この文章は
Pitt Rivers Museum Photograph and Manuscript Collections
のうち
Pitt Rivers Museum Photograph and Manuscript Collections
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のページを抄訳したものです。
ちょっと感想を。
多少間違っているかもしれませんが、マンローは日本の先史時代を初めて体系づけた人です。彼は先史時代を旧石器時代(打ち欠き石器)、新石器時代(縄文時代)、中間期(弥生時代)、ヤマト時代と区分しました。
そしてそれらの時代の実在を、石器、土器、金属器などで実証し、地層により前後付けました。
第二にドルメンを太古のものとして位置づけ、各地の石造物を一括し系統づけ、その世界史的意味を探りました。
第三にアイヌを日本人の源流の一つとして位置づけ、先史時代にはアイヌがあまねく日本列島に存在したこと、これと渡来民の交流の中に日本人が生まれたと考えました。現存のアイヌ人はこの流れに合流しなかった人々だと考えました。
これらの考えは当時にあって群を抜くものだと思いますが、いかがでしょうか。
ここに彼が発掘したものを見ると、驚くものばかりです。頭飾りやテラコッタなど、日本製のものとしては見たことがありません。間違いなく重文級のものでしょう。
これまでのマンロー関連資料といえば、桑原さんの本をふくめ周辺情報が多く、彼の業績に迫るものは乏しいのです。これからさらに英文資料と格闘を続けることになりそうです。
マンローの紹介
ちょっと感想を。
多少間違っているかもしれませんが、マンローは日本の先史時代を初めて体系づけた人です。彼は先史時代を旧石器時代(打ち欠き石器)、新石器時代(縄文時代)、中間期(弥生時代)、ヤマト時代と区分しました。
そしてそれらの時代の実在を、石器、土器、金属器などで実証し、地層により前後付けました。
第二にドルメンを太古のものとして位置づけ、各地の石造物を一括し系統づけ、その世界史的意味を探りました。
第三にアイヌを日本人の源流の一つとして位置づけ、先史時代にはアイヌがあまねく日本列島に存在したこと、これと渡来民の交流の中に日本人が生まれたと考えました。現存のアイヌ人はこの流れに合流しなかった人々だと考えました。
これらの考えは当時にあって群を抜くものだと思いますが、いかがでしょうか。
ここに彼が発掘したものを見ると、驚くものばかりです。頭飾りやテラコッタなど、日本製のものとしては見たことがありません。間違いなく重文級のものでしょう。
これまでのマンロー関連資料といえば、桑原さんの本をふくめ周辺情報が多く、彼の業績に迫るものは乏しいのです。これからさらに英文資料と格闘を続けることになりそうです。
マンローの紹介
ニール・ゴードン・マンロー(1863年〜1942年)はスコットランド人の医師でした。卒業後、インド・香港を経て日本に定着。1893年から横浜総合病院の病院長を務めました。
マンローは医師の職務以上に、考古学者として尊敬されるべき存在になりました。なかでも横浜市内の三沢貝塚の発掘でその名を知られています(1905–6)
マンローは考古学調査の成果を集大成し、「先史時代の日本」(1908)を出版しています。それは重要かつ影響力のあるものです。
晩年は北海道に住み、二風谷のアイヌコタンにクリニックを開設し、終生を捧げました。
彼は先住民文化の断固たる支持者として活動しました。彼は今でも「アイヌの友人」として愛情を込めて記憶されています。
マンローのコレクションは、スコットランド国立博物館、北海道博物館、大英博物館、ピットリバーズミュージアムなど、さまざまな機関が所蔵しています。
ここで見られる写真はすべて、ニール・ゴードン・マンローが1905年頃撮影したもので、最近発表されたものです。
Philip Grover:「レンズが捉えた幕末・明治の日本: オックスフォード大学所蔵写真より」(東京:山川出版社、2017)。
この本は、オックスフォード大学のピットリバース博物館の歴史的なコレクションを利用し、日本の初期の写真に関する文学への貴重な情報を追加・提供しています。
著者のフィリップ。グローバーは、博物館の学芸員です。主に明治時代(1868〜1912)に焦点を当て、コレクションのハイライトを紹介します。
これらの重要な資料は初めて海外の視聴者に提供されたものです。
写真1 「日本(先史時代)」というラベルの付いた、深い溝と水路のパターンが刻まれた大きな石の拡大図。
写真2 平らな風景の中央に見られる大きな(先史時代の)彫刻が施された岩。地元では「カエルの石」と名付けられています。奈良県飛鳥。
写真3 遺跡として知られている、大和時代の墓地とされるドルメンの入り口。
写真はニール・ゴードン・マンロー。 日本。 1905年頃。
写真5 ニールゴードンマンロによって発掘された陶器の置物。 縄文時代。 横浜市内の住宅地から。
1905年頃。
写真6 マンローが発見した「壺」と名付けられた背の高い壺。 やきもの文化としてヤマト文化に属する。1905年頃(1908年まで)。
写真7 マンローによって発見された金属製の工芸品。キャプションに「頭飾りの装飾」があり、左側に「型から分離されていない青銅の矢じり」があり、「ヤマト文化」というラベルが付いています。
1905年頃(1908年まで)。
写真8 ニールゴードンマンローによって発掘されたテラコッタの花瓶。
写真はニール・ゴードン・マンロー。 日本。 1905年頃(1908年まで)。
写真9 枝と藁で作られたエタ小屋、または屋根のあるピット住居。建設中に撮影したもの。
撮影はマンロー。 日本。 1905年頃(1908年まで)。
写真10 アイヌの建物、おそらくは店舗で、背後には他のいくつかの建物が見えています。
撮影はマンロー。 北海道。 1905年頃。
写真11 路上で人力車を置き、その横に人力車の人(車夫)が立っています。撮影はマンロー。1905年頃。
参考文献
Neil Gordon Munro 「アイヌ:クリードアンドカルト」 B. Z.セリグマン編(ロンドン、1962年)。
ニール・ゴードン・マンロー 「先史時代の日本」(横浜、1908)。
「N. G.マンローと日本考古学:横浜を掘った英国人 N. G.マンローと日本の考古学](横浜、2013年)
「海を渡ったアイヌの工芸:英国人医師マンローのコレクションから<マンロー・コレクションにみるアイヌの技と精神>」(札幌、2002)
ジェーン・ウィルキンソン、「ゴードン・マンロー:日本の考古学と人類学におけるベンチャーズ」、イアン・ニッシュ(編)、イギリスと日本:伝記の肖像(Folkestone、1994)、pp。218–237。
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