン、ヨンエと日向ぼっこをしながら「病気になったほうが男たちを相手にせず休める」と冗談を飛ばし合う。
彼女たちは、隣で同僚たちが次々と性病となったり、あるいは絶望し自ら死を選んで亡くなっていく中でも必死に励ましあって生をつなごうとする。
そんなある日、この慰安所も硫黄島に軍隊を送るため閉鎖となるという。日本軍の送別会のような宴のあと、彼女たちは目立たない場所に連行され突然日本軍により銃殺される。証拠を残して次の戦場に行けないとばかりに少女たちは銃弾にたおれる。
そしてチョンブンとヨンエは、その場の気配を察して慰安所から奇跡的に脱出するのだが。。。
『雪道』で描かれた少女たちの運命は、アジア各地、日本、朝鮮、中国、ベトナム、ミャンマー、タイ、シンガポール、フィリピン、インドネシア、東ティモール、パプアニューギニア、ポリネシア無数の日本軍が侵略した地に慰安所が設置されている。
1991年一人の韓国人女性金学順(キム・ハクスン)さんが慰安所での日本軍による性暴力を告発し名のりを上げ、またたく間に韓国国内だけではないアジア諸国やオランダの女性たちが暴力被害の声をあげていった。
1992年、金学順さんの勇気ある告発に動かされた歴史家の吉見義明さんは、日本軍が慰安所の設置を指示した公文書を防衛庁の図書館で発見し、政府も「軍の関与は否定できない」として「(すべての被害者に)お詫びと反省の気持ち」を述べた河野談話に結実していく。
その後も女性たちは、このような慰安所と慰安婦の実態について調査は2000年12月の日本軍製奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷が各国の公的な裁判員を集めて行われる。その膨大な資料は、日本の侵略戦争を美化する声にかき消されそうになりながらも被害女性の告発を具体的に証拠を積上げていった。
余談となるがNHKでも女性国際戦犯法廷は取り上げられたものの湾曲的なコメントを意図的に行っていたりや被害女性や元日本軍兵士の証言もカットされているものだったという。この背景には、この番組への政治介入があり、街宣車がのりつけ、安倍晋三らによって圧力が加えられたという。
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私は、映画を見ていて何度も涙をこらえることができなかった。凄まじい暴力に耐えながら、命をつなごうと必死に15歳の彼女たちが生きようとしている姿があり、「いま」を慰安婦とされたハルモニ(おばあちゃん)となっても生きているからだ。
戦後80年が経とうとしている今でも、ハルモニたちは二重三重の苦しみ、慰安婦であったことを「沈黙」してきた。
それは世間が強いてきたことではないだろうか?
声を上げれば非難を浴びさせらる。
昔の話ではなく、声を上げたハルモニたちや性暴力被害女性たちの「いま」なのだと思った。
その生涯に苦しみながらも、自らが立ちあがって訴え続ける姿に心打たれた映画だった。
ぜひ多くの方に戦争への道に突き進もうとする今だからこそ観て欲しい映画です。
韓国映画で映画名:雪道
公開日:8月6日〜19日までと、8月27日、28日
上映時間①10:20②13:00 ③15:40
上映館:シネマハウス大塚
シネマハウス大塚
自由な表現と創造の為の広場として地域に開かれた多目的スペース
シネマハウス大塚