ブラック・パワーサリュートって知っていますか?
1968年10月、メキシコオリンピック200メートル走で金と銅メダルをとったアメリカ代表黒人選手トミー・スミスとジョン・カーロスが表彰台でアメリカ国旗と国歌斉唱を前に黒いグローブのこぶしをつきあげた敬礼事件として知られています。これは黒人差別への抗議の意志表示として、キング牧師がこの年に暗殺され、黒人の選手の中では五輪への参加かボイコットかを巡る激しい葛藤の中での最善の行動としてありました。
私は、かつてその意志表示を行ったトミー・スミスとジョン・カーロスの「その後」について触れさせていただきました。
本日は、『映像の世紀バタフライエフェクト』「モハメド・アリ 勇気の連鎖」を見て、2位となったオーストラリア選手であり白人のピーター・ノーマンの運命を紹介していたので興味深い内容でした。
2位となったピーター・ノーマン選手は、二人が表彰台で黒人差別への意志表示をするというので「僕にもできることがあるか」と相談して「人権を求めるオリンピック・プロジェクト」のバッジを付けて表彰台にのぼったのです。
アメリカ国歌「星条旗よ永遠なれ」が流れるとトミー・スミスとジョン・カーロスは斉唱せずブラック・パワーサリュートをしながらうつむいて抗議の意志を示しました。その傍らでピーター・ノーマンは、ふたりの意志表示を背中に感じながらそのバッジで示したのです。
ふたりの黒人差別への意志表示を支持したピーター・ノーマンは、オーストラリア国内での白人至上主義とアボリジニへの根強い差別に怒りを感じていたといいます。
ノーマンは、メキシコ五輪が終わりオーストラリアに帰るとメディアや同僚選手からも非難の的となり、実力がありながらも再びオーストラリア代表に選ばれることなく選手生命を終えました。また、晩年は鬱や重度のアルコール依存症となり、彼の名誉も回復されることなく64才で還らぬ人となりました。(彼の死後名誉は回復される)
サリュートをしたスミスもカーロスもそうですが、3人はその後も迫害や解雇され生活を奪われます。カーロスは、奥さんまでその脅迫が原因で自殺した。それでも彼らは謝る事なく信念を貫いたのです。
人種を超え、海を超えた差別に対する信念と怒りによって結ばれた友情でした。
ピーター・ノーマンを葬送しようとアメリカからスミスとカーロスはやってきたのです。
2016年9月、当時の大統領バラク・オバマは、ホワイトハウスに招待した中にスミスとカーロスの姿もありました。
国家がおかしいことをしている現実に目を閉ざすことなく、孤立しても自分の意志表示をすることは勇気のいる行為だと思います。
事実スミスとカーロス、そしてピーター・ノーマンは、差別に抗議するために拳を突き上げバッジを付けただけで選手生命が剥奪され、国家による暴力と脅迫に晒されました。
そして何よりもしかし、国家による暴力に屈せず、信念を貫き通して得たものこそが歴史の中で讃えられ、それが人間の尊厳、誇りではないかと思います。
トミー・スミスは、後に話しています。
「もし私が勝利しただけなら、私はアメリカ黒人ではなく、ひとりのアメリカ人であるのです。しかし、もし仮に私が何か悪いことをすれば、たちまち皆は私をニグロであると言い放つでしょう。私たちは黒人であり、黒人であることに誇りを持っている。アメリカ黒人は(将来)私たちが今夜したことが何だったのかを理解することになるでしょう」
かつてスミスとカーロスが通っていたキャンパスには彼らの銅像が建っており、2位のノーマンの銅像は並んでいません。
彼が銅像を建てることを固辞したと伝えていました。その代わりに2位の表彰台の床には次のように書かれているそうです。
「ここに立つのはあなただ」(Take A Stand)
↓ 以下はスミスとカーロスの「その後」と大坂なおみへの「Black Lives Matter」Tシャツバッシングを取り上げた過去記事です。
あわせてどうぞ。
拳をつきあげた鎖のデザインに「Black Lives Matter」 のロゴの入ったTシャツを着た大坂なおみを見て彼女の勇気に思い出すことがある。
浦和のジャズバーに通っていた頃、フリージャズで早世したエリック・ドルフィーのファイブスポットでのライブ版と並んで発見したのはアーチー・シェップだった。
何よりもアルバム「attica blues」のその名のタイトルアッティカブルースは理屈抜きのファンキーな迫力に圧倒されて、30代前半の人生観を大きく揺さぶってくれた。
ジャケットには、アーチー・シェップがピアノで作曲する盤上にサックスが置いてあり、左すみの壁に黒い拳をふりあげた黒人ふたりが表彰台に立っている写真が貼ってある。
それは、68年メキシコオリンピックの陸上競技200メートル走で優勝したトミー・スミスとジョン・カーロスだと後で知ることになる。
ふたりは、アメリカ公民権運動で黒人が立派に差別とたたかい、キング牧師などが射殺された後にアメリカ国歌ではなく黒い拳をつきあげて我が同胞を讃えようと表現したのだろう。
しかし、オリンピック委員会は、政治的な表現をしたとしてふたりを即刻選手村とメキシコから強制送還させ選手生命を断たれただけではなく、様々な脅迫が家族にもおよびジョン・カーロスの奥さんは自殺に追い込まれた。
今回、大坂なおみの行動へのバッシングがスポーツと政治は分けてとか主張しているなら考えてみよう。
黒人を奴隷として連れさり、白人はその恩恵に預かりながら差別し迫害し続けた歴史を。
ナチスのオリンピックの政治利用から米ソのボイコット合戦、平和の祭典ではなく、スポーツを通じて金権が動く政治ショーと見まがうほどの疑惑を抱えながらの東京オリンピックは一体何なんだろう。
はぁあ、こんな巨悪が許されてささやかな個人の決死の訴えが許されない、なに言ってるんだかなぁと思う。
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